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マネージャーの資質?

共に働く仲間にとって理想的なマネージャー像と自分の目指したい姿にギャップがある場合、どうすべきだろうか。
大企業では組織力学というものが大きく働く。
特に予算時期、思い描く活動を実現するためにこの組織力学の理解は重要である。しかし、社内政治は自分の本当に使いたい時間の使い方ではない。可能な限り、社会課題を解決する技術開発に自分の時間を使いたいと思ってしまう。根からのエンジニアなのだと思う。でも、予算の獲得はとても重要。だから心の中で複数の人格を戦わせながら、何とか前に進めている。
ただ、ロジックの前提が違うのだ。
会社の利益を優先する場合と、社会貢献を謳う場合は、ストーリーは結構変わってくる。後者の方が圧倒的にワクワクするのに、前者の小さな話をしなければならないのが辛い。マネージャーなのに、1つのプロジェクトにこだわっている自分もいて、色眼鏡つけた状態で技術のマネジメントをしてもよいのか??とも思う。

また別の問題。帰属意識が強いほど、その組織のルールに沿ってベストな行動をとろうとする。しかし、一方でそのルールは最適化されていないことにも気づく。歪みを抱えている。構造的な歪みである。順応な人ほど仕事量が増える。これが本当に厄介である。静かにその人の尖っていた能力を曇らせていく。僕はこうなることは避けたい。

さて、組織論をデザインする側も、良かれと思った施策が意図せぬ副作用を生む。多くは説明が的確に伝わらず、全体像を理解できぬまま目先のKPIだけが誇張され一体感を失っていく。行動経済学を思い出す。このあたりはインターナルコミュニケーションがとても大事なのだけど、苦労されている印象を持っている。

しかし一方、自分が理想だと思う組織像も、おそらく実際に運用してみると想定しきれていなかった問題を生み出すのだろう。「組織は人なり」が真理なのであれば、「音楽と数学の交差」でも考察したように人は不合理を抱え込みながら生きるのだから、完璧な構造などはない。テクノロジーの発展に伴い、循環と前進を合わせて組織論は螺旋状に進化していくものなのだと思っている。

せっかくマネージャーをこの歳で経験させていただいているのだから、構造的に完全になり得ないルールに縛られ、埋もれるのだけはやめておこう。大きく変えるつもりは全くないが、その時々の時勢に合わせてより良いものに変化させていく。その起点でありたいと思う。

何これ、主題が回収できずにテーマもとっ散らかっている。
消化しきれていない今の状況がそのまま反映されてしまった感じ。
まぁ良いか。これも1つのプロセスだと割り切ってここに記録する。


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