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フォーカスは「他人」では無く、「出来事」に向ける

他人から攻撃された時、

陰口を言われた時、

仲間外れにされた時、

腹が立ちますよね。

この腹立たしさは、相手から無価値な扱いを受けたから、カチンと来ている訳です。

誰だって自分が尊重されないと、腹が立ちます。

相当、出来た人でも、その瞬間は腹が立つと思います。


問題は、カチンと来たその直後です。

湧き出した怒りに呑み込まれる人と、
サッと切り替えがつく人に分かれます。

このお話しは、いつもの「生きづらさ」を手放す事からは少し離れて、

どちらかと言うと、メンタルをコントロールするテクニック的な事かも知れません。


怒りに呑まれる人は、
自分に無価値な扱いをした相手にフォーカスします。

気持ちを切り替える人は、
相手よりも、無価値な扱いにフォーカスします。


相手にフォーカスした時点で、無価値な扱いを受けた、という出来事は、人間関係になります。

私達が自由にコントロール出来るのは、自分自身の心だけです。

フォーカスが相手に向いた時、人生の中の「今」の主導権を相手に明け渡した事になります。

相手の心はコントロールする事が出来ません。
仮に無礼をはたらいた相手が、謝って来たなら自分の気持ちはスッとするでしょう。
逆に無礼をはたらいた相手が、更に無視したなら、怒りは倍増するのではないでしょうか。

つまり、自分の心は相手の出方次第であり、主導権は相手にあります。

自分の人生の「今」なのに、主役は相手なのです。

フォーカスが相手に向いた瞬間に、主役交代が起こり、心を明け渡す事になるのです。


切り替えが効く人は、無価値な扱いを受けた瞬間には、カチンと来てフォーカスが相手に向いても、

即座に、無価値な扱いを受けた、という出来事にフォーカスします。

出来事は次々に起き、次々に過ぎ去ります。

無価値な扱いを受けた、という出来事も次の瞬間には、過去の出来事です。

出来事にフォーカスを向けるだけで、無価値な扱いを受けた事は、過ぎ去った過去になります。

その出来事を自分好みに意味づけして、望む感情を手に入れます。


例に挙げたのは、無価値な扱いを受けた時の事ですが、

他者にフォーカスを向けるのでは無く、出来事にフォーカスするクセをつける事は、

人生のあらゆる場面で、自分を助けると思っています。


忘れてならないのは、

私達は、起きる出来事を選ぶことも、
他人の心をコントロールすることも叶いません。
自由にコントロール出来るのは、自分の心だけ、だということです。

コントロール不能な他人に、自分の人生の「今」を明け渡す事は、

自分の人生の主役を降りるということになります。

なぜなら、
過去は過ぎ去ったもの、未来はまだ訪れていないもの、です。
過去と未来は、想念に過ぎず、
私達が触れる事が出来るのは、「今」だけです。

そして、
人生は「今」の連なりです。


「今」を疎かにしたり、

「今」を諦めることは、

人生を捨てることと等しいのです。

「今」の主役も、

人生の主役も、

他者に委ねる事の無い様にしたい、

そう思っています。



読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム






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