先生は妻さん

文章書いて投稿した後、読み返す。

なんか、違うんだよなぁ。


書いているときは、自分に酔っている部分もあり、気にもしないけど(こう書くと恥ずかしい)、時間の経過とともにフツフツと沸き上がる違和感。

原因の一端は分かっている。
妻さんへのリスペクトが、書くということの裏に無意識に濃くシミ出ているときだ。


「何を言ってるの?」と思われるかもしれないけど、実は僕の文章も写真も妻さんの真似から始まっている。

言葉も文章も妻さんは僕の遥か先を行っている。そして、学生時代からずっと読んできた。
影響を受けないはずがない。
というより憧れがあった。ちょっぴり嫉妬もあった。

写真詩も教えてもらった。


良いものを真似るのは悪いことじゃないと思う。というより何事も真似ることから始まる。

だけど近すぎるんだよね。
触れすぎてるんだよね。


自分が書いた文章に違和感を感じるとき、どこかで「妻さんならこう書くかな?」が働いている気がする。
反対に、何も感じないときこそ、僕だけの文章なんだと思う。

例えば、同じ出来事を書いたとしても、「僕の文章だよね」と自分で納得できるところまで、もっていけたらいいな。



あのー、ここまで書いておいてなんですけど、呑気な自分が顔を出してしまいます。
別に楽しければいいんじゃない?って。
そのうちに、自分自身で納得いくもの書けるんじゃないかって。


そうだ。
いつか先生に読んでもらおう。



ま、返事は想像できるけどね( ̄ー ̄)






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