努力アンチ、或いは其れは

努力は才能だ。
かねてよりそう主張しているが、当の努力家たちは謙遜を伴わずに気安く言うのである。「誰でもできるよ?」
なんなら、こう思っている人まで居る始末。
「自分が努力して○○できたのだから、できない人は努力が足りないのだ」
これは自己肯定感の低さと努力という才能が共存していた場合によく陥りやすい思考の罠で、自分は特別じゃないという前提のもとに物を言うとこうなるのである。
何度だって声高に述べておきたい。
努力は才能である!
努力ができる人間はそれだけで特別なのだ。自信を持ってほしい。
これは、置かれた環境によって努力の土俵にすら立てないという深刻な社会問題の話ではなく、シンプルに努力ができない自分という存在を省みて、しかして改善しようと「努力」できそうもなく、とりあえず嘆くだけの文章である。
テトリスエフェクトコネクテッドというゲームを買った。美しい音楽と背景でテトリスというかの有名な落ちゲーを楽しむことができるソフトなのだが、ここでは一旦派手なテトリスという理解でよい。
せっかく買ったので、テトリスというゲームにちゃんと向き合うことにした。今までは、ひたすらブロックを積み上げていき、空けておいたいちばん端の列にここぞとばかりに長い棒を入れてはテトリス=4段消しして気持ちよくなるゲームだと思っていたのだが、ブロックはテトリミノ、長い棒はIミノと呼ぶらしいし、T-Spinとかいう技術があるらしいし、こんなレベルではメインであるジャーニーモードのビギナークラスをクリアするのでやっとだ、ということがわかった。
調べてみる。たくさんの専門用語が並ぶ。スコアを出したり、速くクリアしたり、あまつさえ対戦したいと思うのであれば、覚えなきゃいけない操作スキルやテンプレートが山ほどあるようだった。
いや、実は知っていた。以前無料ソフトであるテトリス99に課金して、150行消すなりエンドレスで消すなりできるマラソンモードを解放し、前回の休職中にずっとやっていたのだ。当然限界を感じていたものの、暇を潰す、心を無にするという目的でしかプレイしていなかったので、そのような小難しいあれそれは認識をしつつも無視していた。でも、これではテトリスエフェクトコネクテッドの半分も遊び尽くせない。それら高度な遊び方は対戦でしか使わないと思っていたが違うようで、華やかなだけのテトリスだと思っていたこのソフトは、存外難易度が高いのだった。試しに、テトリスの上手さの指標であるという、40行、否、40line消すタイムアタック、否、スプリント、に挑戦してみたが、最高ランクSSSというところでたった1度だけ奇跡的にBという判定が出て、それ以降はずっとC〜D判定。合格圏内とはとても言えない。そもそも1分切れないとお話にならないのに、全然2分半かかる。悔しい。前回の休職期間をまるっと否定されたような気持ちになって落ち込んだ。
前回の休職があるということは、今回の休職もある。
幸か不幸か私は現在2度目の休職中で、金はないが暇だけはある。セールでたった3000円程度だったこのゲームだって、数カ月収入なしの実質ニートには思い切った買い物だった。流石に過言だが、元をとらねば勿体ない。
練習してやろうじゃないか。
7種1巡、地形、平積み、63積み、最適化、Perfect Clear、REN……たった20時間ぽっちやって思った。
おもんな。
努力、つまんね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
思うに、成功体験が足りないのだ。努力の先に何がある? 輝かしい栄光? 約束された未来? 手に入れたことがない。努力をしたことがないから。要するに負のREN鎖に入っている。そのまま27歳まで育つとどうなる。くすんだ屈辱。破り棄てた過去。人間性の地形が崩れている。そのまま積んでいって、置くところがなくなって、人生ごと詰んじゃうって、わけ〜っ!
