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表面より、時間が大切

先日、コンクールを受けていた生徒さんから、発表後すぐに銀賞と審査員賞のお知らせが届きました。
すぐに教えてくれるのがものすごく嬉しいと同時に、きちんとしたコンクールなので有名な先生方の講評も、これからの若い子の将来を心から楽しみにして、出演者を頼もしく感じてくれているんだなぁ、というあたたかい内容と具体的な指摘でほっこりしました。

コンクールの結果はあくまで結果でしかないです。でも、年齢的に最後のチャレンジまでタイトルを取れなかった自分としては、生徒さんの受賞はとても嬉しいものです。大切なのは、いいホールで弾けること、同じ世界にいる同世代と交わること、高名な先生の講評を受けられること。
何よりその曲と本気で過ごした時間というのは大切です。
自分自身、コンクールやオーディション、リサイタルで弾いた曲は1日あればベストな状態に持っていけるかもしれない、と言えるくらい覚えています。
楽器を持っていない時も、その曲を反芻する緊張の時間。若いときにしかないガッつきがあります。そういう粗削りながらも、その音楽の輪郭を掘って、削り出して、磨いて...というのは本当に大切です。音を出していない時間もものすごく大切です。ついつい音をどんどん出すことに夢中になって、イメージのない大音量の打ち込み音源になりかねません。

アピールの強い派手な演奏より、時間をかけてその曲と一緒に過ごした本音の演奏のほうが、真摯ですし、その子にとっての真実がある気がします。

もちろん商売を考えたりだとか、単に注目を集めたりというのが最終目的なら、一般受け、素人受けする方が大切かもしれません。
そういうシチュエーションに置かれてないなら、プロが尊敬するプロ、を見習って素直に取り組んでほしいな、と思います。

本当の意味の情熱的な演奏とか、心の襞に触れる演奏ってそういうこと、だと考えています。雄叫びヴィヴラートやトンがった音、朦朧とした音で情熱的や慈愛的になるのは表面だけ。

それは技術的な精度だけではないと思うので、プロ志望でない子にも、そういう誠実さを求めたいですね。

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