世界の英語学習者と話して気付く日本のこと
前に世界ベースのオンライン英会話ライブのことを書いた。無料体験の3回のフリーレッスンのことをもう少し書こうと思う。英語の先生として、日本人として感じたこと。
無料体験の3回のオンラインレッスンでは、アメリカ、南アフリカ、イギリスの先生が授業を進め、生徒はサウジアラビア、中国、コロンビア、インドネシア、中東、ヨーロッパ諸国からも数名、そして各クラス8名中に一名日本人がいるかいないかという感じの、正にグローバルなクラスルーム。そこで気付いたことを書き留めておく。
たった3回の体験レッスンだけれど、私は明らかに世界の他の英語学習者に比べて日本人の学習者が積極的に話さないことに気付いた。「聴くだけ」ボタンがあって、それをオンにしておけば先生に当てられることはない。授業中に「誰か、トライしてみて」と挙手を求めることもある。私が見た日本の学習者は「聴くだけボタン」になっているか、全く挙手をせず当てられた時だけ話す。私のクラスのレベルは中上級。日常会話十分レベル。レベルチェックではその結果が出ているのだろうけれど、やはり「話す」ハードルは日本人には特に高いことがよくわかった。
そこで私の英語指導者モードが立ち上がる。知識としての英語をたくさん学んだ私たち日本人が圧倒的にアウトプットや英語を使うことをしてこなかったその結果がこの様に出てきているのだ、と確信した。中東やヨーロッパ、アジアでも日本以外の中上級クラスの人たちは、文法的な間違いをしながらもどんどん話す。話しながら先生に直されて、また話してどんどん上手になっていく。「やってみたい人」では我先にと手を挙げ、最大限にその「話す」場所で練習し倒す、という気持ちが見える。
英語の会話で多いいろいろなトピックでの意見交換や自己表現の場では、明らかに聞かれたことと違う内容を答える日本人学習者が目立った。読み、聴き、文法知識のチェックテストで「中上級」となった人たち。ある程度英語の知識がある方々だが会話の緊張感からか、しばしば聞かれたことと全然違うことを話している。それも一件でなく幾つかのケースを見た。全部日本人だった。レッスンのスピードや先生の投げかけがざっくりし過ぎている場合、多くの学習者は「もう少し詳しく説明してくれますか」や「例を出してもらえますか」など尋ねるのに、日本人学習者は質問をしない。思い込みだけで答えてしまう。それも気になった。
英語講師の性か。日本人の英語以前の根深いマインドの問題をまた考え始めた。偏った英語教育。そもそも英語はテストに通るための方法、そう考えるのは楽だしそれはそれで意味がありそうだけど。これからはきっともっと身近な問題になってくると思う。英語での意見交換、自己表現。
ふと自分の学んできた環境を思い出した。私の知る限り今までの教育活動の中で日本語でも「意見交換」「自己表現」の機会があっただろうか。本気で自分の中から言葉を紡ぐ経験があっただろうか。
そして気軽に質問できる環境はあっただろうか。「もう一度言ってほしい」「詳しく説明してもらえますか」「例を出してほしい」と生徒が気軽に聞ける環境があったか。
「グローバル社会」という言葉ばかりが取り上げられ、実際はずっと変わらない教育を続けていること、また今なお続くこの国の英語教育の迷走を嘆きたくなるけれど、私は私に出来ることを目の前の人たちと実現していこうと思う。目の前の人たちに、私が感じたことを伝えていこう。