やかましい。
どちらにせよ、長い長い休職期間に極めるのがテトリスでいいのかよという虚しさもある。一先ずコントローラーを置いて、図書館に来て、キーボードの使用は可なのか念の為司書さんに訊いて、そのへんで適当にどうぞ……と返され、まあともかく、これを書き始めた。このままで終わりたくない。それは、今日の話? 休職期間の話? テトリスの話? 人生の話? この冗長な書き殴りの話? わからないけど、終わりたくない。
さて、私はウマ娘のキャラクターであるアグネスタキオンさんが好きである。ウマ娘のアプリゲーム自体はガチャを引くくらいでろくにプレイしておらず、むしろそこから派生して毎週日曜だいたい15時からフジテレビ系列みんなのKEIBAを楽しく観ているだけの人種になってしまったが、オタクはみんなマッドサイエンティスト設定なんて涎が垂れるほど大好物だし、わがままプリンセスに振り回されたい願望は当然持っているものだし、手段を選ばぬ探求者であり超光速のプリンセスであるアグネスタキオンさんを好きになるのは必然である。筆者、主語がデカすぎてこの前リアルガチに従姉妹からキツめのお説教を食らったのに全く懲りていない。
そんな私が『劇場版ウマ娘プリティーダービー 新時代の扉』にそれはもう大きな期待を寄せていたのは想像に易かろう。キービジュアル、ティーザー、どれを見ても、彼女ときたらなんて美しい狂気を纏っているのだろう。なんと言っても目がよい。あの目。焦点の合わない瞳が白目の中でゆらゆらと揺れ時には怖いほど縮む、プリティの風上にも置けない描かれ方に何度心を撃ち抜かれたことか。
バンドル前売券を握りしめてさあ1回目。鮮やかな映像、大胆な演出、印象的な劇伴、よくまとまったストーリー。素晴らしい。でも何かが足りない。私はまだ満足していない。どうして。どうして?
最初こそ不満の発露として辛口な感想を書いた。だが同志を探してみても世間の評価は盛り上がる一方で、私がおかしいのかもしれないと思いそっとその書き残しはお蔵入りにした。
2回目。アグネスタキオンさんの悪役顔は何度見ても健康にいい。このためにお金を払っている。このシーンのタキオンさん、あのシーンのタキオンさん、最後のタキオンさん、ライブのタキオンさん! ああ!
やっぱり何かが足りない。
それは、共感。私の経験。
主人公のジャングルポケットさんの思考回路は、頭ではわかる。少年漫画でたくさん読んだ。でも、全然腑に落ちない。心からの納得ができない。別によくね? 気にしすぎじゃね? そんなに落ち込む? とか思ってしまう。
致命的である。
この作品は青春映画なのだ。自分の体験と照らし合わせてこそ、カタルシスが大きくなる。
私は、生きてきた中で、最強になろうと努力したことがない。
そりゃ、妄想はする。無双チートを夢見たり、異世界転生を願ったり。だがその最強幻想に、努力が伴わない。努力せず最強になりたい。そんな妄想ばかりをしてきた。
運動部に入ったことがないのがいけないのかもしれない。
苦痛さえ感じるほど自分を追い込んで、限界を超えて、掴み取ろうとする「最強」。地区でもいい。県でもいい。とにかくいちばんになるためのがむしゃらさを発揮したことが、ついぞないまま大人になってしまった。その先に得られていたはずの笑顔も涙も、私は知らない。
文化部がいけない? そんなことはない。吹奏楽部や演劇部など、体育会系寄りで、コンクールに向けて厳しく鍛錬する部活もあるし、絵でいちばんになりたいだとか、ギターがいちばん上手くなりたいだとか、そういうのは当然ある。かくいう私は演劇部出身で、当然コンクールに出るために練習だってしたものだ。
努力しているじゃないか?
