naka satoshi/仲 悟志

禿です。セーフプロジェクトに関連したよしなしごとを、カエルの亀吉と喋っていたんですが、プロジェクトは頓挫中。 妄言の叩き込み先を探しているうちに、こちらに戻ってまいりました。 富山県で細々と台本書いて演出もやっております。https://blood-panda.net/

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禿です。セーフプロジェクトに関連したよしなしごとを、カエルの亀吉と喋っていたんですが、プロジェクトは頓挫中。 妄言の叩き込み先を探しているうちに、こちらに戻ってまいりました。 富山県で細々と台本書いて演出もやっております。https://blood-panda.net/

    マガジン

    • 氷見の奇祭ブリスマスについて

      昭和40年代に廃れ、急速に忘れられた富山県氷見市の奇祭、ブリスマスについて、氷見市出身の歴史研究家、小説家の野坂利雄先生の草稿やメモを参照しつつ、調査を行う、フェイクドキュメンタリープロジェクト。

    • 血パンダはどうやって演劇を作っているか

      文化庁の文化芸術活動の継続支援事業をきっかけに、文化芸術活動の継続ってなんだよとイラッとした頭を冷やすべく演劇について何か書こうと思ったものの、切り口どうすんだよとなったところ、友人から「ゼロからどういう流れで作ってるの?演劇って」というお題をいただいたので、血パンダの場合について書いていきます。

    • しあわせのかおり前口上

      血パンダ公演『しあわせのかおり』の前口上です。

    • 世界の秘密

      世界の秘密についてをまとめた掌編

    最近の記事

    失われる氷見の習俗について

     氷見市出身の歴史研究家、小説家の能坂利雄先生が残した草稿やメモの類が、氷見市教育文化センターの倉庫に眠っているという話を聞いたのは、平成の終わり頃だったと記憶している。  先生が亡くなったのが平成の初頭の頃から四半世紀、手付かずのまま保管されており、内容についても本格的な調査はおろか、開封されたことのない箱もあるとのこと。  「氷見春秋」周辺には先生と関係の深い人々も居るだろうし、とうの昔に洗いざらい確認しているものと考えていたが、いかなる事情か、そうはなっていなかった様だ

      • 血パンダはどうやって演劇を作っているか 追補1. 会話中の態度

        その4、その5に関わるあたりで、これまではあまり明確でなかった部分について、大幅なアップデートがあり、追補1を加えます。 見ているつもり。脳による補完の利用 血パンダでは、客席に何かを「届ける」ことを意識していません。 日常的な熱量で、写実的であれと意図された演劇が立ち上がる。目の前の光景を、見ている人が見てとるものが全てで、演者たちは「どう見えるか」、とりわけ自分が意図した様に見えているかを考えて、瞬間を重ねていきます。 そのための稽古では、台本の読みの妥当さに適した

        • パターンについて考える

          なんとなくユングと東洋思想というか、要は易なんだろうなぁと思いながらつらつらと資料をひっくり返している。 そもそも、6月中に12月の公演の内容が必要とか言われるので、夏の公演向けの台本を書き終わってすぐに、12月用の台本を書き始めたのが運の尽きというか、ネタ自体はあったので三分の一ほどがあれよあれよとできてしまい、概ね書くことも整ったところで、何か思いもよらぬ要素でもないかと期待して、易に頼って失敗したのが運の尽き。 ここまでが先週ぐらい。どう失敗したのかは割愛というか、そも

          • ブリヌイに見られる環日本海の文化交流

            ロシア料理と思われがちなブリヌイが、実は能登、越中界隈でカブス(漁師に漁の分前として分配される魚)を食べるときに焼かれていた、雑穀のクレープ状のものに、魚を挟んで食べる食べ方と通底し合う食文化と見て良いという、能坂利雄先生の調査メモを読む機会があった。 漁師たちが作る雑穀のクレープには特に決まった名称がないものの、冬季ブリを巻いたものが「ブリの」「ブリのが」「ブリのん」と言われていたものであり、細かく切った魚を味噌などと共に汁気が飛ぶまで火を通した具材を拭い取って生地に乗せ

