恋外201902

ひとふで小説|レンガイケッコン(2)

これまでのお話:(1)

(2)

 いつもどおりに会釈して通過すると思った相手が管理人室の小窓に近づいてきたのは、会釈だけの関係が四ヶ月ほど続いたある昼下がりだった。抹茶色の紙袋を持って近づいてきた蓮本は、
「あのー…、和菓子、お好きですか…。餡子なんですけど…」
と、紙袋を持った左手を心臓あたりの高さに擡げて苦味のある笑顔で軽く頭を下げた。あいにく餡子が苦手な東之は、あー…と言いながら少しの間、逡巡して、
「き、嫌い…なん…です…」
と、軽く頭を下げ返した。
 餡子好きに生まれていたら、このいかにも高級な老舗であることを全面に押し出した紙袋の中身を貰えたのかと思うと惜しいが、どんな星の元に生まれ落ちるかは仕方のないことだ。餡子業界の中でどんなに良質な餡子だとしても、それが餡子である限り、食べたくない。
 蓮本は頷きながら和菓子を手に入れた経緯を話してくれた。
「奇遇ですね。…打ち合わせで頂いちゃったんですけど、食べられなくて。でも先方は何故か和菓子が私の好物だと思っていたので…。他の方のプロフィールでも見間違えて覚えたんでしょうかね…、ははは…。捨てるのも忍びないし、でも、日持ちするものではなくて…、誰か食べてくれる人が居たらいいんだけど…って思って…」
「うう〜ん…。どうしたもんでしょうね、困りましたね」
「……。すみません、突然来てこんな…」
「いいええ。…あ、あー、どうかな、うーん…。あの、一階に住んでるお年寄りがよく、そこのスーパーで和菓子を買っているんですよ。こう、袋が透明だからいつも見えるんですけど。多分、餡子の和菓子っぽいんですよね。本当に処分にお困りということなら…通り掛かったらお声掛けすることはできますが…」
「本当ですか!捨てるのだけが申し訳なくて悩んでいたので、とても助かります」
 晴れ晴れした表情になった蓮本は振り返ってはお辞儀をして、階段に消えていった。かと思ったら、三分ほどで階段を駆け下りてきて、小窓に寄ると、
「管理人さん、ごめんなさい!さっき、捨てるよりマシだからあげるみたいな言い方をしてしまって、よく考えたらとても失礼なことを言ってしまったなと思って、ごめんなさい…!」
 あまりに真剣に謝る蓮本に面食らった東之は少し黙り込んでしまったが、慌てて、
「あ、いえ、全然!だってもったいないじゃないですか。誰か食べてくれるならそのほうが罪悪感少なくていいですよ!」
と、宥めた。
「そうなんです…罪悪感に負けて、言葉も選ばずに私ったら…」
「こういう時ってなんて言って渡したらいいんですかね。嫌いなもの貰っちゃったって正直に言わずに、適当に、管理人さんに差し入れです、とか言って買ってきたフリすれば、こっちとしても勢いで頂いちゃったりできたのかな…。…でも実際は貰い物だし、嘘つくのも悩みますよね」
「悩みました。貰い物を処分に困って渡すだけなのに、差し入れや贈り物みたいな顔するなんて…」
「ですよね。それに、処分に困って譲るだけです、っていうコンセプトをハッキリ言わないと、気兼ねした私が西関さんにお礼を持ってっちゃったりするかもしれないですよね。そしたら西関さん多分…」
「無理ぃ…………。お礼までもらっちゃったら申し訳なくて押し潰されちゃう…………」
「そういうタイプですよね多分。だから、やっぱりあの言い方で正しいんじゃないですか?…いや、偉い人が相手だとダメかな。でも私は所詮バイトの管理人なので…。いや、バイトならぞんざいに扱ってもいいってことじゃないとは思うんですけど。あ、そうだ、これ、賞味期限はいつでしょう?常温でいいものですか?冷蔵?数日保管して差し支えなければ、冷蔵庫ならあるので、ここで保管しておきますが、紙袋から出して期限を見てもよろしいですか?」
 あれこれ考えながら話している東之を眺めながら、蓮本はしみじみ言った。
「色々考えてくださる方なんですね」

