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イタリアへ(2話)

阪神大震災の時に変なジャーナリスト根性を出して、被災地を撮影して回ったら
凄惨な光景を見すぎて感情がおかしくなり、突然笑い出したり泣いたりノイローゼのようになってしまった。日本から逃げるしかないと脱出を決意し、知人を頼りイタリアにたどり着く話

前回書いた通り、怖い体験と地震が来るかも知れないというパニックで頭の中が混乱し、できるだけ早くこの場から逃れようとイタリアに行くことにした。
ビザを取り、飛行機のチケットを購入した。
3月の中頃、僕は関西空港からオランダ経由でミラノに向かった。
オランダまでは日本人もたくさん乗っていて旅行気分だったが、アムステルダム空港からアリタリアに乗り換えると乗客も外国人だらけで急に心細くなった。アルプスを超える時、機体に標高の高い山々が迫り不安になった。
独特の喋り方の機長の英語アナウンスが、
「みなさん、この飛行機は高度が保てず墜落しています。」
と言ってるような気がした。
美しい山々の白い稜線を眺めながら変な妄想をしていたら、すぐにミラノ空港に着いてしまった。

ミラノ駅からフィレンツェ駅まで電車で移動したいのだが、切符売り場の人が何語を喋っているのか聞き取れない。
Please give me one ticket to Firenze.
ガイドブックに載っていた英語を繰り返すが全然伝わらない。
早くもここで英語もイタリア語もちゃんと勉強してこなかった現実の壁にぶちあたった。地震であれだけの困難を乗り越えてきたので、僕はもう何でもできると思っていたし、または、地震の後遺症で完全に精神がおかしくなっていたのかも知れない。なんとなく辛い神戸から逃げるようにイタリアに来たが、なんとかならないかも知れないと思った。今から思うと、僕は完全に勘違いしていた。後にこのことが元で大問題となる。

どうやってチケットを買ったか忘れてしまったがなんとかフィレンツェにたどり着いた。一応書いておきますが、携帯もパスモもない時代の話です。
駅の横に公衆電話を見つけ、現地に住む知人に電話をかけようとしたがスロットに小銭を入れることができない。すっかり途方に暮れていると、近くにいたアジア人らしい女性が、綺麗な英語で電話用のトークン(コイン)をキオスクで買うのよと教えてくれ、何とか電話することができた。その時に買ったトークンの余りを今でもお守りに持っている。

その後、タクシーに乗って彼女の家までいったのだが、彼女は若いイタリア人の女性とルームシェアしていて、自分のアパートが見つかるまで僕の居場所は共有のリビングのソファだった。これは無理だろ!?(3話へ続く)

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