岡山・大阪・京都で叫び散らかした旅行記 第二夜、砥石・乙子編
☆前回までのあらすじ☆
岡山にやってきた並木満、旭日亭さくらさんにDMをもらい爆発。小学校以来の幼馴染であるなつおくん(並木のアイコンを描いてくれている人)に怪文書を残して邑久へ向かうのであった…。
ということで、旅行記二夜目です。
前回の記事のラスト通り、旭日亭さくらさんに声をおかけいただき、宇喜多ゆかりの地を案内していただくこととなりました!拙文ではございますが、ぜひお楽しみください。
☆24日、朝
目が覚めたら10時でした。
見知らぬ天井に差し込む昼前の光を呆然と眺めること0.3秒。本態性高血圧の特権である目覚めばな飛び起きをかまし、ノータイムで時計を確認し愕然。
並木満、平均睡眠時間10時間超人間、初手で寝坊をかます。千利休を招いた茶会で寝坊した牧村利貞の逸話が脳裏を掠めましたが、今はそれどころじゃない。
本来ならば午前中に林原美術館あたりを回る予定でしたが、断念し支度。また次の機会に林原美術館に行きます。そのうち行かなきゃならない予定はなんぼでも出てくることでしょう。化粧が明らかにいつもより濃いことを全力で無視し、ホテルを出ます。なんだこのアイメイク。
☆赤穂線とJRとわたし
赤穂線はだいたい1時間に1本程度のペースで岡山から播州赤穂に向けて運行しているとのこと。約束の時間にちょうど良い便があったため、それに合わせて行動しました。岡山駅が目の前のホテルでよかった。
我が地元にはJRが走っていませんので、JRに乗るということ自体がわりと特別な感覚が大人になった今もあります。切符も駅員も存在しない沿線で育ちました。JRという文明を拒み、吉田松陰を学問の神と崇める古代都市・世田谷。その辺の因習村と一緒にしないでいただきたい。コンビニに全裸のサラリーマンがご来店する奇祭も定期的に開催されます。
だからこそ、JR線に乗るということはたいていが楽しい旅の記憶と共にあります。新卒で入ったブラック企業の最寄りはJR山手線御徒町駅やったやないかい、ということは思い出してはいけない。
昼の赤穂線は思った以上に乗客が多く、写真は撮れませんでした。日頃ボックスシートが存在しない生活圏の人間、座れただけで御の字です。隣にいる若い女性三人が話すえげつない恋人トークをBGMに、窓から見える山々を眺めるという優雅な時間を過ごしました。人生経験が極端に少ない陰キャオタクが言うのも何ですが、その男性とは一刻も早く別れたほうが人生の為になるであろうという感想を持ちながら、邑久駅で下車。
ひとまずトイレはないかと探す並木。駅を出て左手にわりと新しめのトイレがありました。ふと看板を見るとオストメイト対応トイレも。施設系社畜介護士、ちょっと嬉しくなりトイレの写真を撮るという不審行動に出ます。通報しないでください。
☆さくらさん登場、語彙力爆発する並木
駅前の看板を眺めていると、さくらさん登場。待ってくださいめちゃくちゃ車かっこいいですね初めまして並木満です。
完璧な挨拶ができたとその時は思っていましたが、純粋に言葉のソートを失敗しています。ゆるコンピュータ学ラジオのデータベース回を100回見直してほしいものです。
さくらさんの車に乗り込み早々にお話をいくつか。八丈島からお帰りになったところでしたので八丈島の話も。そうか、いまは飛行機が飛んでいるんですね。並木が聞かされていた母の話では、かなり長い時間の船移動でしたので、時代は変わった…と思っていました。
