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40代で辿り着いたストレスフリーな働き方 福元マサタカ

 トビウオが 飛ぶとき
 他の魚は知る 
 水の外にも 世界があると
 NHK連続テレビ小説『舞いあがれ!』

voicyラジオの収録を終えると、本音で話してくれた隊員ふくちゃん(福元 マサタカ)と飲みたくなった。翌月、ふくちゃんと一緒に江ノ島アウトリガーカヌーに参加した隊員てっちゃん(鷹箸 哲也)も誘って3人で桜木町駅で待ち合わせて野毛で呑んだ

野毛の大衆酒場「ビートル」にて

ゲスト出演のきっかけは、ふくちゃんが俺のnoteをフォローしてくれて、記事を読みに行くと、美しい文体と本質を捉えた文章にビビッと来てフォローバックした。それもそのはず、彼は、宣伝会議 編集ライター養成講座43期で優秀賞を受賞していた。そして、voicyラジオのゲスト出演を依頼したのだ。

ふくちゃんは、今、フリーランスでライターをしている。大手企業の新商品のプレスリリースの執筆がメインの仕事だ。約20年間、大手企業で消費財の販売促進や市場リサーチ、商品開発に携わってきた彼が、先のことを何も決めずに44歳で会社を辞めた。なぜか?そんな彼の現在、過去、未来を聞いた。最近、対談相手のワクワクする気持ちを応援するラジオに育ってきたように思う。連続放送1,053回目から1回10分、全9回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい

ふくちゃんは、福岡県生まれ千葉県佐倉市育ち、現在横浜市在住、1973年生まれの丑年で48歳。父親が大手総合商社勤務だったこともあって転勤が多かった。福岡、大阪、千葉と引っ越したが、彼が記憶に残っているのは千葉県佐倉市から。繊細な小学生時代、一番憶えているのは、友達付き合いが好きだったこと。流行りのガンダムのガンプラ作りやファミコンに夢中になった。

中学・高校はサッカー部だったが、団塊ジュニア世代で生徒が多くて、なかなかレギュラーになれない。高校は進学校だ。運動でも勉強でも劣等感を感じていて自分に自信が持てなかった。だから、極力目立たないようにしていた。それでも6年間サッカーを続けられたのは、友達と一緒に過ごせるのが楽しかったからだ。

父親が団塊世代で国立大学を卒業し一流企業に就職したので、勉強には厳しかった。「将来のために勉強しろ!」と言われ続けた彼は部活に打ち込んで勉強をしなかった。結果、一浪して高崎経済大学に進学した。一流企業に勤めている父が苦しそうに働いているのを見て幸せには見えなかった。だから当時の彼は、「親の束縛から逃れたい。家を出たい」という一心から、地方の大学を選んだ。

初めての一人暮らしが始まった。人生で初めて好きなように時間を使える自由を得た。部活はボーイスカウトの大学生版、ローバースカウトクラブを選んだ。なるだけ時間を自由に使いたかったが、仲間はほしい。週3回だけクラブに通った。仲間と飲んで楽しく過ごし、あっと言う間に大学生活の4年間が終わった。

ふくちゃんが就活を始めた頃、ITバブル崩壊で景気の悪化が進み、「超氷河期」と言われ、どこの企業も採用人数が1、2名と絶望的だった。1997年は山一証券、拓銀などが相次ぎ破綻した年でもあった。食品卸業、流通業の会社になんとか就職した。彼は、「社会人生活は、ある意味、失敗から始まった」という。やりたいことが全くなかった10代、「正直に言えば、大人になりたくなかった」。この言葉を聞いた時、ハッとした。俺も、「ずっと大人になりたくなかった。だからこそ我がままに、自分の内なる声に素直に正直に唯一無二の会社を創業できたんだ」と。

6人乗りの「江ノ島アウトリガーカヌー」

夢もなく就職した彼は「このままではいけない」と与えられた場所で頑張った。先輩から「密かな闘志を感じる」と言われた。学生時代から劣等感を引きずっていた彼は、コミュニケーションをとるのが苦手。だから営業はできない。自分のできる倉庫で受発注をしたり、企画書をつくったりした。20代は仕事に明け暮れる日々だった。エクセルやワードのスキルを磨いたことは、今の仕事でも活きている。

会社の業績が悪化して大手商社に吸収合併され子会社になると、同じ地域にいくつもの営業所がある状態で売上も上がらず給料も上がらない。このままでは将来設計ができないと感じた彼は30歳を過ぎて転職活動を始めた。会社員として働きながら、34歳の時、就職支援会社に登録した。

転職エージェントに登録して1年後、70年の歴史ある一部上場会社に転職を決めた。就職して11年が経っていた。前職と同じ流通業でも取り扱うのは食品ではなく、スーパーやドラッグストアなどの日用雑貨に変わった。運よくマーケティングの仕事に就けた。営業部門の管理、サポートする部門で数字の分析、消費者のリサーチをした。それを商品の改善、開発に繋げていく仕事を10年勤めた。

