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言葉を身につけるプロセス

 私は英語講師です。自分で小さな教室を運営し、大人の学習者をオンラインや生涯学習講座でご指導し、小学校に英語指導のお手伝いに行く中できっといろいろな方の「英語学習」の鍵になるであろうことを見つけたので、シェアすることにしました。

 そもそも「英語を学ぶ目的によって教室や先生は選ぶべき」というのが大前提なのですが。私は「話す英語」をメインに指導しているのでその視点からお話しします。
 小学校にも週に一度、3,4年生の英語授業に伺っていますが、最初は日本語の雑談から始めます。そう決めています。お笑いと一緒、最初の「つかみ」大事です。子どもたちの目はとても鋭く正しくて、教室に入る前から「この人を信頼しても良いか」「この人は安全か」を見られていることを感じます。私は日本人の英語講師として、「私はあなたたちのことを知りたがっている」ことを一番に伝えようとします。その手段としての雑談です。そして私は本気で今から45分一緒に過ごす子どもたちのことを知りたい、と思っています。相手への興味なしで、会話はご指導出来ません。
 今朝、何時に起きたかな?今日の給食何?あなたは朝型人間ですか?夜型?子どもたちは自分のことを考え、思い出し、私に伝えてくれます。
「この人は自分のことを聞いてくれる」その関係性を築くのです。
そして「起きた時間」一つでも朝のルーティーン一つでも、自分と他者の違いを面白がるんです。リアルな「みんな違ってみんな良い」です。
 このベースさえ出来れば「他の人と違う答えを言ったらどうしよう」という不安は消えます。「違うことがベースで、それを分かち合うために言葉がある」という「英語の当たり前」を毎回丁寧に染み込ませていくのです。

 英語の指導が仕事なんだから英語さえ教えてくれたらいい。今日のキーフレーズやすべきことが疎かになったらどうするんだ、という考えの場所では私は指導に携わらないという選択をしています。というのも、私は英語をただの道具として乱暴に子どもたちに与えるだけ、という姿勢には全く賛成しないからです。
 
 英語を学ぶ時に必要なことは「伝えたい」「知りたい」。
『その目的のために』英語を道具として使うということです。

 突然やってきた人にただ英語のフレーズや単語を教えられ、決められた活動をしても仮に習熟度テストをすれば同じ結果かも知れません。でも、私は子どもたちが自分のことを考え、人の話を聞いて、笑ったり興味を持ったり。その「心のウォーミングアップ」を大変重要視しています。

 海外に旅した人の話を聞くと、英語での注文時に大変焦らせられてしんどかった、とか英語で捲し立てられて恐怖を感じた、などと聞きます。私はニュージーランドにしばらく住んでいましたが、私が関わった方々は幸いゆっくりじっくり話を聞いてくれる人ばかりでした。関わった方の年齢層が高かったからかも知れませんが。そんな中で安心して英語を使いたい、伝えたい、その気持ちをそのまま表現することが出来ました。わからないことがあったら聞いてね、という人が周りに多かったのでなんでも尋ねていましたし、彼らはその都度丁寧にいろいろな表現を使って答えてくれました。全く日本語は話さず、英語のみだったにも関わらず心を通して私に勇気と希望をくれました。
 
 日本に帰ってきて私が見るのは、「テストに追われて苦しむ子どもたち」や「うまく言えずに叱られた子」「書くのが遅い」「スペルミスが多い」そんな英語でズタズタになってしまった子どもたち。
 この子たちにも、「英語を話してみたい」「かっこいいな」そんな希望を持った時もあるはずです。でも、こんな形で関わり続けている以上英語へのモチベーションは下がる一方でしょう。一旦「苦手だ」と思ってしまうと驚くほど溝が深まっていくものです。それを中学英語で見ているのです。
そして更に悲しいことにそれが小学校英語として早期化していることをとても残念に思っています。

 私は2011年、外国語活動が本格化した小学校でボランティアを始めました。みんなで英語を使ってみよう。あなたのこと、もっと知りたいな。そんな姿勢で2年目以降は仕事として関わりました。担任の先生方も一つのテーマからどんな風に楽しく過ごそうか、とアイデアを出しながら楽しい時期でした。
 そして私が少し現場を離れた間に小学校英語は様変わりしました。2020年、教科書はなぜか変わり続け、それに対応するフラッシュカードなどの教具は追いつかない状態。更に電子黒板やタブレットを使い、小学生の間に600単語カバーしよう、と指導者側の準備も整わないままに全国的に新しい小学校英語が始まったのです。そこであってはならない「評価」が入りました。先生方からは「言語はその子の人格も関わってくる。そこをどうやって評価するのか」「専門的な知識がないのに評価して良いのか」など戸惑いの声や質問が多く寄せられ続けています。
 そもそも私自身は自分の英語教室やあらゆる場所で人の言語を評価しません。どんな場所で、私たちは人の話す言葉を評価出来るというのでしょう。そして評価された場合、そこから更に「もっと話そう」というモチベーションは生まれてくるのでしょうか。英語を専門的に学ぼうという意欲あふれる人なら、評価を重んじて自分の成長につなげていくでしょう。でも小学生でそのモチベーションの子は、放っておいても自分で勉強しますので、学校でわざわざしてあげる必要はありません。ほとんどの子が英語に対してのイメージをどちらにも向けることが出来る柔らかい年頃。ここで「楽しい」方に向けておかないと、それから先は地獄になってしまいます。
 特に英語に触れてこなかった子どもたちにとって、英語は学校で始まったから勇気を出して飛び込んでみた未知の世界。周りには既に自分よりも英語をよく知っている子どもたちもいて、少し自信を失いながらエイッと飛び込んでみる。そこで「あなたは頑張りが足りませんね」という評価が下されたら、その子はそれ以上英語を頑張る気になれるのでしょうか。私だったら無理です。
 私はいつもそんな子どもたちの気持ちを想像しています。英語を話すのは勇気が必要。特に英語に触れてこなかった子にとってはくすぐったい様な、照れくさい様な恥ずかしさがあるのです。そこに必要なのは「励まし」それ以外ありません。
 それなのに、幼い頃から英語教室に通って英語に対して何の抵抗もない子と同じ場所で比べられ評価されるのであれば、格差は広がる一方でしょう。仮に英語を習っていないのに語学センスのある子もいますが、そのごく一部が救われる反面、中学に上がる前に既に「自分には英語は無理」と英語を諦めている子が多数いることを、ここ数年で強く感じています。

 もしあなた自身やあなたのお子さんに「英語を話す」という目的があるのならば、おすすめするのは「自分が話したくなる」相手と環境です。
英語教室や英語の学習法を選ぶ時は、それを重視してみてください。そして特に公の場で指導する方は是非心に留めておいてください。
 間違っても、自信を失わされたり、話したくなくなる環境にしない、そんなところに身を置かない様に。そこで出来ない自分を責める方が多いですが、それは指導者側の問題です。

 英語は日本語同様、環境に育まれていくらでも伸び育つものなのです。

 

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