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オンライン下だから得られる現地からの学びの可能性 #12 旅のように学ぶ

大学は開かずともバスの窓は開いている。そんなご時世である。

そんな状況下で大学院に入学した。私、専門は建築(と都市)のデザインである。

私は閉鎖的な大学院は好きではなかったので山の上にある自校の進学に乗り気ではなかったし、環境も変わらないからげんなりしていたけれども、オンラインだったら、ちょっと融通が利くようになるのかなとか、講評会の時やエスキスの時に変に感情的に責められる、あの若干理不尽なことが減るのかなとかちょっと期待はあった。

大学院とはいえ普通に授業がある。設計の課題(=プロジェクトの立案)も出される。というより自校は設計課題がいわば修士論文になるという変わった大学院である。それ故に相当な成果が求められる、そんな学校だ。

不安を片手に、設計課題の対象を長崎に決め、一人長崎に飛び込んだ。祖父は長崎にいるし、少し人伝てを伝えていただいたから何か得られるかもしれないと思った。オンラインで逐一報告ができるから、横浜の学校に帰る必要もないから、ある程度はしっかり現地調査(リサーチ)ができる。だけれども、設計のタネが得られないかもしれないという大きなリスクもあった。しかし、何か得られるかもしれないという、その勘は当たっていたように思う。

現地でやるとやはり見えないものが見えてくるのだ。

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そこに住んでいる人はいわばその場所の専門家であった。

いろんなことを教えていただいた。斜面方向は空き家もできやすい。火災を防ぐために、バケツや池がありがち。斜面の階段は豪雨の時は水が流れて危ない。空地は管理しないと、細い道では治安の悪化につながる。斜面方向でない道が重要。すれ違い時は挨拶をする。墓や海が見える。

生活が見える。実態がわかる。

そして人伝てが広がり、運よく、近くに住まわせていただける機会も得ることができた。オンラインであるから、いくら長く住んでいても問題ない。その利点をふんだんに利用してやった。そして、住んでいるとわかることがたくさんある。

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雨が降ると、斜面を背にしている側はとても、法面を流れる雨音が聞こえる。

日差しがすごい。景色が良い。風通しも半端ではない。

そして、長崎の斜面住宅を再活用しようとするたくさんの人がいる。

そんな方々と仲良くなりながら、時にはお手伝いもしながら、進めていった。これはとても生きているな。と思った。学校からある意味で離脱し、それが楽しくて仕方なかった。

設計課題とは、確かに現地でリサーチは行うけれども、その対象はモノの観察に終始されがちだし、どんな人がいるかの詳細は後回しにされやすい。それは街をよくしようとしても、我々は最終的なアウトプットが建築であるから、モノの言語を用いて確かに帰着しなくればならないからであろう。だけれども、モノの言語だけで語られると、単純化された人の関係以外が無視されて、なんだか専門用語でオブジェクトが語られているだけに聞こえてしまう。だけれども、アウトプットが建築であるから、オブジェクトとしての聞こえがいいと、評価に繋がってしまう。昨今はわかりやすいものが建築に限らず社会で持て囃される風潮があるから尚更であろう。そして、モノの言語という、いわば専門用語は、素人にとっては理解できないものであるから、評価されて(しまって)いるものが何故評価されているか理解できない。そんな状態にあるように思う(ものも多くある)。

果たして、そんなものが良い建築、良い場所作りのであって良いのか。

思い返せば、わざわざ都市計画の研究室で設計したり、卒業設計がランドスケープが含まれていたりと、分野の垣根があることをずっと疑ってきたように思う。権威主義的な面があるものわかるようなわからないような感じがして、それ故に陰ではたくさん独り文句も言ってきた。

だけれども、その勘は間違っていなかったように思う。

結果としては、ギリギリ成立するかしないか、くらいのものであったし、モノとして良いかはまだわからないし、脆弱点もたくさんある提案になったとは思うけれども、なるべく単純化せず、現実を反映しようとした、その行動自身に作家性を求めることはできたのかなと思う。(案については今日は書きませんが、気が向いたらまとめたいと思います。)

すべてのものがオープンになってきている時代である。ブラックボックスはもうほとんどないのである。

わざわざ閉じられた環境でやる意味はあるのか?

「脱学校の社会」とか言っている側が、学校に縛られてどうする?

場所に縛られず、既存の枠組みに縛られず、自分たちをクリティカルに批評する視点を持つことが、そもそも自分たちの新しい創造力や良さを引き立てていくだろうと思う。(何故か他人や都市は批評するのに、自分たちそのものを批評できないのはなんでだろうね?)

建築創造は批評の学校だ。鋭く切ってくるならば、私も鋭く切ります。そんな感じで闘いながら、人には優しく、のほほんと生きていきたいです。

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課題は終わったけれども、まだ長崎にいます。なんだか厳しくて、くどい文章を書いてしまったけれどももっと大きな学びや感想をかければいいかなと思います(多分次回以降はもうちょっと現場から楽しい文章を書くはずです!)。よろしくお願いします。

またまた週1noteに参戦しています。仲間の記事もよければご覧ください!


最後まで、ありがとうございます。糧になります。