いいや、していない。
そのとき私は、好きなように脚本を書き、仲間に囲まれて、みんなで話し合って思い描く世界を作り込み、演じて、はしゃいで、ふざけて、勝てたらラッキーくらいのノリで大会に出ていた。
向上心なんて言葉はどこかに捨て置いて、ただその場を楽しみ、満たされていた。
そこで話しておきたいのだが、私は、映画ウマ娘を語るによく引き合いに出される『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』が好きである。こちらも、少女たちの努力とスキルと感情のぶつけ合いが、あまりにも抽象的で大仰すぎる演出で描かれている映画だ。「ウマ娘」が体育会系なら、「舞台少女」は文化系。
スタァライトでは逆に、「最強」の子にもっとも共感している。彼女は、仲間に囲まれて、みんなで話し合って思い描く世界を作り込み、演じて、はしゃいで、その過程が愛おしくて、眩しくて、それらを……どうしようとしたかまで述べてしまうのは、野暮であろう。最強であることは彼女にとって手段でしかない。いちばんになることよりも、その場を楽しみ、満たされたい女の子。
作中で「普通の喜び。女の子の楽しみ。全てを焼き尽く」してきたとまで描かれる舞台少女という名の壮絶な努力家たちに、私は共感できないはずなのだ。でも、映画スタァライトを見る度に、最強の彼女と一緒に口走りたくなる。「やっと届いた」
スタァライトは私にとって足りている。ちょうど再上映していたので、ウマ娘を2回観たあと、わざわざ再確認しに行った。
劇中歌が好きすぎるとか、演出が過剰すぎるとか、考察しがいがありすぎるとか、好きなところはいっぱいあるが、彼女が救われるのが嬉しいという気持ちが大きいのかもしれない。
取り繕った言い方をした。明確にしよう。
芸術において私は、驕っているのだ。「最強」に自分を重ねてしまうほどに。
だから、スタァライトが気持ちいい。私も舞台上に立てると思い込めてしまう。芸術に取り組め! それがお前の生きる道なのだ! と強く背中を押されて、晴れやかな顔で劇場を出られる。
実際問題、別になにひとつ巧くはないのであるが。
努力をしていないので。
そう、努力をしていないのである!
定期的に絵を描こうと思ってみる。中学生くらいまでは真面目に描いていたので、ちょうどぴったり中学生レベルの絵が描ける。ここからどう伸ばすか、調べたら出てくるけど、難しそうなので無視する。
定期的に音楽家になろうと思ってみる。歌手オーディションに出て身の程を知る。自分の歌ってみた音源を聞いて絶望する。音楽理論はよくわからない。楽器はひとつも弾けない。ここからどう伸ばすか、ボイトレに通おうかな、ミックス勉強してみようかな、DTM講座かな、色々考えるけど、お金も時間もキャパもないので、やっぱり無視する。
定期的に作家になりたいと思ってみるけど、文章はこのレベルだ。ここまでお読みいただいた通り、冗長で、意味不明で、読みづらい。よく言えば、ダイナミック? ライブ感・グルーヴ感がある? これはもうシンプルにインプットが足りないのである。中学生くらいまでは真面目に本を読んでいたので、これまた多分ちょうどぴったり中学生レベルの文章なんじゃないか? 闇雲に書くだけ書いて特に振り返らず、読書だってしないで、学校で習った以上の技術を無視する。
ほら、努力が足りてない。楽しむだけ楽しんで、向上心に欠けている。テトリスと一緒だ。上を目指し始めるとコツコツこまめにやらなきゃいけないことが増えて途端におもんなくなる。そのくせ、芸術しかやりたくないから芸術家になりた〜いとかほざいている。
主治医に、芸術家になりたいんですが病気ですか? と聞いたら、それを症状とは呼びたくないですね、と返された。馬鹿につける薬はないものな。
努力は才能である。私には才能がない。
努力信仰を覆し努力家をねじ伏せるのもまた才能である。
私には才能がない。
最強になりたい。
楽して生きていたい。
努力、努力、A beautiful 努力。
おもんな。
今日も努力できる人を見て妬み、努力が要らない人を見て嫉み、励み、たいけどできず、ただ、嘆く。
努力アンチ、ないしは努力音痴、それが私。
このまま終わるしかないんだ。
今日の話? 人生の話? この冗長な書き殴りの話。

追伸
今日映画ウマ娘3回目キメてきます。
は?
こんなに文句言っておいて?
届かなくて、眩しい……(誤用)。

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