第67話 ブライダルの神様
スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
2013年7月7日。
フレンチレストラン「グランメゾン」での結婚式が終わった夜、僕はいつものように家の仏さんに手を合わせていた。
『今日の結婚式も無事に終わることができました。とてもいい結婚式になりました。今日も見守っていただいて、ありがとうございます』
この仏さんは、祖母が大切にしていた阿弥陀さん。祖母は生前、この仏さんの事をこんな風に言っていた。
「この仏さんに毎日毎日拝んだところで、結局私は病気になったし、護ってくれているのかどうかもようわからん。まぁでも大事にしてやって」
それが信仰心が人一倍深い祖母の最期の言葉だった。
そう思うと、僕が今こうして手を合わせているのは、目の前の阿弥陀さんにではなく、その向こうにある祖母への想いなのかもしれない。
『おばあちゃん、助けてね・・・』
般若心経を読み終えた後も僕はしばらく目を閉じて手を合わせていた。目を閉じていてもわかるろうそくのほのかな灯り、そしてたちこめる線香の匂いがとても心地いい。疲れた身体を癒してくれるようだ。
その時だった。
文金高島田に黒の引き振袖の花嫁がスーッと僕の頭の中に降りてきたのだ。笑顔で微笑むその花嫁はとても美しかった。それが祖母だったのかどうかはわからない。僕はただ日本の原風景のようなその美しさにうっとりするばかりで、しばらくその余韻の中にいた。
僕は眼を開けて再び阿弥陀さんを見る。
今のは果たして阿弥陀さんのお告げなのだろうか・・・。あまりにも幻想的なその光景は僕の進むべき道を暗示しているように思った。
『ありがとうございます。精一杯頑張ってみます!』
僕は阿弥陀さんに向けてそう心の中でつぶやいていた。8年前「オードリーウェディング」という名前が天から降り注いできた時のあの感覚とはまた少し違うが、僕には同じように思えた。
(和婚かぁ・・・)
靖姫神社でのプロデュースを辞めて以来、長らく封印していた和婚プロデュース。もう二度とその扉は開くまいと思っていた。でも、さっきのお告げはどう考えても和婚だ。
心が震えた。
まだドキドキしている。こんな事ってあるんだろうか。僕はきつねにつままれたような気分であった。
そしてその時、その和婚プロデュース企画の名前までもが僕の心にストンと落ちてきた。
僕はすぐにパートナーの岸田幸太郎に電話をいれた。
「岸田君、新しい企画やるよ!」
「え!何ですか?」
「封印してた和婚をするぞ!」
「えー!ついに和婚解禁ですか!でも急にどうしたんですか?」
「ブライダルの神様のお告げかな。さっき舞い降りてきた(笑)。もう名前も決まってる」
「おぉぉ!名前、教えてください」
「姫路結婚式ドットコム!」
2013年7月9日。
朝陽が射し込む東側の出窓を開けると、涼しい風が舞い込んできた。ピアホテルのアルバイトが無い日は、夜寝て朝起きる、という人間らしい生活ができる。そんな生活ができるのは、火曜の朝と土曜の朝の2日だけだが、その2日はそんな当たり前の事をとてもありがたく感じていた。
僕はジャージに着替え、ジョギングに出る。
何コースか自分の好きなコースを設定しているのだが、今朝は橋を渡って川沿いを一周する約6キロのコースを選んだ。最近はジョギングアプリなるものがあり、スマホを持って走るだけで距離やらスピードやら色んなものが計測できる便利な時代だ。
家を出て2キロくらいのところの川沿いに紫の垂れ幕がはられた櫓がある。その中には大きなお地蔵さんが安置されている。3人ほどが座れるベンチもあり、憩いの場にもなっているのだろう。いつも近所の人たちが掃除をされていたり、小学生がその周りで遊んでいたりするのを見かける。地元で大切にされている仏さんだ。僕は足を止め、そのお地蔵さんに手を合わせる。
今朝はいつもよりゆっくりしたペースで川沿いの土手道を走りながら、「姫路結婚式ドットコム」の構想に思いを巡らせていた。
