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『古今著聞集』刑部卿敦兼と北の方02(ウソ後編)

(昨日 ↓ から続き)

 じつはこの「扉罪(ぴざい)」の「ぴ」は、他の漢字で表記されることもあったのだが、「被」「比」「卑」がそれに当たり、ほんの一部だけなぜだか「美」の字が当てられた往時の日記も残っている。
 頭を上下から挟む拷問。
 ならば確かに「扉」や「被」の字が使われることに不思議はない。ところが「比」「卑」「美」に関しては、どういう経緯でこの漢字が当てられるようになったのかはいまだ以って不明である。


 そして最も重要なことは、どの漢字を使うにせよ、この「ぴ」が何を指し示すのか、少なくとも14世紀ころまでは世界の誰にもわからなかった、ということだ。
 おかしな話である。
 平安時代が終わるのは、12世紀の後半なのに。
 その訳は、「扉罪(ぴざい)」に使われる拷問器具の形を見れば諒解されるはずだ。
 見た目は、完全にピアノ。
 つまり「扉罪」とは、現代人の感覚で言えば、ピアノの鍵盤とフタの間に頭を置いて、扉を閉めるかのようにしこたま頭を挟み打ち続ける拷問なのだ。



 発見された場所や時代がまったくそぐわないこの手の物品は、一般にオーパーツと呼ばれる(out-of-place artifacts)。コスタリカの石球や、厩戸皇子(聖徳太子)の地球儀。始皇帝の兵馬俑からクロムメッキの剣が出てきた例もある。
 14世紀のヨーロッパで生まれた、ピアノの原型であるクラヴィコード。
 その西洋打楽器(ピアノは打楽器である)に酷似した、しかも拷問器具が、いったいなぜ12世紀の東洋に生まれていたのか。これには歴史家も音楽家も、首をひねるばかりだという。
「打つ、という点くらいしか共通点が見つかりません」とも。

 なお、国内唯一の「扉罪(ぴざい)」に使われたピアノに似た拷問器具は、東京大空襲で焼失を余儀なくされた。
 しかしながら刑部卿A氏の日記だけは残っており、そこには「極めて甘く美しい音を響かせた」という趣旨の記載が残されている。
 これが心躍るピアノ的な音色なのか、はたまた拷問に苦しむ罪人の呻き声だったのかは、刑部卿A氏のみぞ知る、といったところだ。

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