仕事自体は良い経験ができたが、最大の問題は転職だと同期がいないこと。飲みに行って相談できる人もいない。常々仲間が大事だと生きてきた中で、仲間のいない苦しさに悩み社内で孤立した。いわゆる村社会に入れてもらえず、よそ者扱いされたのだ。人生で一番苦しかった時期で鬱になりかけた。カウンセリングに行くと、精神科で診察され「薬を出そうか」と言われて唖然とした。「傍から見ると自分はそう見えているのか・・・」。

「自分を変えたい!自分を変革しないとダメになる」そう考えた彼は、会社の人間関係以外の人と繋がろうと考えた。これが大きな人生の転機になった。2010年にFacebookを始め、あちこち出掛けて、「まずFacebookで友達になって下さい」と声をかけた。「全国喫茶の会」など異業種交流会に参加して一人、また一人と仲間を増やしていった。セラピーを受けたり、セミナーで心理学やコミュニケーションを学んだ。「こういう人もいるの?」「これで生活できるの?」、様々な人と出会って視野が広がった。

2014年、カンボジアのスタディツアーに参加

2010年くらいから毎年旅に出るようになって、2014年、カンボジアのスタディツアーに参加すると、一人で参加している人と仲良くなった。そして、2015年、俺の著書「感動が共感に変わる!」を読んで現地集合解散型の旅に衝撃を受け、地球探検隊の新宿オフィスを訪ねた。イベント「地球探検隊を知る夕べ」に参加し、すぐに「秋の栗拾い」の日帰りツアーに参加、続けて江ノ島アウトリガーカヌーにも参加した。 

江ノ島アウトリガーカヌー、打ち上げ「小屋」にて

2017年オーストラリア・ゴールドコーストにホームステイした時、江ノ島アウトリガーカヌーで一日だけ一緒に遊んだ仲間マッサン(増田 哲也)
がワーホリでブリスベンにいると知り再会した。ホームステイ先のホストファミリーを見て新たな発見があった。彼らは、ほぼ残業しない。自分を大事にして、家族との時間を大切にしている。その生き方を見ていると、日本人は働きすぎに見えた。「仕事だから」という言い訳が許される世界は何かがおかしい。家族を犠牲にして家族より優先する仕事はないと思えた。

2017年オーストラリア・ゴールドコーストにてホームステイ

2019年、ふくちゃんは、外の世界に自分の知らないルールや考え方があると知ると、会社内の枠に留まるのをつまらなく感じた。頑張っても報われない会社人生にウンザリしていたところに社内の異動などもあって疲弊した彼は、先のあてもなく44歳で会社を辞めた。ストレスフルな人間関係で重たい社内の空気に耐えられなくなったのだ。余計な人付き合い、無駄な会議や研修・・・このままでは夢も希望も目標も持てない。「このまま会社に残っていたら、50、60歳になったら必ず後悔するだろう」と決意した。

10年前、34歳の時に転職エージェントに言われたことを思い出した。「転職するなら、34歳がギリギリです!」。自分でやるしかなかった。最初はブログに広告を入れて収入を得た。Google検索で上位に表示されていたのが、感染拡大で世の中が急変し、個人のブログが上位に表示されなくなった。そんな時、大手PR会社と契約している知人から声がかかった。「広報担当の方と一緒にプレスリリースを書きませんか?」。アドバイスを受けながら記事を書いていくと、「結婚して2人目の子どもを考えているので、私の取引先を引き継いでくれませんか?」。それが、今のメインの収入に繋がった。

フリーランスになって、通勤もない、月曜日に憂鬱にならない、時間で働かない、余計な雑務から解放されストレスフリーな生活にシフトできた。人とのご縁でフリーランスのライターになり天職と感じるようになった。正直、一部上場企業で働いていた時より年収は半分以下になったが、ストレス発散のために消費する無駄な出費がなくなった。だから、心の豊かさを追求できるようになった。

2017年オーストラリア・ゴールドコーストにホームステイ

価値観が変わってしまうと、もう元の自分には戻れなくなる瞬間って誰にでもあると思う。自分に嘘をつく生活はストレスになるからだ。その他大勢に合わせて生きるのは楽かもしれない。時間軸を「今」にして主語を「私」として断捨離すると、気持ちが軽くなる。手放したことで得られたことにフォーカスし、自分で考える力を持つと、自分軸で生きられるのだと思う。ふくちゃんは今、自分らしいライフワークバランスを創り上げ、やりがいや充実感を感じながら、自分の心の声に正直に生きている。

ふくちゃんが、「なぜ文字に残したいのか」最後に話してくれた。俺が執筆していること、出版プロデュースをしていることを肯定された気がして嬉しかった。来年は一緒にKindle出版できるかな・・・。

2017年オーストラリア・ゴールドコーストにホームステイ

 人とつながりたいなら、
 自分の中にあるものを出して、表現するしかない。
 「それ、いいね」と人に言われるか、人が引いてしまうか、
 ともかく表現してみないことには、
 自分と人とのつながりは始まりようがない。
  「おとなの小論文教室」、山田ズーニー



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