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            どうやって演技してもらうかについてまだ考えている

            このところ、何もしないをする方法をどうやって役者たちと模索するかばかり考えていて、改めて思い出した。 ロラン・バルトが見て取った様に、文楽人形が人の生きている様子を抽象化して表現しているとしたら、日本において人の姿というのは既に抽象化済みで古典になっているものがあって、だとしたら、現代劇をやるにあたって、生身の人間がどんなに型を求めて研鑚を積んでも無駄だ。 立ち位置を変えないと、古典技法の劣化版をやり続けることになるわけよ。 ちくま学芸文庫で『表徴の帝国』が出た時に即買って読

            隣接するものから展開

            朝っぱらから、「君は間接的にしか関係ない金の話しなんだけど、申し訳ないが御足労願いたい」という電話がかかってきて、起きてからの一連の流れが止まる。 ここで散歩に出ないと、また出そびれると思って歩き始めたところ、虹を目撃。 だが、この虹は「まぁ、いいこともあるよ」ということでもなく、雨の突端が照らされたもの。 慌てて帰り方向に進路を変えたが、ずぶ濡れになった。 イメージの隣接だけで意味もなく展開していくにしても、何かそれらしい法則を決めねばと思っていたので、「間接的に無関係で

            ガンガンセリフを回している演劇を久々に見たら思いついた

            血パンダを結成してこのかた棒読み劇団と呼ばれ続けている関係で、とんと無縁なのだけれど、諸般の事情で最近立て続けに、凄まじい勢いでセリフの発声に抑揚がつき節がつきして、いわゆるセリフ回しが達者という状態を目撃した。 ただ、達者ではあるものの、聞いていて、セリフが回って抑揚がついている割に、ここは強調して、この単語は捨てるのか。おそらく感情表現のポイントがこの辺にかかっているなら、どうしてその言葉は回しているなかで強調されることなく流れてしまうのかと、そんなことが気になって、や

            君に踏み込む気が無くても

            福井で、高校演劇が一本、無かったことにされた。 台本を読んでみたが、小気味よく田舎の空気感を出した高校生には丁度いい感じかもしれないという内容で、福井のご当地ネタとして福井地震や原発に踏み込んでいる。 無かったことになった主な理由が、結構ストレートに原発だったが、台本の方は巧妙に事実だけを踏まえている手つきの良さだし、無かったことにする側も、もうちょっとなんか言い訳考えたまえよと思ったが、この、別のことに気を取られて、表現の自由とか、大き過ぎるお題目についてすっかり忘れてい

            チケットがいい感じで売れるまで、公演の宣伝がわりにいろいろ垂れ流す試みの3

            【チケットはPeatixにて絶賛販売中】 文化庁Arts for the future!助成事業の採択を受けて、2017年に上演した『Generalprobe』という台本を再演する。 とある劇場の予算が減額されるところからはじまる、劇場スタッフの様子を描くバックステージもので、そこに奏者も居合わせて音楽を奏でる。そんな演劇だ。 クラシックのトリオ、トリオ・エスペルトとのコラボレーションで、舞台上に役者と楽団が同列で登場する。劇中の音楽は全て、トリオ・エスペルトの大柴拓さん

            チケットがいい感じで売れるまで、公演の宣伝がわりにいろいろ垂れ流す試みの2

            【チケットはPeatixにて絶賛販売中】 文化庁Arts for the future!助成事業の採択を受けて、2017年に上演した『Generalprobe』という台本を再演する。 クラシックのトリオ、トリオ・エスペルトとのコラボレーションで、舞台上に役者と楽団が同列で登場して、音楽はBGMではなく、奏者が現場の雰囲気を描写して演奏している音楽が流れる、完全な衝突スタイルだ。 音楽は平気でセリフをかき消すので、とにかくセリフが聞こえないと寿命が縮む病があるなら、致死性の