 ほどなくして東之が言及した老人が通りかかり、和菓子は無事、狙いを定めた相手の手中に収まった。それも、想像を絶するほど大喜びされる形で。
 百年前から続く老舗のモナカだそうで、老人は、
「死ぬまでに一度食べてみたかった」
 と手を合わせて破顔した。

 蓮本は、唇の高さぎりぎりまで湯船に浸かりながら考え込んでいた。今日の昼間、“管理人さん”に手土産を届けて以来、ある身勝手な、超身勝手な、はしゃぎ方をしている。
 Web媒体の新連載企画で、“あたらしい家族のかたち”をテーマに執筆依頼が届いていた。
(“あたらしい”って何?家族は家族でしょ?どうせ、恋をするとか、運命的に出会うとか、同僚や同級生としてそばにいたとか、何でもいいけど、うまく出会ってうまく寄り添った人たちがちょっと男女の役割から解き放たれた結婚生活を送れば、その程度が“あたらしい”って言われるんでしょ?男が家事をして、女が働けば、“新しい”んでしょ…)
 馬鹿馬鹿しい、と思ったけど、働く必要があるから引き受けた。引き受けたものの、今親密な男性とはどう考えても“あたらしい家族のかたち”は構築できない。むしろ旧来的なイエの形になると思うから、恋愛としては最高だけど、家庭を作ることについては進展を迷っている。
 あなた単体では愛してるし恋してるけど、あなたの実家に殉じるのは絶対無理、という悩みの中で右往左往しながら、前髪あたりに出てくる灰色の毛に苦心している。
 深い皺に分断された肌と白髪になった自分を、愛してくれる人など居るだろうか。いや、居る。言葉の壁がない状態でお見合いにかかる時間を気にしないとして世界中の人を並べて全員とお見合いすれば、白髪だらけになろうが還暦を過ぎようが、その中に数名から十数名くらいは、或いはもっと大勢、結構うまく結婚生活を共にできる相手が居ると思うのだ。ただ、結局のところ結婚を視野に入れた恋愛に関する事柄の大問題は、お互い必要としている人材と出会える運があったかに尽きる。誰かから愛される可能性の検討なんてほとんど無駄で、うまくいきやすい相手といかにして出会えるか、なのだ。
 住む場所を変える必要があるとかないとか、変える必要があるならどちらが合わせるかとか。共働きがいいとか専業主婦が欲しいとか、子供を作りたいとか作りたくないとか。これまでの人生で家事をどの程度してきたかとか。これまでどんな勉強をしてきて、どんな勉強をしてこなかったかとか。どんな人付き合いをしていて、友達はどこにどんな人がどれくらい居て、その人たちからはどんな誘われ方をするのか、家に連れてくることが多いのかとか。月にどれくらいお金が必要な生活をしているかとか、節約に敏感になるのはどの部分かとか。どんな政治思想で、どんな社会問題に興味があって、或いは無くて、何を無頓着に差別していて、何で差別されたら心が動くのかとか。共通の趣味があったほうがうまくいくのかとか。一人の時間があってもいいのかとか。配偶者や友人の業績や資産について嫉妬深さがあるかとか。整理整頓に興味があるかとか。笑うタイミングとか、不機嫌な時間の始末の仕方とか。
 そういう擦り合わせをしているうちに人生が過ぎ去ってしまうことが怖い。擦り合わせの失敗に気づくことなく時を過ごした先で、関係性が無に帰る日があったら恐ろしい。