八丈島トークに花を咲かせ、しばらくすると砥石へ。おいおいこれ歩いてたらだいぶ歩いてたんじゃないかい、という顔をしてしまいましたが、だからさくらさんがDMしたんじゃろが、と一人で納得していました。納得力ナンバーワン。
確かに比較的平坦な道のりではありましたが、これを踏破するつもりだった並木、だいぶイカれてしまっています。日頃こんな旅ばかりをしている自分に若干引きながら、車を停め砥石城跡へ。
車中、登山トークから蚊への対処の話になりましたが、二人揃って効果覿面なのはヤンマのオブジェであると一致しました。なおこの時点でさくらさんと並木両者でヤンマのイントネーションが違いました。なんですかね、西か東かで違うのだろうか。
並木はヤ↓ン→マ→、さくらさんはヤ↑ン→マ→でした。こうしてみると真逆。
☆砥石城
砥石城入り口に見覚えのある並木。これあれだ。茅野のちょっとした山だ。一夏を茅野市の山奥……洒落て言えば奥蓼科、現実を言えば熊と猪が跋扈するメー○レの社員保養所の近くで過ごしていた経験がそう囁きます。
この日のためにおろしたasicsの靴で登ること10分ほど。すでに息が上がっています。所詮この者も東京のモヤシ……モヤシはこんなに中性脂肪が多くないし脂肪肝でもないので、それ以外の表現がしたいところ。胆嚢に14mmの腫瘍もあります。
とは言え、道のりは比較的整備されています。ところどころ枝が派手に道を塞いでいましたが、おそらく伐採してそのままになっていたのが道に落ちてきたのではないでしょうか。いやわかりません。なんらかの野生動物がちぎった痕だと言われれば並木は信じると思います。
さくらさんが「これ、前にはなかったと思う」と話されていたロープですが、とても便利でした。手すりがないと膝がおしまいになる可能性を秘めていることを知っている膝終わり人(おわりんちゅ)ですので、素直にロープを握り登ります。両膝の靭帯を生贄に捧げた結果、よくわからん人生を送っています。
途中「これは猪が通った跡」と教えてもらった足跡。どうやら大きな個体がいるのかもしれません。うちの山小屋界隈にいた猪の跡よりも深く力強かった。やはりメ○テレの社員に餌をもらうような軟弱な猪とは違うということですね。やめろメーテ○社員ども(※20年ほど昔の話で今はどうかは知りません)
少し上がってきたところで曲輪がいくつか見えてきました。
これが宇喜多PR隊さんのご尽力で立てられた看板!こういう看板があると城初心者たいへん助かります。
日本史(それも中世〜近世史)を趣味にしておきながら城巡りはほぼ初心者です。宇和島城で天守台から降りられなくなって絶望する程度には初心者です。その節は本当にご迷惑をおかけしました。
科学特捜隊ジャンパーのさくらさんにポーズをとっていただきました。ここで変身を!?!
途中、宇喜多直家公に励まされながら(知ってる絵柄だな…とは思ったものの、突っ込めるほど余裕のない軟弱並木)普段高齢者を担ぎ上げて暴れている時とは違う筋肉を駆使し本丸跡へ。
そして本丸跡
高い。山だ。いや山だったじゃろがい。吹き抜ける風がこの日はわりと強く、陽射しと久しぶりのアクティビティでかいた汗が本来の目的通り体を冷やしてくれます。ただし息は上がっている。
喫煙歴10年以上、いくらここ数年でIQOSに変えたとはいえ、そろそろやめ時なのかもしれないとその時は思いました。現時点でやめてないのでもう無理なんだと思います。
ところで、Googleマップくんが「砥石城と高取山城は徒歩27分だよ!アハハ!」と教えてくれたので、さくらさんに訊ねたところ「あの辺だよ」と高取山城址の界隈を教えてくださったのですが……近くね?
