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ほんとうのランニング

46年前(1976年)にアメリカで発売された本。昨年邦訳が出て、カルチャー系のランニングメディアで話題になっていたので読みました。約50年前に書かれたとは思えない、本質的なランニングの豊かさ・精神性について描写されています。現代にも当てはまる、現代だからこそより求められているものがありました。

特に共感した部分を抜粋して私見と共にお伝えします。
(記事内の引用は全て本書から。一部中略を含みますが大意は変えてません)

著者


著者はマイク・スピーノ(Mike Spino, Ph.D.)、元陸上選手・ランニングコーチとして多くの選手を育て、大学院で教鞭もとっていたそうです。

本書の構成

主に2つのことが書かれていました。
1:ランニングの持つ精神性や豊かさ。
2:速く走るための具体的なトレーニングメニュー。
この記事では主に1についてのみ書きます。これは時代を超えた普遍性があるものだと特に感じたからです。

誰に向けた本か

完全に私見ですが以下の方にお勧めです。
A:陸上やマラソン等、競技としてのランニングを一通りやり終えて「もう一度ランニングと向き合いたい人」
B:なんとなくジョギングしてるけどマンネリ化している人

(私はA/B両方に当てはまります)

義務的なジョギング

ランニング大国のアメリカでは50年前からジョギングは人気で、街や公園で走っている人を多く見かけたそうです。ただ著者はそれをやや否定的に描写します。


(多くのランナーを眺めて)驚くのは何ヶ月も続けて同じ距離を同じペースで走る人の多さだ。ほとんどの人はどうやらそれを魅力的には感じてない。これでは喜びというより義務のようだ。

私自身も「今日も走らなきゃ」という義務感が先行することが多く、というかそれが半分以上です。走った後は気持ち良いのですが、走る前・最中は気持ちが乗らないことも多々。

アートとしてのランニング

著者はランニングを「アートフォーム(芸術形式)」だと書いてます。

私が取り組んでいるのは”ジョギング”と呼べるものではない。むしろ、精神と可能性の感覚を呼び起こすための”ランニング”の方法だ。これは計画的なものもあれば、ごく自然に起こるものもある。
たとえば、私はよくサンフランシスコの海岸沿いを走る。1000回やっても同じ体験はふたつとないランだ。この4マイルの途中、海を見下ろす断崖で足を止める。海に出ている船はどんな船か、どんな海の色か、どんな潮なのか。
私はこれを”ファルトレク”つまり「スピードプレイ」で走ることが多い。スピードを変えたり、テンポに緩急をつけたりして、代謝を変化させ気分を転換する。ランニングが進むにつれ、私は無言になり、勢いに任せてスピードを変えていく。初秋の夕暮れ時に走ると、涙が目に浮かぶことも多い。
こうして走っているときに、心が経験するうちなる空間はメディテーション(瞑想)に近い。身体がフィットしてくると心が広がるチャンスが増える。

私もこのような経験をしたことがあり特に共感しました。本書の内容も参考にしつつ、そのポイントを書くと以下のようになります。

#1:自分の外(環境・自然)に意識を向け、季節や自然の変化を感じる。
#2:テンポ(ペース)を変化させ、部分的に速く走る。心拍があがり、雑念が消えて、走ることだけに意識が向く

私は公園や川沿いを走ることが多く、草木の成長・朝日の色・日の出夕日の時間の違い・鳥や虫の鳴き声、等が#1の例になると思います。周囲を意識して見て感じるために、ゆっくり走る、ときどきは止まってみるのも良いかもしれません。

#2の例としては、上り坂だけ速く走る、次の1kmだけペースを上げる等です。心拍が息が上がるので単調なジョギングの良いスパイスになります。少し頑張ってみて調子や気持ちがよければ、そのペースをもう少し維持してもいいでしょう
「走ることだけ」に自然と集中していけます。それは瞑想にも近い感覚です。走った後のスッキリ感や充実感も更に高まります。

ランは活力と意識を高める

気持ちや精神の部分だけでなく、実際的・実務的な部分でもランニングは役に立ってくれます。

ランニングは活力と意識を高めてくれる。まさに私にとってのヨガで、そこでは日々の生活に不可欠な新しいエネルギーを見つけられる。人によって、走ることはうつの克服に役だったり、食欲を安定させたり、体重のコントロールによかったり、とにかく気分がよくなったりするという。
特にオフィスワークをしている人には、朝食前のランは1日の仕事に向けた素晴らしい調整方法になる。仕事の後に走れば、疲れてモヤモヤした頭がすっきりし、家族との時間をもっと楽しめるようになるはずだ。

私が走ることを習慣にできたのも、これらが大きな理由でした。気持ちの安定・仕事へのポジティブな効果。

「仕事前に走って疲れないんですか?」と聞かれたことがありますが、むしろ逆で「大事な仕事がある時ほど朝走って良い仕事をしたい」という気持ちです。

以下は私の過去記事で似たようなことを書いてますが、この本は50年近く前に書かれていたと思うと著者の本質を見る目に脱帽します。

以下記事の2章目(大阪市の章)で仕事と朝ランについて書いてます。

Holistic(全体的)に自己を成長させる

50年前に”将来の運動競技”について考察されています。

運動競技では昔から総合的な能力が試されてきたが、将来的にはコーチも教師も選手たちも、最も優れたアスリートやチームとはHolistic(全体的)に自己を成長させる完全な人々だと強く意識するようになるだろう。
これからのアスリートは肉体的な体験と精神的な体験を調和させることに関心を持つようになるだろう。

現代ではアスリートのメンタルトレーニングは広く知られていますが、当時はそのような概念はまだ色濃くなかったはずです。著者自身のランニングやコーチングの経験から、今後はより”精神面”や”(肉体だけでなく精神面も含めた)全体的な成長の重要性”、を予見していたのでしょう。

我々のように趣味で走っているランナーも、アスリート達同様、長く走り続けるためには精神の調整も大事だと思います。入れ込みすぎず、怠けすぎず、ときどきは楽しみと刺激も入れつつ。 難しいのことなのですが。

また私たちが走ることで得られる精神的なベネフィット(利益)は、アスリート同様に大きいと思います。仕事・家族・人間関係、、大事なことを考える前に走ると、冷静で前向きな判断ができるように思います。

遅すぎることはない

何百という例が、身体能力を高めたり改善したり、回復したりするのに遅すぎることはないと証明しているようだ。

著者はランニングカウンセラーとして中高年層への指導もしています。40代はもとより60代や80代の顧客へのサポートも。身体としての全盛期を過ぎた年齢からでも、適切なトレーニングによって、自己記録を突破したり、できなくなってしまったこと(例:ダンス)が再びできるようになったり、ということを見てきた彼は「遅すぎることはない」と書いてます。

勇気づけられる言葉であり、自分ももう一度ランニングと向き合ってみようと思いました。

まとめ

この本で書かれていることは、習慣としてのランニングをしたことある人には共感できる部分が多いと思います。

50年前に書かれた本が今でも共感できるというのは、これがランニングというスポーツの本質に触れているからなのでしょう。

日本ではランニングはマラソン・競技・ダイエット、という面にスポットが当たりがちですが、このような精神・心をとらえた描写を、ランニング大国アメリカの著名なランニングコーチがされている、というのは意義深いと思います。

「改めてランニングと正対したい」と思う時に読むといい本です。ランニングの多様性あふれる魅力を、ランナーが共感できる言葉で伝えてくれ、走りだす背中を押してくれます。

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