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自然なポジティブ感情は「方向良し」のサイン

抱えていた「生きづらさ」は概ね手放す事が出来た、と思ってました。

それは、間違いでは無いと今も思っています。

根拠は、

世界が変わり、生きづらさを感じなくなったこと。

これまで、どこか他人事の様に思えていた自分の人生が、リアリティを持って「これが自分の人生」と感じられていること。

幼少期に受けた虐待を積極的に話したい(吐き出したい)とは思わず、かと言って「目を逸らす」「直視出来ない」といった事では無く、体験談として話すことは、全く支障無いのですが、「自分の心を救う。」「解放する。」といった観点からは、「もう、いいかな。」といった心境に自然となったこと。

過去やネガティブな感情への執らわれが、解放された感覚が有り、
フォーカスが「今」に移ったのだと思います。

テープ式心理学の創始者、仁先生が、「ネガティブに飽きる。」という表現をされるのですが、
まさしく、飽き飽きした事を実感し、実体験として、納得しました。

挙げればキリが無いぐらいに、全てが切り替わった実感がありますが、

同時に、私は愛情をたっぷり注がれ、自分の存在や感情を否定的に扱われる事無く、尊重されて育った健やかで伸びやかな人とは、「種類」が違う事も強く感じています。

自分の「生きづらさ」の原因である、心の傷を取り払っても、その残骸や痕跡までもが綺麗サッパリ消え去るものでは無く、「種の違い」として残り、

時に、現在の出来事に反応しヒリついた痛みを感じる事もあります。

勿論、かつての様に痛みを伴って発生したネガティブ感情に翻弄される事はありませんが、痛みを感じる事は、間々有ります。

そうやって、「生きづらさ」を手放した後の感情の景色にも少しづつ慣れては来たのですが、

ごく最近、久しぶりに心に転がる残骸が、盛大に反応し、その事によって、
残骸は、私が思っていたものよりも、随分大きい事を知りました。

残骸が反応したきっかけは、24時間の介護が必要になり、施設に入居している母に会いに行ったとき、

かつて私を虐待した母が、幼い日と同じ内容の事を、同じセリフで私にぶつけて来た事です。

幼い日、繰り返し繰り返しぶつけられて、深く傷ついたセリフを、タイムカプセルを開けたかの様に、寸分違わず突きつけられて、残骸が近頃に無く反応し、ヒリつくよりも強い刺す様な痛みを感じ、

残骸は思ったよりも大きい事を知ったのです。

幼い頃に戻った様な奇妙な感覚を覚えました。

「生きづらさ」を抱えていた頃は、心が痛むとそのままネガティブ感情に飲み込まれていましたが、

今回は呑まれる事は無かったのですが、タイムカプセルの日から数日経って、心の様子が少しおかしい事に気がつきました。

「生きづらさ」を手放した後、今回程では無いにしろ、残骸が痛みを放った後に、現れる事が幾つか有る事に気がついていました。

先ず、手放して依頼、「雑な言葉づかい」がどうにも居心地が悪く、自然と雑談でも、意識しなくても、丁寧な言葉づかいになっていたのですが、

タイムカプセルの日以来、雑な言葉づかいの方が居心地が良く、たとえば、
「マズいですね。」が「ヤバいっすね。」に変わるのです。
雑な方が居心地が良いので、言葉は雑に、雑になって行きます。

気分はネガティブtoポジティブが
0%to100%として、
60%程度の「ほんのり心地良い」状態を中心に比較的狭い範囲で推移していたものが、

タイムカプセル以来、良い時は90%ぐらいまで駆け上がり、悪いと真ん中の50%を大きく下回る、振れ幅が大きい変動を感じます。

この変動を実生活に落とし込んでお話しすると、

良い時は、どうしても押し付けがましく、
悪い時は、わかって欲しい、が強く出ます。

これは、私がもともと、感情の境界線が曖昧で、
良かれと思っている、と自分勝手に思い込み、
受け入れてもらう事を欲している状態です。

与えているつもりで、奪う人の典型、
愛情不足を他者で補おうとする人の典型です。


感情の境界線が曖昧な事も、
愛情不足で育った事も、

ある程度、ネガティブな思い込みを取り払えた事で、

現時点では、実生活に困らない程度の「個性」であり、少しづつ継続して取り組む課題であり、

取り払えない分は、私の個性として、全面的に受け入れようと腹が決まった事で、
随分、生きる事が楽になったのですが、


今回、タイムカプセルを開けた事で、残骸は思いのほか大きくて、

生きる上で、もう少し取り払う事が出来たら、
より生き易い、と思ったので、

今一度、本格的に取り組みたいと思っています。

予想外に、どちらかと言うと望まない方向の出来事に後ろ向きな気持ちは少しも無く、

課題が明らかになったことを、前向きに捉え、

何より、課題に気づいたこと、
これから取り組むことに、

気付けば、「楽しさ」を感じている自分に、これでイイ、方向はイイ、と思っています。

ひとつ解放しても、課題は見つかりますが、その時、その事に相対する自分の中にポジティブな感情が見つかったなら、

私は「方向良し」のサインだと思っています。



読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム


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