 彼と結婚を決めたら、きっと自分は中層ビルとショッピングモールと田園が入り乱れた地方都市の主要駅から車で40分ぐらいの農業が盛んな町へ、“長男の嫁”として引っ越すしかなくなる。
 あの世界に帰りたくない、二度と。どこの家の嫁が子供を産んだとか産まないとか、何ちゃんはもう結婚したとか、誰さんちの子供が男なのにピアノを習い始めたとか、他でもない自分も、自動車整備の学校に進んだことが、町中の噂になった。
「おばちゃんが若い頃乗ってたセドリックと、お母さんが若い頃乗っていたコスモが本っ当に、かっこいいと思って、それ以来ずっと車に憧れてるんだよね。お父さんは家計重視で軽自動車だったけど」
 何度そう答えても、彼氏が整備士の学校に行くんじゃないかと噂されたし、面と向かって好きな男の影響だと決め込まれた。
 町に残れば嫁の貰い手もあったのにと残念がられたけれど、とにかく車を好きなだけ楽しみたかった。そういうのにうんざりして、ひとりで知人も友人も親戚もないところの専門学校に進んだ。
 結局、専門学校でも“男だらけの景色を見ているよりは目の保養になるメスの珍獣”みたいな扱いを受けて、恋の対象になることにも、性の対象になることにも、女に車のなんたるかを語られてたまるかと言わんばかりに目の敵にされた授業にも、車について口を開けば“俺の思うイイ車ワルイ車のセンスをどれほど理解しているか”を試されて論破に掛かられるお昼休みにも、それでいて助手席に乗るドライブを拒めば「もっと車の話ができると思った」と残念がられる放課後にも疲れて、どうにか都会に這い上がって来たのに。また、あんな感じの、狭い世界に帰るなんて。息苦しい人生に戻るなんて。

 彼と作る家庭は、きっと、絶対、何もあたらしくないし、文筆家を続けさせてもらえるかも微妙なところだと思う。だって、会話の端々から分かるから。
 彼は、
「きみが転職する必要はない」
 と口では言うけれど。田舎においてきた両親が孫を欲しがっている話を、彼は頻繁にする。ものすごく。する。
「嫁を連れてこい連れてこいってうるさくてさー」
 と隠さず言うし「“嫁”を“連れてこい”」という、蓮本にとっては凄まじい言い回しのまま伝えることに何も感じていないようだった。
 どこにも“あたらしい家族のかたち”の気配なんか感じない。地元の友人たちに早く自慢したい、と言う。こんな素敵な嫁を貰った、と。
 パートナーにとっては知人も友人も味方も居ない地域に、パートナーを連れて帰り、「こんなにいい女が都会から嫁に来た」と言える人生の強さに目眩がした。
 歓迎して得意げにすることが蓮本へのギフトだと思っている。パートナーを下げないこと、だけ、で、リテラシーは充分だと思っている。新しい社会の感性に、ついていけている、と自負している。
 たとえば「うちの愚妻が」と身内を下げて遜る古すぎる男については、「愚かな妻とか言うなら失礼だから別れろよ」と批判できる。それは正しい。職場で「うちの嫁はブスだけどお前の嫁は綺麗でいいな」という同僚たちの雑談を聞けば、「結婚する資格などない」「もっと愛せる相手を探すべきだ」と胸を張る。これについては彼が常々、蓮本の外見について非常に気に入っていることを明言しているから、外見的に充実したパートナーを確保している立場であれこれ言いたがる浅ましさを差し引けば、正しい姿勢だ。
 一つ一つをある側面から見れば、正しさがあると思うし、古すぎはしないけれど。彼がそれらを蓮本への賞賛や肯定や思い遣りに繋がると信じた上で、故郷に嫁として連れ帰りたがり、自慢したいと願う限り、家庭や共存に関するアップデートは遅れていくような気がした。今が1980年なら素晴らしい最先端かもしれないけれど、世の中さすがにそこまで停滞していない。
 連れ帰りたい、自慢したい、と思ってくれる気持ちは、有難いけれど、蓮本に正面から「愛してるよ」と言ってくれる彼の穏やかな顔は、愛おしいと感じるけれど、何の疑いもなく「俺より素敵な嫁さんを貰える奴は世界中どこ探したっていない」と言い切る姿は情熱的で甘美だけれど、べつに、伴侶は人生のオプションパーツではないから。
 それぞれ別の車として並走できたらいいのに、いざ結婚となると自分は分解されて、彼の車をドレスアップするために必要な部品だけ持っていかれたり、チャイルドシートを取り付ける座面だけ活用されたりするのが目に見えて、悲しい。
(平成も終わるっていうのに、私たちは結婚したら時空を超えて昭和に新婚旅行かな)

