Vol. 83 結局のところ「親ガチャ」はあるのか?

ここ数年インターネット上で「親ガチャ」という言葉をよく聞く。

要はどんな家に生まれたかで人生決まる、親は選べないのでガチャ(ガチャガチャ)のようなもの・・・という意味だ。5ちゃんねるなどで自称「底辺」という方たちがよく使っているように思う。最近では親ガチャという表現について「不謹慎ワードではないか?」と論争まで起きているようだ。

確かに親ガチャという表現自体は良くない。
ただ、生まれ・育ちによって人生が左右されるというのは否定できない事実だと私は思っている(注:100%決まるということではない)

【理由1:経済的影響】
裕福な家に生まれた子供・貧しい家に生まれた子供では受けられる教育が全く違う。分かりやすく言えば「医者の子供は医者」。
これを言うと〝奨学金が〜〟と反論されるだろう。しかし普通に考えて欲しい。月10万の塾代を出してもらえる子供・毎日アルバイトしなければご飯さえ買えない子供、どちらが医学部に入る確率が高いか? 

【理由2:遺伝的要素】
人間には持って生まれた能力というものがある。これは否定できない事実だ。「とびたかを生む」ということわざもあるがこれはごく稀だ。稀だからこそ諺になる。分かりやすく言えば「万年体育2だった私から大谷翔平は生まれない」。

【理由3:親の育児能力】
残念ながら虐待のニュースは後を絶たない。
世の中には「親は子ができた瞬間から親」「母親とは皆〝母性〟をたずさえたものである」という神話があるように思う。しかしそれは違う。親になってはいけない人も親になれる。生殖機能さえ整っていれば。
幼児期に目一杯の愛を浴びて育った子供、一度も抱きしめられず育った子供。どちらが心の安定した大人になるだろうか?

「人は努力次第でなんにでもなれる」
「親なんて関係ない大切なのは自分だ」


ネット上にはポジティブな言葉が溢れ返る。確かに中卒でIT長者になった人もいる訳で間違ってはいない。しかし一方、これは非常に危険な思考でもある。裏を返せば 

「成功していない人=努力しなかった人」


という捉え方になってしまうからだ。
これが長じてメンタリストDaigoのような「ホームレスに存在価値はない」という思想を生む。

人は生まれた時からスタート地点が違う


これを理解することが真の意味での「多様性」を認める第一歩なのではと私は思っている。



【猫ムスメより】
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