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第42話 止まった時計の針

スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2012年5月。

スウィートブライド創業の2か月前。
フレンチレストラン「ブラージュ」にてオーナーシェフの田辺さんとホームページを含めた今後の展開について打合せをしていた。

ホームページを制作するにあたり、まずは店内写真、料理写真、スタッフ写真などが必要となる。そんな話をしていると、いつしかブラージュのレストランウェディングの広告撮影まで話は発展していった。

僕と田辺さんの話はとんとん拍子に進み、撮影日は僕がスウィートブライドを立ち上げる予定の7月に決まった。

準備期間は2ヶ月。
この時期はまだスウィートブライドの仕事の準備はほとんど進んでいなかったから、撮影に向けてやる事は山積みであった。

ーーー その翌日、僕は馴染みのフォトスタジオにいた。

手塚春彦は白シャツにジーンズといういつものカジュアルないでたちで現れた。そして僕の顔を見るなり、すぐに洞察力鋭い彼らしい言葉がとんだ。

「中道さん、何かややこしい話持ってきた?」

「うん、ちょっとはるちゃんに相談があって」

「ごめん、その話降りるわ」

「いやいや、まだ何にも言うてないやん」

手塚春彦に仕事の話をもちかけると、必ず最初はするりとかわそうとしてくる。ただ、用心深い彼ならではの性格は僕も熟知しており、少しの押し問答をするのが日課になっていた。

手塚春彦は、フリーのフォトグラファー。
年齢は僕より4つくらい下。僕が日頃付き合っているブライダルのフォトグラファーではなく、商品撮影やモデル撮影を主とする広告専門のフォトグラファーだ。

出会いは僕の元職場である百貨店。
その百貨店の広告撮影を彼が請け負っており、僕は自分の売場の商品撮影等で一緒に仕事をしたりして、僕にとっては同じ釜の飯を食った仲間のような感覚であった。

彼とはその後僕が独立して自営業を始めてからも付き合いが続き、僕にとっては損得勘定が無いというか、本音で語り合う事のできる数少ない友人なのである。

「スウィートブライド一発目の仕事が決まったんや」

「良かったやん!」

「うん。で、一発目ははるちゃんとやろうと思ってね」

「結婚式の撮影はせえへんで!」

「それはわかってる。今回は、レストランウェディングの広告用モデル撮影と、ホームページ用に店内撮影と料理撮影。撮影日は7月。頼むわ!」

「なるほど。じゃ、降りるわ(笑)」

「もうええから(笑)」

手塚春彦には大きな借りがある。
ーーー 2009年9月1日。この日は、オードリーウェディングの新たなレストラン会場の広告用撮影を予定した。しかしその前日の8月31日に僕はオードリーウェディングを急遽辞める事になり、その撮影は責任者である僕不在で行われた。結果、その企画は日の目を見る事なくお蔵入りに。手塚春彦含めその時に携わってくれていた人たちには多大な迷惑をかける事になったのである。

今回僕が手塚春彦に仕事の案件で声をかけたのは、その日以来であった。だから断られても当然という想いも心のどこかにはあったが、それでもスウィートブライドのスタートは手塚春彦とやるという僕の意思は固かった。

2009年8月31日・・・。
あの日から僕の人生の時計の針は止まったままになっている。その針を再び動かすには、どうしても手塚春彦でなきゃダメだった。

手塚春彦は、しばらく僕の顔を直視した後、渋々というか仕方ないという感じで引き受けてくれる事になった。

「はるちゃん、ありがとう!」

「仕方ないなぁ。やっちゃるわ(笑)」

僕たちはそのまま撮影打合せに突入していった。

ブライダルのモデル撮影、店内撮影、料理撮影、スタッフ撮影を同日でやる事はあまりにハードなので、撮影日は2日に分け、初日はブライダルモデル撮影と店内撮影、2日目は料理撮影とスタッフ撮影をする事に決めた。

いよいよ何かが始まる予感に、僕は興奮していた。

時計の針がゆっくりと動き出した。


第43話につづく・・・







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