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久しぶりに性別のはなしを

こんにちは。NAOKIです。
ようやく涼しくなってきましたね。
もう半袖も飽きてきたので衣替えをしたい…が、まだそれは早そうです。

私は手術をして胸を平らにする前は夏が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
その理由は薄着。
薄着になると身体のシルエットが隠しにくかったから。

風の強い日、自転車も嫌でした。
これまた向かい風によって服が自分にへばりついてシルエットがあらわになるから。

もともと胸もほぼないに等しく身長も高めだったので恵まれてはいたのですが、嫌なところばかりに意識が向いてしまうんですね。

本当は大好きなサイクリングも夏も手術を終えてからは楽しめるようになりました。

ロードバイクを買って100Km以上のサイクリングをした日もあったけど、今はもう無理(笑)


はなしは変わって…

今、LGBTの話題が多いですが、今の流れには共感できないわたくし。

当事者ながらに、性別変更がかなりカジュアルになりつつある?大丈夫?と思う。
服を着替えるようにさらっと男にも女にもなれていいのだろうか。

変態やるために性別変更したい連中がいるのにも驚く。

変態のためじゃなく本気で性別を変えたい人がいたとして、
私の持論ですが、性別を変えたら生きやすくなるけど幸せになれるかどうかは関係ない。むしろセクシャルマイノリティーとして生きるのは墓場まで面倒と共にいる覚悟を決めるようなもの。

都合の良い部分だけを切り取って性を選ぶのではなく、すべて反対の性別の文化で生きる覚悟がないならお勧めしない。

普通に考えたらメリットなんてなにもない。
お金も精神も削った。
健康な身体に自分から傷をつけた。
自分でいうのもなんだけど性同一性障害ってそれくらいクレイジーなものだと思う。

でも、元の性別に戻りたいとは全く思わないのは、いろんなリスクを背負っても性別変更をしたかったから。
このままなら死んだ方がマシだった。

そうやって性別変更してもうすぐ20年近くになるけれど、自分の歴史の中でこのテーマは色濃いし、男性としてしれっと生きていたって自分を表現する一部に切り離せない存在になっている。
これ私の真実だから開示するのを選んだけど気を遣われたりするのは望んでいない。

時に好奇な目で見られたり、関係ないはずの性別を盾に人格否定されることがあっても、自分で選んだ道に責任をもって進むしかないのだ。

悔しい思いや、無力感、怒りや理不尽さ、たくさんの感情と共に。
そうだ、もともとクレイジーだった(笑)

という経過をたどってきているので、性別変更したその先まで見通さないまま法律だけが簡単になっていくのには激しく違和感がある。
もし法が国民を守るためにあるなら、従来のように慎重さと性別変更のハードルの高さは維持しておくべきだと私は思う。
子どもや思春期の頃の性自認なんて不安定で仕方ないのだから。

同級生の中にも当時は同類?だったようなボーイッシュな人も、大人になったら普通に女性らしくなって結婚して子どもを産んでいる人が何人もいる。
私はそうなれなかったけど、その人が安易にホルモン注射とか手術に手を出さなくて本当によかったと思ってる。

ハードルが下がって手を出しやすくなったらどうなっていくんだろう…と、余計なおせっかいを考えてしまうおっさんでした。
自分の人生、自分で決めたらいいもんね!


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