手放して楽に
オンライン英会話で、今日のテーマは子育て。
中国と韓国の女性たちは、それぞれ現役ワーキングママ。アメリカ人の先生と日本の私は引退組。羨望の目を向けられながら、現役ママたちの苦労話を聴きつつ、ディスカッション。
普段自分の中でとっ散らかっている経験が、言葉を通して目の前で整頓されていく。なんだかとても大切な気がしたので、書き留めておく。
「なにが一番大変だった?」と尋ねられ、私の口から飛び出したのは「他の親との付き合い」だった。我が子を見ているだけなら全然良い。ただ、それに対していろいろジャッジをしてくる親仲間が多いこと。「あなたの子育ては良くない」はもちろん言語道断だけど、私は「良い」も言われたくなかった。私個人の子どもとの付き合い方に、他の人から良い悪いと言われること自体、とても居心地が悪かったのだ。
子どもたちと一人の人として向き合いたいのに、先生や親は最短距離の答えを見つけたがる。相手が子どもだからって、簡単にいくわけがない。
でもそれ以上に、私自身が「ちゃんとした親でいなくちゃ」と背負っていたのも事実。周りの声を必要以上に聴きたくないのは、私自身が周りの声を真正面から受け取ってしまうからだ。
続いて「あなたの子育てスタイルは?」という質問に、私はこう答えた。
最初はちゃんとした親でいたいと思って、自分らしくないことをたくさんしてしまった。いわゆる世間で言われる『親』でいなくちゃと思っていた。子どもを管理し、言うことを聞かせておりこうに仕上げる、そんな親。
でも子どもたちの行動や表情を見ていると、それが違うと思わされることが多々あった。我が子がとても敏感な子どもだと気づき、続いて私自身もそうだと知った。これは「気合」とか「ルール」とかで動かすことは無理だ。私自身もダメだから。自分が納得出来ないことは、したくない。出来ない。
私は「世間」と距離を置き、自分と子どもの関係を大切にしようと決めた。世間の常識、みんなの教育観、不確かな将来への希望…そんなものを少しずつ手放して、道の途中に置いた。
成績自体が心配なのではなく、あなたが授業中に「わからない」でいっぱいになって座ってるとしたら、私も辛い。だから、困ったら相談して。いつも私は子どもたちの心にフォーカスしてそばにいることを伝え続けた。
先生が、sympatheticでempathetic*である様に心がけたんだね、と言われて、正にそうだと思った。親はどうしても子どもの言動をジャッジしたがってしまう。自分がそうだったから、よくわかる。
「そうじゃなくて〜、そうそう」という感じで、自分が知る限りの良い方法を教えようとする。でも私の経験の中で、子どもたちが自分で見つける方法の方が良い時が多いので、私はすぐにその「親らしさ」を手放した。その代わりに「わ、よくそんな方法思いついたね」と感心するだけの人になった。
なんと楽なことか。
思えば、我が家は全員がスーパーセンシティブ(超敏感)な性格を持っている。外ではそれなりに人並みに振る舞うけれど、心は忙しい。家で一緒に食事をする時、またお茶を飲む時間になんとなく家族のメンバーがポツリと「今日こんな人がいてさ、こんな風に言われちゃった」と呟こうものなら、全員が「かわいそうに...」「それは辛かったろ?」と声をかける。
本人はなんとなくモヤモヤとした心が落ち着くのか「ま、私が悪いんだけどね。その人もびっくりしただろうね。」なんて、その感情をうまく成仏させることが出来る。同感、共感、よりそいと優しさ。それがあれば心の栄養は十分な気がする。
飽くまでも繊細さん勢揃いの我が家での話。3人の子育てを終えて感じることは、大人になる間に随分といろいろなものを身につけてしまったな、ということ。結局本当に大切な人を目の前にしたら、そんなものは必要なかった。世間で言われるどんな近道も役立たなかったということ。目の前の大切な人との対話とよりそい以上に大切なものはなかった、ということ。
*シンパシーとエンパシー
シンパシーが同情的な思いやり、共感(自然に生まれてくる)というのに対しエンパシーは自分とは違う人への感情移入、共感。そこから生まれる思いやり。こちらは想像力が必要。
どちらか片方ではなく、両方がとても大切。
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