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「恋愛依存」幼い日満たされなかった人の恋

「どうしてこの人は私をわかってくれないんだ。」

「どうしてこの人は、私の愛に応えてくれないんだ。」

恋愛の初期、世の中の全てがきらめいて見えます。

なのに、時が流れて或いは直ぐに、きらめきは苛立ちに変わる。

この人じゃない…。

次の恋に落ちても、また同じことを繰り返す。

きらめきは決まって苛立ちを連れて来る。


乳幼児期、幼少早期は特別な季節です。

親(特に母)と子は感情の境界線が極めて曖昧な、母と子供が一体となった蜜月の時を過ごします。

その期間はその子の長い人生の中にあって、唯一「無償の愛」を思う存分享受出来る時です。

しかし、この期間に何らかの事情によって、充分な愛情を受け取る事が出来ない子がいます。

受け取る事が出来ないばかりか、逆に母が子供から受け入れられようとして、結果子供の方が母親に愛情を注ぐ親子の役割逆転が起きたりします。

そうなると、その子に自覚は無くても、その子は「愛情不足」「愛情飢餓」の状態に陥ります。

時が流れ、その子も成長します。
大半の場合、自分が幼児期の「愛情不足」から、愛情を求めて止まない状態だ、などとは夢々思いません。

ただし、何らかの「生きづらさ」「苦しさ」を自覚するかも知れません。

怒り、虚しさ、寂しさ、苛立ち、等などネガティブな感情に振り回される事も多いと思われます。

乳幼児期から幼少早期は特別な季節である、とお話ししました。

人生には、乳幼児期、幼少早期ほどでは無いにしろ、自他の感情の境界線を曖昧にさせる程の特別な蜜月の期間があります。

それが「恋愛」です。

母と子の蜜月の期間は、依存の概念では括る事が難しい特殊な一体感があります。

それに近しい感覚になるのが、恋愛なのです。

ワタシはワタシ、アナタはアナタという当たり前の境界線が曖昧になります。

気付けば、恋人の為と思って苦しい立場をひたすら我慢する日々を過ごす事になったりします。

これは、幼い日の「愛情不足」を原因とする「生きづらさ」を抱える人に限らず、健やかに育った人とて、恋愛の、依存の概念に納まりきれない感情に翻弄される事は珍しくありません。

それ程の魅力、破壊力が恋愛にはあります。

それが、本人の自覚は無いにしろ、ヒリヒリに喉が乾いた様な「愛情飢餓」感を心の奥底に抱える人だと、

本当に命がけの恋愛になる事もあるでしょう。

「どうして私の愛情に応えてくれないんだ。」

という思いは、私を見て、私を褒めて、私を認めて、私を愛して、

といった隠れた幼児期の不満に結びついている事が多い、と考えます。

幼い日、母を慕って、母の望む子供になろうとします。

しかし、自然な子供心は無償の愛を受け取りたいのです。

それを押さえ付けます。

本当は無条件で愛して欲しいし、褒めて欲しいし、認めて欲しいのです。

それを、この子は全部我慢します。

対象が母親から恋人に変わっても、求める物は、「満たされぬ愛情」なのです。

きらめきが苛立ちに変わった時、
「どうして私の愛情がわからないんだ。」と外に答えを求めても、導き出されるのは苛立ちの堂々巡りです。

生い立ちの望まぬ事情によって満たされなかった「愛情飢餓感」が、

母子の蜜月期にも似た、自他の境界線が曖昧な恋愛という状況下で

普段は、感情の不安定さに手を焼きながらも、持ちこたえていたのに、

堤防が崩壊してしまうのです。


そして、境界線が曖昧だからこそ、あの人はどうしてわかってくれないんだ、と相手に原因や答えを求めようとしがちですが、

そこには、原因も答えも見つからない様に思います。

原因も答えも、あるのは自分の心の中です。


タイトルで「恋愛」と謳ってますが、これは自覚無く愛情飢餓感を抱える人の「人間関係」全般に当てはまる事だと思います。

言い換えるなら、
自覚無く愛情飢餓感を抱える人は、恋愛に限らず「人間関係依存」「人依存」とも言えます。

私は、自覚無く愛情飢餓感を抱え恋愛に悩む人で、長期的に安定した良好な交友関係、人間関係を構築した人を、あまり知りません。

おそらく、その融合感や一体感から、よりわかり易く現れるのが「恋愛関係」ですが、

実際は、「愛情不足」の解消を人間関係全般に求めている様に思います。

愛情不足の人は、我慢一辺倒から苛立ち一辺倒へ、極端から極端に振れがちです。

人から好かれたくて(愛情が欲しくて)我慢を重ね、自覚していない幼児期の不満が爆発して相手に密かな敵意を抱きます。

そもそも心は傷だらけで、愛の備蓄タンクはカラカラです。

それでも愛して欲しくて人と近くなり、勝手に無理をし、我慢をし、勝手に限界を迎え、求める様な愛を与えてくれないその人に、敵意を持ち、ぶつけます。

それを延々と繰り返す傾向が強いです。

極端から極端に揺れ動く心は、愛情飢餓感に振り回されている状態ではないか、と思います。

いわゆる白黒思考の原因は幼少期の愛情不足が原因で、

それは意図せず、他者を巻き込み、自分を苦しめ、安定的な人間関係の構築を阻害します。

生きづらさには、色々な現れ方がありますが、ひとつの極めて苦しい現れ方ではないか、と思います。

それ程、幼い日の愛情不足は、その人の足かせとなり、その人の人生に影を落としますが、

そこから抜け出す事を願うなら、相手や周囲は答えを持たない、と腹に落とし込んで、自分を見つめ、自分の中に答えを見つけるしかないと思うんです。

この様な「生きづらさ」の現れ方は、
本当に苦しいと思います。
とても寂しい思いをされたと思います。

だからこそ、

自分を見つめて、見つめて、
答えを見つけて、見つけて、
ご自分を救って欲しい、と願います。

積み重ねる道は、遠く感じます。

しかし、気づきは一瞬なのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム









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