いや、そうか、そうだよな。山だから徒歩だと時間かかるだけで、直線距離そのものはほとんどないじゃん。
長野の山小屋、ちょっと登ったところに某球団の元監督の別荘があったんだけど、めっちゃ笑い声響いてた…あの距離感だ。こりゃ攻め込まれるよなぁ…何もかも筒抜けになりかねないもの。
並木家も何か手違いがあったら某監督宅に攻め込んでいた世界があったかもしれません。紳士の球団許すまじ。
ここで生まれ育ったまだ幼い直家公が見た光景のすべてはわからないけれど、想像するだに恐ろしいものだったのではないかと思います。
写真を撮りつつ、人がいないことをいいことにどんどん声が大きくなっていく並木。この時点からやや様子がおかしい。フラグです。
下山の際、何度か足を枯葉の下の地面の凸凹に取られかけましたが、その辺は昔取った杵柄、登山好きの祖父に連れられ南アルプスを責めていたあの頃の気持ちを思い出しながら踏ん張っておりました。なお、登る際掴んでいたロープは下山の時に痛いほどありがたみがわかる模様。ありがとうございます。助かる初心者がここにいます。昔取った杵柄なんて言ったって、いうてそれ30年くらい前の話ですからね。
下山しながら八丈島の明日葉の話に。そういえばうちの祖母は明日葉を八丈草と言っていたな……?と思っていたのですが、果たしてそれが明日葉で合ってんのか分からず発言しませんでしたが、帰ってきて調べたらやはり明日葉のことだったようです。本土の東京ではそう呼んでいたんですかね。
そしてさくらさんがおっしゃってた「明日葉は意外と夏は採れんので」について、いまいちピンときてなかったのですが、盛夏時期は新芽があまり出ないということをのちに知りました。よく考えたらそりゃそうかもしれない。なんであれ新芽をつけるとなりゃ体力使いますからね。
☆調子に乗る並木、停波する宇喜多
その後、車に戻り一路、宇喜多一門供養塔がある大賀島寺界隈へ!前日も思っていましたが、思った以上に宇喜多の足跡が残っているというか、残すために各方奔走してくださってるんだな…という印象。
文字に起こせば簡単に言葉にできますが、成すとならば大変なことです。
そして、この移動期間あたりで頭のおかしさが臨界点に達した並木、「ラジオやりますか」と突如ツイキャスを開くという暴挙に出る。
運転までさせた上でさくらさんに喋らそうとしている極悪人が助手席におります。こいつニコニコしながらスマホ取り出しおって。スマホ画面割れろ!
ちなみに「流石にそれはどうかと思う」という直家公の思し召しかは存じませんが、途中電波状況の影響で突然キャスは切れました。竹林に突入した瞬間にブチッと配信は切れたようです。
なおそれでも諦め切れなかった並木はのちにまたリベンジします。諦めろってんだよ!
☆大賀島寺界隈、宇喜多供養塔
途中地元の車がカーブ沿いで突っ込んでくるというハプニングもありましたが、無事に大賀島寺界隈に到着。並木的には「長野県の峠でやたら見た」光景でした。向こうもまさかそこに車がおるとは思わんのですよ。クラクションだいじ。
大賀島寺、この界隈はかつて周りが海に囲まれていたため、大賀「島」寺だとのこと。
そしてさくらさんのその言葉でもっと早く察するべきでしたが、この界隈に海があるってことはもう乙子城まわりはそりゃ全部海ってことですよね。地図で確認すると、「謎は全て解けた」顔になりますね。
古畑任三郎だったら途中照明FOからのピンスポで田村正和が喋り始めるやつだ。CMにも入ります。
ということで、胡乱なことを思いながら宇喜多一門供養塔を眺めます。
五輪塔が三基あり、石卒塔婆もありました。寺内の宇喜多関係のものをすべて一箇所に集めたものだそうです。
いずれにしても特に何か記載があるようには見えなかったので、もしかしたら風化して読めなくなっちゃったのかもしれませんね〜などと話し、碑にも目をやりますが、こちらも風化激しく、というか日本語が難しすぎて風化してなくても読めない可能性すらあるのではないかと思う並木。
不勉強が身に染みる。
供養塔に手を合わせ、心の底から謝り倒します。日頃のご無礼をどうかお許しください。本当に許してください。いや、フリではなく、本当に申し訳ないことをしていると思ってるんです。創作で大暴れしています。現在進行形です。許してください。よろしくお願いします(?)
これで何を言ってもいいと判断した迂闊な並木は、旅が終わってしばらく経った先日、加来先生の利休門下本を読んでいたら見つけてしまった「爆死した宇喜多直家と同人種の松永久秀」というワードで「爆死した宇喜多直家!?」とフォロワーと盛り上がり(日本語って難しいね)、「直家さん、どうしたんですか?プロスピAで爆死しましたか?」ととんでもない煽りをしました。
宇喜多直家はダルビッシュ有だったんか?ちなみに最近プロスピAで爆死したのは誰でもなく私です。くやしいね。
☆備 前 ホ グ ワ ー ツ
そこから少し移動、アサギ平へ!
