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【エッセイ】人生の目標だった大学を卒業した

 この春、わたしはとある私立大学の文学部を卒業した。

わたしは、中高大と10年間同じ学校に通い続けた。
正直、中高の卒業式は、あまり卒業した気にはなれなかった。
だが、今回ばかりは今までとは全く違った。
卒業式が近付けば近付くほど、「卒業」の二文字が重くのしかかった。
わたしといういきものを大事に大事に護ってくれる存在が、いなくなるような…上手く言えないけれど、とにかく「外界へ押し出される」という感覚が、わたしをめちゃくちゃ焦らせた。
10年という決して短くはない年月が過ぎて、わたしは、何も変わっていない。ずーっと、わたしは、「わたし」のままだ。
大学生になれば、ちゃんとした大人になっているだろうと考えている小学生の頃のわたし、そんなことないぞ。

思い返せば、その小学生の頃。
もしかしたら今よりも冷静で賢い子供だったかもしれないけれど、やっぱり子供には変わらなかった当時のわたしは、中学受験をする折に、自分の「人生」を決めた。

「わたしは国語を勉強をするために大学に行く」、と。

小学生にとって、大学は遠い未来のことで、当時としてはひとまずの「己の人生のゴール」が「大学」だったわけだ。
それから、小学生の時に決めた、その「ゴール」に向かって、己が決めた道を信じて全くブレずに、素直に歩んで来た。
教師たちや塾の先生から何を言われても頑なに自分が選んだ学校を信じた。
そのおかげでわたしは「わたし」になれたと、小学生の時の決断や何も言わずにわたしの意見を尊重して進学させてくれた母には感謝している。

だが、わたしのよくないところというか、おっとりしているところというか、小学生の時に立てた目標を更新することをうっかり忘れていた。
つまり、念願の大学生になっても「己の人生のゴール」は「大学で勉強すること」のままだった。
これは完全に個人の感覚なので、上手くは言えないのだが、「将来の夢」とかは別にあるけれど、とにかく「人生のゴール」は「大学で勉強すること」だったので、それ以降のことを全く考えないまま、卒業を迎えたわけである。
たとえば、世間の人で言えば、「大学出たら、社会人になって〜」みたいな、その目標の内容などの差こそあれ、ある種の「レール」みたいなものがあるとは思うが、わたしはそれがまるっきりなかった。

だから、大学を卒業するとなった時、少し震えた。
何もなくなるから。人生の目標が。
「人生が終わる」という感覚がわたしを襲った。

そこで、新たな人生の目標を立てる必要や機会があったのが、就活だった。
周りのみんな(同世代の人々)が、スーツを着、頑張って活動する中、自分は全然出来なかった。
ここらへんの話は今回は詳しくは割愛するが、とにかく大学が人生のゴール、それ以降は余生みたいに考えている人間にとって、就活は苦痛以外の何物でもなく、そして、単純に労働も向いていなかった。
他の人が言う、「就活しんどい」の5億倍はしんどかった。
「(大学で)学ぶことが人生のゴール」と言う考えが染み付いているわたしにはどうしても、「自分のやりたいことはこれではない」と思ってしまい、「働く」というイメージが出来なかった。
「社会人になる前に働くということがイメージ出来ている人間なんてあんまりいない、大体がなんとなく社会人になるんだ」みたいな意見があるが、そんなことは知ったことではない。わたしはイメージ出来ないことはやれないのだ。

わたしは「夢(理想)」と「目標(現実)」を分けて考える癖みたいなものがあるのだが、就活を通して自分を見つめ直した時、「夢を目標にしていいんだ」と気付けた。
結局、就職はせず、今は小さい頃からの「夢」だった、小説家を目指している。

なんだか、そんなに関係ないような話が続いてしまったが、わたしがその小学生の時に立てた目標を頑なに信じていた理由というのは、わたしが選んだ学校が「大正解」だったからだ。
本当に、10年間通ったこの母校が大好きだ。
世間からしたらあんまり有名じゃないし、「胸を張って誇れるような学校なの?」と言われたら、分からない。
でも、わたしにはとっても肌に合っていた。
何をするにも規模はちいちゃくて、真面目で、と思えば自由っちゃ自由で、生徒たちはおおらかでのんびりしている。
緑に囲まれて、雲に囲まれて、世間から離れていて。
大学は都内でビルに囲まれていたけれど、それでも、はっきりとあそこだけは世間の喧騒から離れていた。時間の流れや空気が違っていた。
大好きな文学にもどっぷり浸かることが出来た。

最後の2年間はコロナ禍ということもあり、ほとんどオンライン授業で、友人に会えなかったことや図書館に行けなかったことなどはつらかったが、意外と慣れれば、元々出不精の自分には合っていたように思う。それに、その状況でしか出来ない大学生活スタイルが送れた。

大学での集大成である卒論では、自分が後半の2年間でずっと考え続けたことを、浅学な自分なりに結論付けてまとめることが出来た。卒論や、集めた本や先行研究の論文の束や、メモは宝物だ。自分が死んだ時は棺桶に入れて欲しい。

人生の目標だった、大学4年間は、わたしにとって「人生のとっておきの思ひ出」であるし、有意義な学びが出来たと思うし、死ぬ時まで交流を持っていたいと思えるような仲間が出来た。

わたしは、あそこで出会った本や友人、学びを愛している。
わたしは、ずっとこの「思ひ出」を抱きしめて生きていく。

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