見出し画像

9年前の僕へ。「ジブン成長論」

小学生の頃、僕は身体測定が大好きだった。
毎年少しずつでも成長している感じが なんだか嬉しかった。
他の友達が僕より大きく成長していても、
そんなことは構わなかった。
その頃から競争心理というものが乏しい子供だったのかもしれない。

毎日ご飯を食べて 遊んでテレビ観て 怒ったり笑ったりして、どうってことない毎日を過ごしても「成長している事実」がとても嬉しかった。

そして今。
昨年の僕と比べてもちょっと太ったくらいで何も変わっていないような気がする。
それは身体的なことだけではなく、たぶん精神的なものだっていうこともわかってる。

じゃあスキルは?っていうと、
それは間違いなく上がってる。
おかげさまで仕事はちゃんとできてるし、毎日新しいテーマを迎えてそれを自分スタイルでクリアできていると思う。

でもそれは「成長」とは違う気がする。
上手になっているというか、うまく進められるようになっているという感じか。とにかく意識の中に子供の頃のような「成長感」は味わえていない。
それが僕にはとても不満に感じるのです。

「成長」というものを考えてみると、そこには何か壁を打ち破るような、挑戦のその先にあるもののような気がするけど本当にそうだろうか。

子供の頃は身長や体重が増えていくことを「成長」だと思って嬉しかった。
大人になった今、何か大きなものを超えていくことだけが成長だと思うのは何故だろうか。

もし「成長する実感」が生きてく上で大事なことだとすると、そんな大きな挑戦がいつも必要なのだろうか。
そんな激しい人生だけが価値あるものなのだろうか。

僕はそんなことを起業して3年目くらいに考えていました。今じゃありません。もう9年も前の話しです。

サラリーマンを辞めて会社をつくる。
社長という肩書きができるけど、そりゃそうだ、他に誰もいないんだから。
仕事はその頃から取れた。毎日何かと忙しかった。そんな生活を2年以上続けた時に感じた「自分が成長していない感」。

喰っていかなきゃいかんから、求められれば何でもやるし
範囲外のことまでやろうとする。そんなやり方でも何回かやっていくと上手くこなせるようになって、浅く広く仕事をするようになった頃だった。

毎年仕事は増えていきスタッフも増えていったけど、感情は”成長していない自分”を残念に思っていた。


僕は 成功よりも"成長したい"って考える人間だったのかもしれない。
だからそんなことを毎晩考えたし、それそのものが重要なことだと気付けたんだと思う。


今の僕。
会社を大きくしたいとか売上を大きく伸ばしたいとか、そういう気持ちはほとんどない。そこは現状でそこそこ満足してる。今以上を求めていない。
それよりも成長したい。そんな気持ちでいっぱいだ。

「成長」ってなんだろう。
もし9年前の僕にそう聞かれたら、今の僕はこう答えます。

昨日よりも今日。昨年よりも今年。さっきよりも今。
できなかったことがちょっとでもできるようになる。
それを感じることが成長。
そんな「小さな勝利の実感」こそが成長。
心の中で小さくガッツポーズをする瞬間をいくつも重ねること。それが成長なのだと思う。

そしてそれを感じるためには、できないことを認めること。できない自分を肯定すること。できていないことを途中経過だと信じること。

そしてできるようになる自分に期待すること。
できるようになったら素直に喜べる人でいること。
他人と比べるのではなく、過去の自分との違いを見る自分でいること。


僕には僕を信じてくれるお客様がいます。
そのお客様の希望を「こなす」人間になりたくない。そう自分の心が叫びます。

成長するということは、まるで小学生の頃の身体測定のように「昨年よりも大きくなっている自分」を感じること。
子供の頃と「大きくなるもの」は違うけど、大人の成長はそれはそれで素敵なものです。そして大人の成長は目に見えないものもある。

僕ら大人は、何歳になっても成長できる。
だってその相手はいつも「過去の自分」なのだから。


僕は小学生の頃、身体測定が大好きだった。
それは昨年の自分と今の自分を比べて成長を感じることができたから。
そしてその成長がもたらす素晴らしさは、心の中の"小さな勝利の実感”。
できなかった自分が与える、できるようになった自分へのご褒美だと思うのです。

#人生いつでも成長期



それでは今日はこのへんで。
またお会いしましょう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?