見栄という頭を疲れさせるもの

見栄を張るということは多分誰しもやりたい、やったなどあると思います。

やはり人間なので他の人よりも良くみられたい、だから努力するというのは悪いことではないですが、マウントを取ろうとしたり、誰かを蹴落としてまでそこまで行こうとすることはあまり羨ましくないというのが私の本音です。

また毎朝よく見られたいが為に服選びに時間かかると、朝から脳が疲れてしまいますし、服を買いに行ってもそれだけ時間が消費されてしまい勿体ない気がします。

見栄が自分の時間を沢山奪い、疲れさせているのがよく考えるとわかるはずです。

そこで何に重きを置く方がいいのか、それは自己満足と人間関係だと思います。

ある統計では人生で幸せだったという人が大事にしていたことは友達との関係が良かった人たちだったそうです。

たしかに同じ志で同じ方向に向かう人と苦しみながらも楽しんで生きていけるのは、幸せなことだなと思います。

また死際にあれもやっておけばよかったやあの時こうしておけばよかったと控えめに生きてきた人は後悔し、毎日少しでも前に向かって成長した人は悔いなく後世につないでいく。

やはり後者の方が生きた気がします。

見栄というものは、ビジネスにおいてもよく使われています。お洒落で高い服やいい車、いい時計など、どれも見栄を張って自分の存在を主張するかのような使い方をしています。

それによって色んなものに価値がついて、世の中のお金が回っているので、資本経済全体で考えると大事なことでもあります。

しかし、先ほども話した通り人生においての幸せは見栄ではなく、人間関係と自己満足である。

"嫌われる勇気"という本でも人間の悩みは全て人間関係が関与していると言っています。

人にどう思われようとも、自分のやりたいことをやり、同じ志の友達と一緒な成長していくことが1番大切なんではないかなと思いました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?