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てれび戦士になりたかった私を、ただ無条件に受け止めてほしかったあの日のこと

2〜3週に一度、個別のコーチングを受けるようにしている。
コーチは、もともとオンラインキャリアスクールで仲良くなった受講生仲間のまこさん。

せっかくコーチング受けるならと思い、今までの関係性と意識的に変化をつけるため、敬語→友達言葉にし、呼び方も「さん」から「ちゃん」へ。

個人的には、アンネが日記帳に「キティ」と名付けて親しみを込めて話しかけるような、そんなスタンスで対話をするように心掛けている。

今日は2回目のコーチングセッション。
前回も大きな気づきがあったけれど、今回もとってもいい気づきが得られたので、大きな自己開示だけどつづってみようと思う。

コーチングって?という方は、ぜひまこちゃんのnoteを読んでみてくださいね。

お散歩道に立ちはだかるドッスン

前回のコーチングから今日に至るまで、ものすごい絶望した日があったのでその話がメインテーマに。
幸い前回のコーチングで「ジャーナリング(ノートに思っていることを書き出すこと)」という手法を教えていただいていたので、なんとかその場は心を切り替えることができた。

ノートの一部。
とても他人には見せられない鬱々とした言葉がずらりと並ぶ。

当時のことを振り返りながら、「そのときの感情を表すとしたら、どんなイメージかな?」とまこちゃんに聞かれた。

「しんどい」
ただ一言、それがすべてだと思っていたけれど、どんなふうにしんどいのか。
色のイメージや、ビジュアライズするならどんな感じか、など、感覚的なことを聞かれて、少し考える。

悩んだ末、私が出した言葉は、「るんるんるんって気分よく散歩してた途中で、スーパーマリオのドッスンが突然目の前にドカーン!って出てきたイメージかな」だった。

▲探せど探せどドッスンの公式画像がないので、とりあえずGoogle検索で1番上に出てきたドッスングッズのリンクを置いときます……

この表現を思いついたとき、めちゃくちゃしっくり来たのです。
というのも、私が一番メンタルに来るときって、何かに足を引っ張られている感じでもなく、心を締め付けられている感じでもなく、何か目障りなものが目の前に立ちはだかって気分を害される。
そんなイメージなんだよね。
それを自覚できて、「しんどいって感じるときって、目の前にドッスンがいるのか」と理解できた(実際にはいない)。

コーチのまこちゃんも、「モヤモヤしたりしんどいときには、ドッスンが現れたな〜とまずは存在を認識してあげるのが大事だからね」と教えてくれた。

ドッスンの正体、それは……?

では、ドッスンの正体がなんなのか。
何が私の気分を害し、るんるん気分のお散歩タイムを邪魔してくるのか(すべてイメージの話です)。

きっかけはいろいろある。
いろいろあるけれど、総括すると「誰かと比べて自分の至らなさ、無力さ、情けなさ、惨めさを実感したとき」が共通して言えるようだった。

というのも、これは過去のいろんなnoteや発信でも小出しに明らかにしているんだけど、私、自分大好き人間なのだ(めっちゃ恥ずい)。

結局自分を嫌いにはなれない。
どんな自分であっても。

「紛れもない私のままで、大丈夫って思えるその日まで」の一節

これはもうほんとに、今までそんなことないよ?って体で生きてきたんだけどさ。
私本当に自分が好きなんです。
嫌いになれない。
かわいいと思っちゃうし(外見だけじゃなくて中身としても)、おもしろいやつだと思っちゃうし、何かしらで有名になったりチヤホヤされるべき人間だと思っている。

根拠のない自信……いや、自信ではないけれど、そうあるべき人間だと、思っている、のかな。

なのでね、例えば私なんかよりもずっと収入が高かったり。
お子さんにいい教育の場を与えていたり。
子どもの人数が多かったり。
何かで注目されたり評価されていたり。
そういう友人を見ていると、「え?なんで?」って思っちゃう。

それは、友人が私よりも劣っている、とかじゃなくて。
「能力も結果もなく、スポットライトを浴びていない私の現実を受け止められない」という感じなんだと思う。

それを自覚する瞬間、私の目の前にドッスンが現れると。
こういう縮図なのだ。

初めて出会った、私のインナーチャイルド

コーチングは続く。

じゃあ、そんな自分大好きな私が自分の至らなさや情けなさを自覚したとき、なんでドッスンに出会ってダメージを喰らうのか。
そこには、私の幼少期の原体験によるほろ苦い記憶が関係していたらしい。

これもね、めっちゃくちゃ恥ずかしい自己開示ではあるのですが。
私、小学校のとき、「小学四年生」という雑誌の読者モデル的なやつに応募したことがあって

▲2012年に休刊していたのね……結構ショック

青森の片田舎で、ぽっちゃり体型で二つ結びのほんのりダサチックなお洋服に身を包んだ少女が、家の隣の駐車場でばっちりポーズを決めて親に写真を撮ってもらって。
応募用紙を一生懸命に書き込んで投函して、一応採用されて誌面に自分の顔が出たわけだけれど。
(コーチングのときは忘れてたけど、クラス内で一部にバレてなんならちょっと笑われたもんね。笑)

さらに言えば、夕方に放送している天才てれびくん。

▲私が見ていたころの番組名は、天才てれびくん→天才てれびくんワイド→天才てれびくんMAXなどなど。いきいきと輝くてれび戦士さんたちは青森の田舎っぺ小学生の憧れの的でした……

私は当時、てれび戦士になりたかった。
そして疑う余地もなく、なれるだろうって当時は信じていた。

無理な話だ。
画面の向こう側にいるのは、選ばれた特別な子たち。
見た目もスタイルも、歌とかダンスとかいろんなことにおいて、普通の小学生とは世界が違う。
そもそも私は地方に住んでいるのに、どうやって天てれに出るの?

でもね、夢だったんだよね。
消防士になりたいとか、アイドルになりたいとか、ケーキ屋さん、警察官、電車の運転手、宇宙飛行士とか、そういうのと同じ。
そんな感じで、私はてれび戦士になれる!そう思ってたけど。


当時も今も、私の母も姉も、このことを笑い話にしてよく話す。
「天才てれびくんに出たいってよく言ってたよね〜」って。

でも本当は、笑ってほしくなかったんだ。
積極的にサポートしてくれなくたっていい。
ただ、「てれび戦士になるのが夢なんだね」って、受け止めてほしかったんだ。

そう気づいたときに、なんだかちょっと寂しいような、悲しいような、でもやっと何かに出会ったときの安心感のような、不思議な気持ちになって、涙が出てきた。


そうか、私は。
ただ母に、家族に、私をそのまま無条件に受け入れてほしかったんだ。


幼心にちくんと刺さった、細い針。
32年間ずっと気づいてあげられなかった心の中の幼い私の存在に、初めて気づけた夜だった。
三角座りで顔を伏せていた幼い私が、泣き腫らした顔を上げてくれたような、そんな気がする。

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