季節が合えばアサギマダラが舞う高台、とても見晴らしが良い!あっこれは画像というより動画だな、と思いました。思ってしまった。
「さくらさん!動画撮りましょう!」
この時点で並木はだいぶイカれていました。いや普段からだった。
そしてそんなおかしな並木に「よしいこう!」とノってくれるさくらさん。最高かよ…
その結果が、こちらの動画になります。https://x.com/namikimcr/status/1728406293441122575?s=46&t=T1cawgv_pyvFY_iFXpthuA
全部さくらさんにやってもらってんじゃねえか!!!さくらさん、本当にありがとうございます…
動画内で引くほど並木がびびってますが、実はカメラを回しはじめて初めてあの滑空台に行ったのであれが初見の反応です。
先述した通りの若干強めの風も相まって、そしてなんだろう、台があることによって登山とは違うスケールで「高さ」を感じました。
備前はここで飛行訓練をはじめとしたさまざまな術を子どもの頃から学ぶんですね。だから備前出身の山本由伸はあんなにタイトル取るし、頓宮裕真も首位打者を取ったってわけです。あの二人が備前出身なのめちゃくちゃネタとして引っ張りたいのに飛行とは特に関係がなかったな。
そしてちょっと離れてみることで改めてわかる砥石城・高取山城の近さ。三谷幸喜ならこれでシチュエーションコメディを書いてくれると思います。ラヂヲの時間のノリでお願いします。
また、素人の感覚ですが、「山」と「平地」の差が結構あるように見えました。宇喜多時代からきちんと干拓事業を行なったが故の地形なのかもしれないです。詳しいことを話すと知識のメッキが剥がれそうなのでその辺は雰囲気で感じてください。
動画内に出てくる直家さんからのお茶会の誘いはちゃんと「不参加」に丸をつけた上で「残念です!またの機会に…」と一文添えておきました。それは執行猶予になっただけではないか?
☆大賀島寺
アサギ平からまた移動、大賀島寺です。
ここは直家時代の1570年に一度火事で燃えてしまったのを秀家時代に復興、さらに池田家時代である1781年に再建されたものだそうです。
非常に厳かな作り。宇喜多家菩提寺としてある程度の庇護があったのでしょうか。池田時代に再建ってことはなんらかあったのかなぁ。その辺は不勉強で分かりませんが、説明文にもある通り、江戸中期〜後期っぽいゴージャスな感じというよりは、質実剛健な雰囲気のある本堂でした。
本堂屋根の感じとか、寺院建築に疎いのですがなんというか独特の雰囲気がありました。なんというか、『強』を感じた。宇喜多菩提寺ともあればそれだけの威圧感があるのかしら。池田家がそう思っていた説もある。それはそれでどうなの?
☆餘慶寺 鐘とピアノ
大賀島寺から少し上がったところには餘慶寺があります。ここには宇喜多秀家公がさまざまな事情(とてもぼかした表現)で九州から持ち帰った梵鐘があります。
さまざまな事情パターン、ありとあらゆるさまざまを知っている戦国時代の皆様を思い浮かべ頭が痛くなる並木。いやまあ並木のイチオシは朝鮮半島の国宝をちぎったという本当によくない話があるのでもうだめです。
この梵鐘、説明文によるとどうも本来は一向宗の寺院に寄進されたものらしいです。どうもこの界隈のお寺さんは密教系が多いので、それはちょっとなんかあるのかな、と。その辺はわかりません。不勉強シリーズ。
そして餘慶寺の六角堂に突然鎮座するピアノ。
さまざまな事情でピアノを触る人生は送っておらず、野球だ演劇だと生きていた並木。ピアノは一切わかりません。弾けたら楽しいだろうな…と思っていたところ
えっ…………多才………!?