2009年の挫折以来4年間、僕はどの神社にも行っていない。僕は神社の鳥居が怖かった。悠然と立つその大きな鳥居に見下ろされ、お前はダメだと神が言っているようで。そんな人生の敗者を委縮させるような空気感が神社にはある。まっとうに生きてきた者だけがその鳥居をくぐる事を許される・・・、そんな空気だ。
そしてそんな僕の委縮した気持ちに追い打ちをかけるように、「しばらくは表立って和婚のプロデュースをしない方がいい」という周囲の意見も重なり、僕の生活から「神社」という存在が消えていったのだ。
人生の敗者である僕は、人は誰しも平等に幸せになる権利があるという教会の教えに倒れ込むように号泣し、そしてまた祖母から譲り受けた護り仏を必死に拝む事で心の寄りどころを求めていた。
僕の勝手な解釈だが、仏教とキリスト教は案外似ているものだと感じていた。世の中には良い人もいれば悪い人もいるが、どんな人間であれ人生に懺悔をした者を平等にやさしく受け止めてくれる。そういう部分が仏教にもキリスト教にもあった。だから余計に神社という存在はとても冷酷な感じがしたものだ。
そんな僕が、再び、神社での結婚式をプロデュースする事を思い立ったのだから、これは僕の中でも大きな転換期のように思われた。
スーッと天から舞い降りてきたあの美しい花嫁が僕に何を言いたかったのかはわからない。ただ、僕が和婚をプロデュースするという事が僕自身の使命であるように感じたのだ。
やらねばいけない、と。
ジョギングから帰宅した僕は、シャワーで汗を流した。まだ朝の6時。ワイフも息子たちも夢の中だ。先日知り合いのカフェで買った「神山」という豆を挽いて珈琲を作り、2階の仕事部屋に入った。
トミーフラナガンとジョージムラツのデュオアルバムをセットする。ピアノとウッドベースの響きが朝の脳に心地いい。出窓から入る涼しい風を感じながら、仕事手帳であるモレスキンを広げた。
上段に「姫路結婚式ドットコム」と書かれたその頁には、ずらーっと神社の名前が列記されている。昨夜、僕が思いつくままに書いたものだ。これまで何度かお世話になった事のある神社もあれば、全く知らない神社もある。それぞれの神社が結婚式をしているのかどうかもまだわからない状況であった。
僕はその神社の名前を目で追いながら、「姫路結婚式ドットコム」のホームページのイメージを創造していく。
しかし、スウィートブライドでまだ一件も神社挙式をプロデュースしていないのだから、結婚式をイメージできる写真が一枚も無い。ホームページを作成するにあたり、致命的であった。
そんな時、4月に執り行った料亭「花鶴」でのモデル撮影で、色打掛の茜さんを撮影していた事を思い出す。運がいい。僕はすぐにその日の撮影画像を見返す。鷲尾響子が作った独特の日本髪風アレンジが、まさに「姫路結婚式ドットコム」の表紙にピッタリであった。
表紙のモデルイメージが決まれば、自然とホームページ全体のトーンも決まってくる。花鶴での撮影で茜さんが着ていた色打掛はクラシックなゴールドと赤の組み合わせだった。それにより、「姫路結婚式ドットコム」のテーマカラーはゴールドに。そして差し色はピンクに決まった。
こうなると、作業も早い。
午前中には、「姫路結婚式ドットコム」のトップページ案が仕上がる。ロゴマークには姫路城をモチーフに入れた。レストランでのプライベートウェディングをコンセプトに作ったスウィートブライドのホームページとは違い、播磨地域の和婚に特化した新郎新婦にとってわかりやすいホームページになるような気がした。
まだ神社には一件も営業に行っていない段階ではあったが、それぞれの神社のホームページなどから本殿や楼門などの画像を拝借し、「姫路結婚式ドットコム」のサイトデザインは、ほぼ完成に近いところまで創り上げていった。
神社は、専門式場化された神社と、そうでない神社に分かれる。専門式場化されたというのは、披露宴会場を持っている神社の事。この専門式場化された神社は播磨地域に4件ある。そういうところは当然結婚式の需要も多い。以前に僕がオードリーウェディングとしてプロでデュースしていた靖姫神社もそのひとつだ。しかし、そういう神社にはオードリーウェディングのような専属の会社が契約で入っているため、スウィートブライドがプロデュースできない仕組みになっている。
