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多様性について

世の中いろんな人がいますよね。

最近のSNSでは、これまでマイノリティとされていた方々の活躍が目立つようになりました。

特にLGBTsに対する理解が深まっていることを感じます。

私自身、こういった流れはとても良いことだと思い、喜んでいます。
が、最近少し引っかかりを感じたのでここで発信します。

まずはだいぶ昔の話ですが、「看護婦」ではなく「看護師」と呼ぼう、という動きがありました。
これを知ったのは、まだ幼い頃でしたが、なるほど、と思いました。
たしかに、男性の「看護師」さんもいるわけなので、その方が妥当だな、と。

この流れを受けてなのか、「専業主夫」だとかそういったいわゆるジェンダーフリーが世の中に浸透していきました。

しかし、最近その流れがやや過激であるような感じがします。
いわゆる「言葉狩り」と言われるようなキャンペーンが多く見られるようになりました。

某コンビニの商品名が炎上したのも有名ですね。

私が感じている引っかかりというのは、こういったジェンダーや人種差別の問題に対して、最近やたら過剰になりすぎていないか、ということです。

たしかに多様性を認め合える社会は素晴らしいと思います。
ただ、マイノリティを過剰に守りその他を抑圧してしまっては本末転倒ではないでしょうか。

私は「多様性を認め合える社会」とは、みんな違っていることをお互いに認識しあえる社会だと考えています。

言葉を過剰に気にすることは時に必要ですが、そのことがその他を抑圧したり、当人にとってもありがた迷惑だったりすることも多々あるかと思います。

企業の使う言葉にめくじらを立てて批判するよりも日々の意識を少し変えることが大切なのではないでしょうか。

例えば、コンビニで外国人労働者がレジにいると、なんとなく避けてしまったり、ましてや横柄な態度をとってしまうという人もいるかもしれません。
「女性ならこうあるべき」「男性ならこうあるべき」という偏見をもっている人もいるでしょう。

こういった一人一人の小さな意識を変えることが、それぞれの違いを正しく理解し、受け入れるための一歩なのでは、と考えています。

以上、とりとめのない話でした。
多様性の問題については、それぞれの意見があるのが当たり前なので、自分の考えに固執せず、まだまだ勉強していきたいと思います。

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