六角堂の構造上、奏でられる音の響きがとても幻想的。並木の語彙力では表しきれませんが、これなんらかでイベントできそう!?という企画脳が大騒ぎしていました。
実際、すごくロケーションが良かったんですよね。並木の写真スキルでは伝わりきらないのが本当に残念。
餘慶寺じたいはおそらく神仏習合なのでしょうか、お隣に権現様も鎮座していました。餘慶寺さんは天台宗なので日吉さんだと思います(確認をしていないよと言うポーズ)いずれもほぼ直角の位置に存在しているので同じ視角に寺も神社もあってすごく面白いなと思いました。
と、思って流石に餘慶寺さんのホームページを確認したところ、新太郎政権下できっちり寺院整理をした影響で明治新政府も口を出せなかったようです。勉強になるなぁ〜〜〜
参考:餘慶寺さん公式HP
また、餘慶寺横には和田一族供養塔もありました。兒島家系図の先には宇喜多氏の名も出てきますね。
おおよそまあ、内容的にもそういうことなんですけど(ニュアンス通じて欲しいよと言う顔)、この供養塔が建立された世代はちょうど高度経済成長期。
石碑の説明を照らし合わせて考えれば、おそらく界隈の経済的開発に反発した地元有志によるカウンターだったのでしょう。文化的な側面を主張し開発にストップをかけるという構図なのかしら。
ちなみにこの写真を撮ってる後ろでは柴犬さんとお散歩されている男性が。この山道を犬と歩くのは大変ですが楽しいですよね。遠目に会釈。可愛いですね。
☆乙子城、直家国盗りはじまりの地
餘慶寺を後にしていよいよ乙子城跡へ!
さくらさん「この道、生まれて初めて通るんだよね」
突然の爆弾発言でしたが、まさかここにきて初めての道を通るとは思っていなかった。確かに車では入ったことない道、あるあるですね。ちなみに「そんな絵みたいな角度の橋登ることある?」みたいな橋でした。
河口沿いだから橋桁が高いのか?とも思うのですがいまだにあれがなんなのかよくわかっていない。
乙子城周りはかつてほぼ海だったということは理解していましたが、当然ながら現在は田畑の広がる平地です。干拓には骨が折れたろうなと思うと、山と海だけは贅沢に存在する日本で暮らすことの大変さを感じることです。並木は関東平野出身なのでその辺が実はよくわかっていない説があります。いやまあ玉川兄弟による治水事業とかね、江戸湾埋立とかはありますけど…
乙子城はそんな平地に中に突如として現れるタイプのこんもりした山。そこまで大規模ではないものの、見える範囲でその傾斜の激しさがわかります。
あれ?大丈夫か?砥石でだいぶ結構大変だったんですが……そのあたりは登ってみないとわからないので、ここまでの経験を踏まえた尋常ではないハイテンションの方が勝ちました。宇喜多直家国盗りはじまりの地!?!?!!
こういう石碑が置いてあるところも、実は私にとっては意外でした。第一夜でも触れた通り、岡山界隈であまり宇喜多の話はできないものだと勝手に思っていたので、地元の方々の努力を感じます。至近距離に存在する井伊直弼の墓と吉田松陰の墓を持て余しているうちの地元とは「郷土史」への考えが違うのかもしれない。
石碑の周りは一応囲いがあるものの、めちゃくちゃ「入っていいよ!」感がありましたので入って写真撮りました。いやまあ、そこまで寄らんと読めんしな…
そして乙子城に足を踏み入れます。
足元には無数の落ち葉。枯れ草が相変わらず地面を守っている……と思いながら足を踏み入れ2歩目で気がつきました。どんぐりが落ちてんな。それも無数も。
これは砥石にはなかったものです。そういえば砥石城址ってどんぐり落ちてなかったな!?さくらさん曰く「この辺は猪がいないみたい」ので、おそらく砥石界隈もなんらか実を結ぶ木はあるものの(ありそう)、乙子はそれを食うものがいないためこうしてとんでもない量が地面に散っているのでしょう。
砥石よりは整備されているが明らかに一歩一歩が大きい乙子城址を登ること数分、なんらかの建物が見えましたが、神社の社でした。先ほどの鳥居はこれのためなんですね。なお写真を撮れるほどの余力がなかった。
並木満、本日2度目の禁煙&断酒決意。2時間後には消えてしまうシンデレラより儚い魔法ですが、このときには確実にありました。
登り切ると、木々に囲まれた乙子城本丸跡。
あれ?狭くない?
思っていた以上に、こう、本丸として最低限考えられるであろう敷地面積が狭い。庭&駐車場込みだったらせいぜい4LDKでは!?!?!?!!と思う並木(そこまでではないはずです)
さくらさん「ここに30人ほどの家臣や家族が住んでいました」
さくらさん、オタクにその言葉は色々な意味でなんらかのフラグになりますよ???