 蓮本はこれまで、結婚して相手の姓を名乗り嫁として家庭に入ることを本気で望む誰かの夢を評論したことも、亭主関白な夫に尽くすことに心底から幸福を感じる女性を否定したことも、ただの一度もなかった。“そうした人生を「当たり前だ」と押し付けられること”、“「そうした人生こそが女の幸せだ」と断じられること”、“そうした人生に心底から幸福を感じているわけではない人に推奨される我慢”だけを、執拗に否定して、自分の人生について語ってきた。
 彼とお揃いの名字が嬉しい人は当然それで問題ないのだし、その理由ではしゃぐ姿は、可愛いと思う。奉仕こそ愛だと信じてやまない人は、それを高みから他者に説くことなく自身に於いてのみ信じ抜けばいい。仕事を辞める選択をせざるを得なくなっても家事や育児のためにキャリアを諦めても「それが女の幸せ」と感じている女性と出くわした場合も、せめて「私はそれが幸せ」と言い換えて欲しいとは思うものの、否定や説教をされない限り邪険に扱うことはない。大昔の言葉で言うところの“寿退職”が苦にならない人は、すればいいのだ。退職とコトブキを分けたい主義の人が思い描く愛や幸せや家庭を、偽物や薄情だと蔑むことなく。
 ただ蓮本に関して言えばとにかく彼との間に、蓮本の望むライフスタイルもキャリア設計も望めない。単なる個人的な事実であって、それは“彼や彼の実家が望むような嫁”として幸せに暮らせる誰かを貶す要求ではなかった。

 彼との恋愛を『“あたらしい家族のかたち”』の企画に起用できないことは蓮本自身が痛いほど分かっていたので、担当編集者にノンフィクションとして書くことは提案すらできなかった。今のところ曖昧に「あたらしい家族のかたちについて、まずは考えを整理したいから追って連絡する」とだけ伝えてある。
 ノンフィクションとして出来事を回顧や実況するのではなく、思考実験や他者の例を論考するかたちで執筆しようと思っていた。もしくは理想郷を虚実を交えながら小説風に仕上げてもいいかもしれない。
 とにかく原稿のところどころで読者が「あるあるー」と思うような問題を、これまでどおり指摘できれば恙無く終わる仕事だと考えていた。
 昨日の晩、くだらない本を読むまでは。


つづく
(小出しにします。)

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「ひとふで小説」は、何も考えずに思いつきで書き始め、強引に着地するまで、考えることも引き返すこともストーリーを直すことも設定を詰めることも無しに《一筆書き》で突き進む方法でおはなしを作っています。
 元々は、具合悪くて寝込んでいた時に「いつも通りストーリーを練って本腰で働くほど元気じゃないし、長時間起き上がって作画するのは無理だけど、スマホに文章を打ち込めないほど衰弱してるわけでもなくて、ヒマだなー…」っていうキッカケで、スマホのテキストアプリに書き始めました。いつもは構成も展開もラストシーンも大体決めて原稿に取り掛かるので、たまには違う作り方も面白いから、即興で突き進み、溜まったものを小出しにしています。挿絵も、こまかい時間を活用して、ご飯を食べながらとか寝る前にiPadで描いています。
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