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そもそも一緒に暮らすのは無理だった(3話)


親戚の友人のお嬢さんがイタリアにいたので、その人を頼ってイタリアに行った。
初めはホテルのようなところに住むのかと思っていたが、彼女とイタリア人女性と3人での同居生活が始まった。

午前中、語学学校に行って家に戻ると、イタリア人と2人きりになることが何回かあった。初めは親切だった彼女も毎日数時間2人になると、僕が英語もイタリア語も喋らないので、だんだんと気持ち悪がられ、ついに日本人の彼女から出て行ってほしいと言われた。初めからリビングで寝泊まりするのは無理だと思っていたがついにその日が来た。1週間イタリア人の彼女に迷惑をかけて申し訳ないと思った。

家を追い出されて、異国の地で完全にホームレスになってしまった。
言葉が出来ないというのは、人間的にゼロだと思った。
しょうがないので、街のホテルを順番にあたり、長期で滞在できないか拙い英語で聞いて回った。ちょうど工事中のホテルがあり、毎日部屋が変わってもよければと格安で泊まれるところが見つかった。

TORNABUONI HOTEL、熱いシャワーがちゃんと出たし、朝ごはんも特別に作ってくれた。このホテル暮らしは、毎日部屋が変わり、極狭の屋根裏部屋から教会の見える広いスイートルームまで色々見れて面白かった。

安いとはいえホテルにずっといるわけにもいかず、知り合いに手伝ってもらいながら不動産巡りをした。日本にいるとなかなか無いことだが、アジア人だから軽い差別に合い、気に入った物件を申し込んでもなぜか後から来た人に取られてしまうということが度々あった。イタリア人に猛抗議してもらったら、少し郊外ならいい物件があるという、もうこのままだとなかなか決まらないと思ったので、見もせずにそこに決めた。
入居の日に、テーブルの上に大家さんがお茶碗とお箸を飾ってくれていた。
この頃は、アジアから来た外国人という劣等感を少し感じてた頃だったので、日本人ウエルカムですよというメッセージのようでとても嬉しかった。
小さな庭付きアパートだったが、街の中心からバスに乗らないといけないのが難点で、時間通りに来ないバスとの戦いで毎朝の通学は大変だった。

ある雨の日の朝、学校に向かう時にバス停でいつも時間通りに来ないバスを待っているとあることに気がついた。あれ?僕は何かをしなければいけないと言う観念にものすごく支配されている。日本人はルールがあり、みんなが自己犠牲をしてでもルールを守ることで快適で便利な社会ができているが、イタリアは各自、自由でバスが遅れようが、お店が閉まってようが、学校に遅刻しようが、そんなに怒られる問題ではなかった。大抵のことは、あら?しょうがないよね?で済んでしまう。並んでる人とおしゃべりして待っていたらいいのだ。ある時、郵便局で列に並んでいると、僕の手前で、ちょっとコーヒーが飲みたいから待っててね、と担当者が持ち場を離れてしまった。やりたいことをやればいいのだな。イタリア時間は、皆んなが少しづつずれているので、ずれた時計を基準に動いているんだ。自分の時計の時間を信じて生活しよう。何かをしなくてはいけないのではなく、何をしたいのか?
そのことに気がついた途端、心がすごく軽くなった。

イタリア人の友達もでき、先生とご飯や映画に行ったりしてるうちにイタリアの考え方が少しずつ身に付いてきた。約束の時間は目安。家を訪問する際は少し遅れるのがマナー。行きたくなかったら断るのも自由。
信号は赤でも行きたいと思ったらいけ!これは流行ってたのか、冗談だかわからないが、半分信じていた。自分が楽しいのが最優先。
(4話につづく)

4話

(1話)地震とイタリアの話https://note.com/nakamotocamera/n/n117dcf10b67a

(2話)イタリアへ
https://note.com/nakamotocamera/n/n4082aa4f5a48



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