音楽と数学の交差

海外留学中に、海外で活躍する日本人から刺激を受けながら「パラレルキャリア」という概念に出会い、その結果、当時「趣味」として好きだったピアノ弾きを、キャリアとして認め、自分が思う存分弾くことを許したある日。

そのときから、音楽を経営やマネジメントに活かしていくことを真剣に考え始めたような気がする。

並行して、帰国後ふとしたきっかけで「数学ガール」に出会うことで、「大学への数学」レベルで止まっていた数学への理解が奥深く広がっていった。また数学の理解を深めることで、現代物理学や宇宙論についても興味関心が拡大した。

その後、実際のマネジメントに音楽的な観点を独自に組み込みながら、その効果について記録してきた(事例)が、このNote のタイトルにある「数学と音楽の交差」という本に出会い、まだ言語化できていなかった何かが全て繋がった気がする。


『一般に私たちが音楽とよんでいるものは、あらゆるものごとの背後で働いている、自然界の根源にして起源である宇宙の調和、すなわち宇宙の音楽から、知性がつかみとった小さな縮図にほかなりません』

ハズラト・イヤーナト・ハーン著「音の神秘、生命は音楽を奏でる」


古代ギリシアでは宇宙の調和の根本原理が「ムジカ」であり、その調和が「ハルモニア」とされ、 音楽そのものも 宇宙の音楽 /人間の音楽 /器楽の音楽 の3つに整理されていたらしい。

…星の動きを観察しながら、そこに音の調べを感じて「宇宙の音楽」の存在を想定したのはすごくロマンチックである。

ピタゴラス派の人々は 学問をまず「数」と「量」を扱う二分野に分け、それが静止しているか運動しているかでさらに二つに分け、四つの教科に区分した。 今の学問に近いもので表現すると /数論 /音楽 /幾何学 /天文学である。

…音楽と数学の関係を述べる書物は過去にも幾冊も目を通してきたが、「数」と「量」の違いについて述べてから、さらにダイナミクスの有無で分類している記載は自分にとっては初見であった。音楽と数学の関係性を適切に示しているように感じる。

『対称性が崩れることで今の宇宙は誕生し、かつ、宇宙が元来もっている原理に「対称性の自発性破れ」が含まれている』 

佐藤文隆著「破られた対称性」


『外なる宇宙、内なる宇宙』という表現で、人の内側に広がる時空(ミクロコスモス)と人の外側に果てしなく広がる宇宙(マクロコスモス)との対応について考えている。
『音楽は表層心理だけでなく深層心理まで深く入り込み…つまり音楽もまた宇宙になりえる』このあたりの表現も、なんとなく言いたいことがわかる。

ここで私が最もハッとしたのは、「対称性の自発的破れ」が全ての対象において通じていること。
自分も中で、対称性(≒安定)を揺らがせるのは「テンションコード」だと捉えていたが、それは自分の中の狭義の空間の一表現だったのだと気づくと共に、より抽象的な表現を知り得たことを嬉しく思った。

メロディックグラビティでも考察したように、なぜ対称性を破ることに人が感情的に惹かれるのかを、より本質的に表現しているように思う。

つまり人の心の「内なる宇宙」も対称性を根本としつつも、その破れにより深い広がりをもつ豊かな精神世界を構築している。だからそのような音楽に惹かれる。ただし、対称性が破れすぎると精神はバランスを保てなくなる。

また、この対称性の破れが美の根本問題でもある。ランダムともいう。
そして、このランダムは実は素数の現れ方にもつながるところがある。また数学に話を戻そう。

これを見つけたのは20世紀のゲーテルであり、世に知られる「不完全性定理」である。秩序ある世界を探っていくとランダムが見つかった。秩序ある世界の大もとにランダムがあるということ。
これは全知全能の存在を神、あるいは「美と調和」や「この宇宙」を作り出すものを神とすると、秩序の中にランダムを見つけたことによって、神が葬り去られたことになる…

だんだんと発散してきたので、この辺りでこのNoteを閉じる。

『一般に私たちが音楽とよんでいるものは、あらゆるものごとの背後で働いている、自然界の根源にして起源である宇宙の調和、すなわち宇宙の音楽から、知性がつかみとった小さな縮図にほかなりません』

この言語化によって、僕の中で繋がったというNoteであった。
なかなかそれを具体的に説明するのは難しいことも実感した。

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