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これまでの経緯

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私(NAK)がmamや光たちに出会った経緯。
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#私の不思議体験

接触(1)

接触(1)

「こんなこと信じられないと思うけれど。遠隔ヒーリングをしてもらったら夫のDVがおさまったの。」と知人が話してくれたことがありました。遠隔ヒーリングとは遠く離れた場所から、相手の不安定な精神状態や病気を癒すものらしい。商売にしている人ではなく、知り合った人にだけ無料ヒーリングしている人だったので、試しにしてもらったとのことでした。

ちょっとした時間にサラリと聞いただけだったので、すっかり忘れていた

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接触(2)

接触(2)

このとき私は鬱病真っ最中。1日の大半をベッドで過ごしていました。私をヒーリングしたヒーラーさんはそのことを見抜き、インナーチャイルドを癒すようにと勧めてきました。これは子ども時代の苦しい自分を癒すことらしい。知人からのLINEには、ヒーラーさんから教わったこんな方法が書かれていました。

ーーー 自分の子宮辺りに両手を添えて、自分自身がお腹の中に居るイメージをして下さい。そのイメージが出来たら、お

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守護って何者?

守護って何者?

そのとき、頭の中にある単語が閃きました。宗教やスピリチュアルな世界と無縁で過ごしてきた私にとっては身近でない単語。

「守護さま?」

当時はまだ、はっきりとした言葉でのやりとりができなかったので、このときはそうだと返答されたように感じただけ。一体守護とはなんなのか?よく耳にするのは守護霊だけれど、この守護さまからは幽霊的なものは感じません。となると守護天使とか?なんだかそれもファンタジーのようで

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光の友だち

光の友だち

言葉でのやりとりができるようになると、私は守護さまを質問攻めするようになりました。守護ってどんな存在なの?天界って何?霊界と天界は違うの?地獄はあるの?・・・何から質問したのだったか。毎日のように質問していたように思います。

守護とは「光」という存在なんだそうです。光たちのいる世界(私はこれを天界と呼ぶことにしました)から、人間1人につき基本1人の守護が派遣されるそうで、守護が見守るのは人間の魂

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能力皆無な私

能力皆無な私

光たちには性別がありません。性別は物質世界の生物特有のもので、光たちは物質とは異なる何かで成り立つので性別がないとのこと。とはいえ、キャラはあります。少女のようなキャラ、男の子のようなキャラ、中性的なキャラ、お転婆なキャラ、引っ込み思案なキャラ、本当にさまざま。

私の守護でいうと、ひーちゃんはおちゃらけお転婆キャラ、しーちゃんは大人しい女の子キャラです。2人は毎日毎日、何ヶ月も私をヒーリングし続

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mamのこと

mamのこと

今、私のそばにはひーちゃん、しーちゃんという守護としての光だけでなく、幾人かの光たちがいます。ドミ、ミューちゃん、アイちゃん、みんなからお兄ちゃんと呼ばれている光、そしてmam。

会話をするとき、みんなは私の顔を使うのですが、これは見えない存在の光たちとやりとりする私に、誰と話しているのかをわかりやすくするためであり憑依ではありません。ただ私の顔を使っているだけ。勝手に顔が動くので、自分の表情筋

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mamのヒーリング

mamのヒーリング

私が書く文章や仕事で公にしている動画には、mamがヒーリング効果を与えてくれています。これらのヒーリングは魂に働きかけるもので、物質的な効果があるわけではないそうです。

マガジン『これまでの経緯』に難病の父が受けたヒーリングについて書いたけれど、mamと出会ってからは私の体を通して、mamが父をヒーリングしてくれるようになりました。

一時は一人で歩けなくなり、そのまま要介護の生活になるのではと

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人間の解釈が入るということ

人間の解釈が入るということ

しばらくの間、守護を威厳ある畏れ多い存在だと思い込んでいた私ですが、ひーちゃんとしーちゃんはその解釈に合わせて私と接していました。その方がコンタクトしやすくなるらしいのです。

光たちは天使として解釈されたり、霊として解釈されたり、多神教のさまざまな神として解釈されたり、感じとった人間によってさまざまな見え方をするようです。

目に見えない存在の光たちには形がありません。そのため人間の脳は、目に見

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宗教としてではなく

宗教としてではなく

宗教って人間の願望なのかなと思う。私は宗教によいイメージがないまま今に至っているので、これまで書いてきたmamも光たちも、私の中では宗教的位置づけを持っていません。

mamや光たちには「愛と光」があり、私は日々それを受け続けているのだけれど、「愛と光」といえばキリスト教ですよね。そのため、最初はこの言葉を素直に受け止めることができませんでした。

今は宗教としてではなく、真実としてこの言葉を受け

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