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誰も教えてくれない「共感力」。

皆さん、こんにちは。中村です。
今日はいつも私が思っていて社内ミーティングなどでよく話している「共感力」について書こうと思います。

私がいう「共感力」は、「人に共感する力」のことではなくて、「共感してもらえる力」というような意味です。「共感性が高い人」と言った方がわかりやすいかもしれません。
私自身も人生経験の中で感じてきましたが、特に自分で会社を経営したり、フリーランスで仕事をしている人にとっては 仕事の成果を出す上で重要です。
この超情報化時代において「共感力」は業績そのものをとんでもなく左右します。

では私の考える「共感力」。それを初めて社外の人に開示してみようと思います。


それは時代の流れでもある。

かなり前になりますが、私が社会に出たのはまさにバブルの頃。
その頃は「高度経済成長期の後半」と言われる時期で、日本が世界で有数の金持ち時代。”日本製”は世界で飛ぶように売れて、このまま「ドラえもん」のような未来が来ると思っていました。

大人気だった映画「Back to the future」に描かれた2020年代は、まさに「鉄とコンクリートと空飛ぶ鉄道・空飛ぶ車」でした。
その頃の私たちは、未来といえばそんな姿を想像したものです。「ドラえもん」や「Back to the future」のような世界を、です。

でも実際はどうでしょう。確かに似た部分もありますが、決定的に違う部分がありますね。それはインターネットという文明の力です。
インターネットの中にすべての未来がある。それが今考えられている今の未来像です。"どこでもドア"はたぶんできない(できちゃったら旅行関連事業は壊滅するでしょう^^;)と思うけど、ネットの中でバーチャルに「どこでも行ける未来」は必ず来るでしょう。
Google ストリートビューの進化版というイメージなら容易に想像できます。

そしてインターネットは「超情報化時代」という産物を私たちに与えました。新聞はネットニュースになって何倍もの情報量を私たちに与えるし、本は電子書籍になってスマホ1台で何百冊を携帯できるようになりました。
Youtubeや SNSではフォロワーから毎日多くの情報が飛び込んできます。

もう目から入ってくる情報は完全に処理できないくらいに溢れかえってしまうようになってしまった。そんな頃にムーブメントになったのが「Clun House」や「スタエフ」などの音声配信ですね。
「目がいっぱいなら耳はどうだ!」と言わんばかりの流行タイミング。
インターネットによって そんなことが普通に起きる「超情報化時代」。
つまりそれが「今」なのですね。


共感力がなぜ必要か。

毎日目に入ってくるたくさんの情報。新聞やテレビや雑誌しかなかった頃と比べると、およそ20倍近い情報が毎日目に入るのだそう。自分で調べたわけではない情報なので信憑性はわかりませんが、ある大学教授のコラムにそう書いてありましたからたぶんそうなのでしょう。

それを仮に本当だとすると、私たち現代人は とんでもない量の情報を毎日「処理」していることになります。

「処理する」という表現を使いましたが、まさに「処理」なのです。
「分類」ではなく「処理」。その違いは「直感性」です。

ある記事を読むと、人がスマホで「興味のない情報」をスクロールする時間は 0.4秒だそうです。まあこれは流してみている場合だとは思いますが、そうにしてもとんでもない速さです。
つまり現代の人は「直感的に」自分にとって価値があるか、自分の興味のあるものか、自分の知りたいことか。という「処理判断」をしているというのです。

Facebookなんかを例に出すと、もともとSNSというものはコミュニケーションツールですから、「友達」の投稿を楽しく読んで「いいね!」を押したり、コメントしたりしますよね。
でもその友達がちょっと「商売っ気」を出すと一気に「いいね!」が減ると言われています。”商売の匂い”は直感的に「見たくないもの」として認知されるケースが多いそうなのです。

直感的に、瞬間的に「自分の見たいものかどうか」を判断する。しかも無意識に。それが現代の人の行動パターンです。
ではその「見たいもの」とはいったい何か。
内容? 写真? デザイン? 色? 
それもあるでしょう。しかしその具体的な何か、ではなく、もっと根本的な何か。もっと本質的な何か。もっと感情的な何か。があるような気がしてずっと考えていました。

そこでひとつの結論を出しました。
それが「共感」です。「共感力」が必要だということです。
投稿のひとつひとつにではなくて、「その人が自分にとっての誰なのか」が重要だということです。自分にとってスクロールしてはいけない人だと思ってもらうことができたなら、商売っ気があっても人はその人からの情報を必要とするという事実そのものです。


「共感力」のある人と無い人の違い。

「共感」には力があります。それは、やたら多すぎる情報の中で、その人からの情報は「必要だ」と感じてもらう力です。選んでもらうのです。情報の山の中からわざわざ選んでもらえる人。
それが「共感力の高い人」です。

逆に共感力が低い人はどうでしょう。
毎日毎日、何回も何回も投稿しても「スクロールされるだけ」になってしまいます。内容が価値あるものであったとしても「見てさえくれない」のです。

「共感力」があるのとないのとでは天と地の差です。
ビジネスに例えていうなら、急成長企業と不採算経営くらい違ってきます。
だから私はその能力を持つスタッフを育もうとするし、自分自身にも"学び"という投資をするのです。


共感力がある人とは。

人によって「共感できる」ポイントは確かに違うでしょう。
だからここで具体的にどうすればいいという話しは野暮です。
だけど、どんな風に思われるべきか。どんな人だと思ってもらうべきかという話しならできます。
「共感」とは、「この人の言ってること正しいよな」と思われないと得られない部分があります。心理的に自分の考えと違う人を尊敬することはあれど、共感することはできないのです。


「その考え方、ステキだわ」

「その考え方、なかなかね」

「その考え方、なんか好き」

「その人、なんか応援したくなるな」

「その人みたいになりたいな」

「よし、その人を応援しよう!」

仕事人としての共感なら、

その人がどんな人で、
その人の事業がどんな事業で
どんな目的を持っていて
どれをどんな人たちとやろうとしていて
その結果、顧客や社会がどう変わるのか。


そこに「共感」する人が多いかどうか。
または
そこに「共感」してもらうだけの発信ができるかどうか。
それが重要です。

だから自分はまだまだだと思うし、
もっと努力が必要だと思うし、
その「まだまだだという気持ち」と同じくらいに
絶対にやってやる!!と思っているのです。


人は「美しいもの」に共感します。
人は「素敵なもの」に共感します。
人は「カッコいいもの」に共感します。
人は「芯のしっかりしたもの」に共感します。
人は「本気さ」に共感します。
人は「感情と論理」に共感します。

そしてそれらを「実行していく力」に 共感するのだと、そう思うのです。

共感される、そんなステキでカッコいい人間になりたい。
その長い長い道のりを、私は歩きはじめているのだと 
いつもそう思いながら一歩ずつ、少しずつ進んでいるのです。



今日はこのへんで。
ではまたお会いしましょう。



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