なので、「姫路結婚式ドットコム」に掲載する神社は、披露宴会場を持たず、結婚式だけを執り行ってくれる神社という事になる。当然、式後の披露宴会場は必要になる訳で、神社と提携すると同時に、その神社の近くの披露宴会場も提携しなければいけないのだ。
結婚式はプロデュースするが食事会場は自分たちで勝手に探して勝手にやって下さい、なんて言えるはずもなく、この部分が「姫路結婚式ドットコム」のアキレス腱のような気がした。
善は急げで、一気に突っ走ろうと気はせいていたが、色々と問題点が見えてきた事もあり、僕は少し「姫路結婚式ドットコム」と距離を置く事にした。もう一度俯瞰でキッチリと見る必要があるように思ったのだ。
2013年8月。
僕は料亭「花鶴」とパーティー会場「フランシュール」のホームページ制作に取り掛かっていた。8月はお盆月という事もあり、結婚式本番は無い。だからホームページ等のデザインの仕事に没頭できる貴重な月なのだ。
『中道さん、14時くらいに姫路に着きます』
メールの主は、椎名凛子。スウィートブライドの開店祝いに明日行きます!と連絡があったのは、昨夜のこと。椎名凛子らしいと言うべきか、僕が新しい企画と対峙しているタイミングで僕の前に現れる。本当にいつも救世主のような存在だと実感する。
「わぁ!可愛い!いい店ですね」
サロンに着くなり、椎名凛子お得意の褒め殺し。
「不動産辞めて、いつでもおいで。席は空けてるから」
「いやいや、私なんて・・・ハハハ」
椎名凛子と会うのは、4月の「花鶴」での撮影会以来だから4ヶ月ぶり。その時の撮影画像を使用して制作している「花鶴」のホームページを見せると、たいそう喜んでくれた。
早速、本題の「姫路結婚式ドットコム」の話に入る。椎名凛子にはまだ概要すら伝えていなかったので、この話をするのはこの時がほぼ初めてであった。ただ、椎名凛子はホテル、専門式場で長年プランナーをやってきてはいるが、僕のような出張型のオリジナルウェディングの経験はあまり無く、そういう意味では、企画の詳細に至る相談というまでにはいかない。
それでもあえて僕が椎名凛子を必要とするのは、トータル的なセンスである。企画の概観、色彩感覚が飛びぬけて優れているのだ。僕はそんな彼女に、先月作ったばかりの「姫路結婚式ドットコム」のテストページを見せて反応をうかがった。
すぐに彼女の目は輝き、僕が創ろうとするイメージに賛同してくれる。
「中道さん、これでいいと思う!」
「良かった、ありがとう。じゃ、気になるところはどこ?」
僕がそう問いかけると、彼女は自分の鞄からノートパソコンを取り出し、おもむろに数件のサイトを表示させ、僕に見せる。
「このサイトのこういうあたりとか、このプランの見せ方とか、こういうストーリーがあればもっとよくなるんじゃないかと思うんですけど・・・」
ブライダルはとっくに引退し、今は不動産業の仕事に専念している彼女のどこにこんな引き出しがあるのだろう。彼女がそう言って見せてくれる式場のサイトには、まさに僕が悶々と悩んでいた部分が解消できるようなデザインイメージがあった。見た瞬間、彼女が僕に言わんとする事が理解できた。
「ハハハ・・・。さすが、しぃちゃん。助かるわ」
もう笑うしかなかった。
僕が考える事をこれだけ理解できる人って、椎名凛子以外にはいないだろうな。僕にとって、ありがたい存在であり、とても惜しい存在であり・・・。
ーーー その夜。
椎名凛子の意見をもとに、僕は久しぶりに「姫路結婚式ドットコム」テストページのデザイン手直しに着手した。
そこで僕は足りないものを発見する。
それは「姫路結婚式ドットコム」の根幹部分であった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?