雨○純が言っていた「某マ○チ商法に引っかかった若者たちが詰め込まれるタコ部屋」よりかはまだマシだな…という今後の人生でおそらく使うことのないであろう感想が浮かびます。できれば使わない人生を送りたいものです。
しかしこれは………ぐるぐる目のオタク。ここまで言っていませんでしたが並木満は8歳の時に実母がその辺に放置していたJUNEでBL(なんて言葉は当時なかった)にのめり込んだ過去のある女。いやその前にトーマの心臓は読んでます。どっちやねん。
ともかく、人間関係が否応なく物理的距離によって強化されるシチュエーションに「オイシイ」と思ってしまうタイプの人間です。学園パロディなんてもんじゃないですよ。全寮制でも体育館で全員雑魚寝が日常の学校みたいなもんですよ。
後述する動画で「個人のプライバシーはないものとする」と話していますが、おそらく担保はできないというか、当主である直家公すらも生活がフルオープンです。むしろ進んでやりそう。断食日設けるくらいだし。
逆に定点カメラ置いて「乙子城ライブカメラ」とかでYouTube配信をしてほしい。お前はナミブ砂漠のライブカメラを想像していないか?昔よく見てましたし、妹が最近またよく見てるそうですが、曰く「この前奇跡的にオリックスとバッファローが揃って水を飲んでいた」そうです。ナミブ砂漠にもオリックスバファローズは存在することがこれで立証されました。砂漠から頂点を目指します。
話が大逸れしましたが、まあそのような状況でして、乙子城での暮らしがいかばかりかと思案するに十分でした。
また時間もちょうどよく夕暮れ時。愈々日没に向け地平線に吸い込まれる太陽の光があまりにも鋭角に刺さり散らかしてきます。そういえば今日もわりと暑かった。晴天の国、ネタバレになりますが全日程晴れでございました。流石でございます。
どうしてこのiPhoneはいま「流石兄弟」を予測候補に入れてきたんだろう。確かに流石兄弟の801本をコミケで買って読んでいた過去はありますけれども。
そして、目線が上がると急にわかる「この周り全部海だったんだ」感。ひょっこりひょうたん島みたいだな…と何度か口を滑らせましたが、実像はいかに。一頻り写真を撮り、たくさん喋り、よし帰るか!と降り始めたときに気がつきます。このどんぐり、やばい。
山道あるあるですが、山道を降りる時、一番怖いのは段差でも急傾斜でもなく、足元に無数に散らばるどんぐりどもです。こいつらに足を取られる並木。さくらさんも一回足を取られてたのでよほどですよ。直家公、これが罠ですか?だめですよこれ、特定通常兵器使用禁止制限条約に明らかに引っかかります。BC兵器かな。B(生物)かC(化学)かで言えばBですかね?
この手の山は登るより降りる時の方が怪我率高いので、相変わらず膝終わり人は慎重に降りました。無事でよかったけど次回のためにもう少し鍛えていこう…そう誓います。現在まだなんもやっとらんけど。
☆備前ラジオ!!
そこから岡山まで、さくらさんに送っていただきました!感謝……その感謝に便乗する悪いオタク並木。先ほど直家公に「だめだよ♡」と亀戸組のはるしげのように優しく回線を切られていたことをすっかり忘れ、こんなことを言い始めました。
「ラジオ、リベンジしましょう」
どうしてもラジオをやりたい並木。正直ここの空気を一人で受け止めきれないという意味でもありました。誰か、この会話を聞いてくれ。
そしてバイパス前あたりからのラジオがこちらです。
ツイキャスからそのままの動画ですので、読子ちゃんや並木のフォロワーネタも全て入っています。そのあたりはノリで察してください。本当にずっとこのテンションでした。さくらさん、本当にありがとうございます!
ということで、並木の岡山二夜目は無事に終了でございます。心の底から様々な縁に感謝する一日となりました。実際にその地を回ることで想像力にブーストがかかるあの感覚、やはりいいものです。
本当にありがとうございました。
次回、並木再び死す!備前長船編!お楽しみに!