            チケットがいい感じで売れるまで、公演の宣伝がわりにいろいろ垂れ流す試み

            【チケットはPeatixにて絶賛販売中】 文化庁Arts for the future!助成事業の採択を受けて、以前上演した『Generalprobe』という台本を再演する。 初演時とは桁違いの予算があるので、初演の時演奏してもらったクラリネット奏者の西田さんが加入しているクラシックのトリオ、トリオ・エスペルトとのコラボレーション。エスペルトのギタリスト大柴拓さんに、全面的に作曲をお願いした。 コラボレーションというと、聞こえはいいが、大柴さんに「とにかく舞台上は役者と奏者の

            釣りタイトルを付けたい感じの文章なんだけど、ぐっとこらえるやつ。

            疫病の有無ということであれば、今は疫病下に他ならないと考えるわけで、滅ぶのか滅ばないのかはともかく、「大勢死ぬ」「いつも別の原因で死んでる」「まるで嘘」がいつまでも諸説入り乱れているというだけでも、これは本当にたいした事態なのだと見て取れる。 人は、生き死にのことになると、「とりあえず自分は大丈夫なはず」と考えがちで、さて当事者になったとしても実際は正しい選択というのは無いので、各々の状況の中で、選べるものしか選べない。 私、ちょっと前に小脳梗塞をやって、まだ体の感覚と否応

            需要の有無から考えたら……。

            先日から再開している『パイセンのラジオ』。「上手い下手について」考えた後、「美的感覚の更新について」というお題で、数回に渡って泰子先輩が喋っているわけだが、いきなり朗読から始まる回というのを作ってみて、ふと考えた。 朗読需要は独立してあるのではあるまいか。あるとしたら、何を読むべきだろう。 ここだった。ネットの需要を考えたらそもそも人が検索しそうなものを読んでおけば、それにひっかかって、人が来る可能性が高くなりそうだ。 人に見つけられるために朗読を利用するとなれば、相応の作

            プロデュース公演『結論』の準備

            11月の6日、7日にトリオ・エスペルトとのコラボ公演『Generalprobe』を準備しているのだけれども、こちらは再演。 新作を書かないのも寂しいなぁと思っていたところ、来年1月に予定しているプロデュース公演『真昼の藪』(こちらも再演)に参加予定の、体が空いている役者と、ワークショップがてらにちょっと稽古でもという流れになり、集まるタイミングができてしまうと貧乏性なもので、ついつい書いてしまって、こんなことになっています。 はい。10月の頭にプロデュース公演を打つことになり

            パイセンのラジオ第二期

            先日からYoutubeにてパイセンのラジオ第2期を始めている。 第1期は、公演『ときはててのち』の露払いの様なイメージで軽くやっていたものだが、今回はただひたすら「一人芝居かもしれない」という瞬間が発生する可能性を探しながら、無駄に演劇寄りの少し面倒な話題で展開していく予定。 エンターテインメント絡みでもない限り、演劇のトピックはそもそも需要が薄いので、のんびりと模索しつつアーカイブを作っていこうと考えている。 Youtube動画として、一人で喋っている動画はどれも一人芝居の

            その9. ライブ感を保持する

            演劇の何がいいのか。それを演劇でなんとかしようと考えた動機は何か、演じてみようと思った、台本を書いて、演出してみて実現したかったことは何かという初期衝動の様なものがあるとして、それはどこに向かっていくものでしょうか。 乱暴な言い方で簡単にするとしたら、何故演劇をやるのかという問いになりますが、演劇でしかできない事というのは在る筈で、それは、観客となって演劇を見る人たちにどんな体験をしてもらうかということでもあります。 整理しなければならないのは、作る側の意図ではなく、結果とし