「アンガーマネジメント」という言葉は、よく耳にします。
直訳すると「怒りの管理方法」という意味です。
怒りの感情と上手に付き合うための心理教育または心理トレーニングのことで、
最初は犯罪者の更生プログラムとして1970年代に生まれました。
それが企業の研修などに拡がり、現在では広く一般にも知られる様になりました。
「アンガーマネジメント」の起源が犯罪者の更生プログラムであることを見てもわかる様に、
怒りの感情に突き動かされて、一生を台無しにしてしまうことは、珍しくは無いと思われます。
私達、人間はいろいろな感情を持つ感情の動物です。
多種多様な感情の中にあっても、「怒り」は特殊な感情であるとともに、そのパワーは、はかりしれないものが有ります。
それ故、「アンガーマネジメント」が広く世間に知れ渡ることになったのだと思います。
よく
「人は、図星を言い当てられると腹が立つ」などと言います。
これは、「怒り」の特殊性によるもので、
「怒り」は、二種類あるのです。
一種類目は、私達もよく知る「正当な怒り」です。
例えば道を歩いているときに、いきなり殴られたら、「怒り」を覚えない人はいないと思われます。
この様な理不尽極まりない仕打ちに対して湧き上がる「怒り」が「正当な怒り」です。
勿論、その際「怒り」に任せて、やり返したらそれこそ取り返しのつかないことにならないとも限りませんから、自分自身で管理することが重要です。
二種類目は、他の感情を覆い隠すために現れる「怒り」です。
他の感情をガードする目的を持つので、テープ式心理学では、「ガードの怒り」と呼んでいます。
「怒り」に覆い隠される感情は、ほとんどの場合「無価値感」という感情です。
なぜ、覆い隠す必要が有るのでしょうか?
それ程までに、見たくない、触れたくない、感じたくない感情だからです。
「人は、図星を言い当てられると腹が立つ」というのは、
ほぼ無意識のうちに、自分にも他人にも触れさせない様にしている無価値感に、他人が
触れてくるから、です。
では、その無価値感とは何でしょうか?
無価値感は「自分には価値が無い」という感情です。
無価値感は、ほとんどの場合が幼少期の親との関わりで、
常に否定的に扱われることによって心に貼り付いた「言われ無き思い込み」です。
自分の存在を尊重されず、
自分の感情を許されず、
自分を蔑ろにするしか無かったために、心ならずも、心に貼り付けた「言われ無き思い込み」です。
他人に知られることは許されないのです。
自分でさえ触れたくないのです。
だから「怒り」で覆い隠します。
だから「怒り」でガードするのです。
この幼少期の親との関わりによって、心の奥に抱えてしまった無価値感は、「ガードの怒り」とセットと言って良いと思います。
それこそ無価値感を覆い隠すために現れた「ガードの怒り」なので、本人は「怒り」のみを感じ、無価値感は感じないで済む訳です。
この「怒り」は、
時に破滅に導きます。
時に虐待に、時にイジメに、時にDVに、導くのです。
虐待する親は、心の奥に重大な無価値感を抱えています。
述べました様に、無価値感はどうしても触れたくない感情なのです。
親は無抵抗な幼い我が子に苛立ちます。
この子が言うことを聞かないから、
この子が聞き分けがないから、
この子が悪い子だから、
だから「怒り」をぶつけます。
親は悪い子だから、とその子を責めます。
本当は自分の触れたくない無価値感から目を逸らすために、子供を貶めてその場限りの「有価値」を得ていることを、親は気付きません。
怒りをぶつけることを、躾けだと思います。
責め苛むことを、教育だと思います。
奪っているのに、与えていると錯覚します。
「怒り」を愛あればこそと解釈します。
無価値感を覆い隠す「怒り」は、ぶつけやすい方向に向かいます。
ほとんどが無抵抗な弱者に向くのです。
家庭内では、子供に向きます。
なぜ、弱者に向くのでしょうか?
虐待する親は、その親からかつて虐待されています。
本来、自分に無価値感を植え付けた親に、「怒り」を向けるべきですが、
生まれた時から虐げられる環境だったので、
無価値感を抱えていることに気付いていないか、
親が言う様に、愛されていたと思っているか、
虐げた親のコントロール下に今だにいるか、
その何れかか、複合した理由かはわかりませんが、
偽装した「怒り」は、ぶつけやすい方向に向かいます。
無価値感に苦しむ親には、我が子が自分を慕う姿が、
絶対服従、無抵抗の姿勢に見えてしまいます。
かくして、「怒り」は子供に向かうのです。
イジメやDVも、舞台が違うだけで、無価値感から目を逸らしたい人が、
ぶつけやすい人に「怒り」をぶつける構造は同じなのです。
虐待も、イジメも、DVも、人間関係の中で起こることなので、
母はこうした、子供はこうした、
Aくんはこうして、Bくんはこうした、
彼はこうして、彼女はこうした、
という、「関係性」に解決の糸口を求めがちですが、
問題は
母親の、Aくんの、彼の、
心の中、
もっと言うなら、
無価値感を覆い隠す「怒り」の向く方向にあります。
先ずは、自分の「怒り」は無価値感を覆い隠す「ガードの怒り」であることに気付いて、
その原因となった親子の関わりから、目を逸らすことなく見つめて、
ぶつけるかどうかは別の問題で、
自分の無価値感を刻み込んだ出来事と人に、
正しく「怒り」を感じることが大切です。
「怒り」を向ける方向を見つけることが、
虐待からの、イジメからの、DVからの、
脱却の第一歩だと思うのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム
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