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第38話 最後の晩餐

スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2012年5月15日。

「中道さん、審査通りましたよ!満額の300万です」

姫路銀行の青野さんから電話があったのは、ピアホテルの深夜バイトが終わり自転車で帰宅してすぐの事だった。

「300ですか!それは助かる。ありがとうございます」

「早速ですけど、印鑑証明2通と実印、それから通帳とその通帳の印鑑をいただきたいんです。準備できたら中道さんの家まで伺います。いかがですか?」

「いやいや、僕が銀行に行きますよ。今から印鑑証明だけ取りに行って、午前中には持っていけると思います」

僕はスポーツウェアから普通の私服に着替え、通帳と印鑑だけ手にすると、すぐに家を出た。

2012年6月1日。

姫路銀行からの300万円の融資が実行された。
スウィートブライドを立ち上げる7月に入ってからでは身動きがとりにくかったので、僕の中ではギリギリのタイミングであった。

すぐに三井住友銀行のカードローンを返済。ようやくこれで細々した借金が全て消え、気持ちがだいぶスッキリする。何口も返済があると何となくしんどいもので、金額がどうあれ一本化するとわかりやすくて精神的にも楽になった感じがした。

「青野さん、今回はありがとう。感謝します」

「いや、今回のはまだまだ金利が高い分ですから。次からは保証協会付きのに切り替えて金利を下げていければと思うので、これからですね。がんばってくださいね、中道社長!」

「もぉ・・・その社長はやめてくださいよ。しばらくは法人化せずに個人事業でやっていこうと思ってますから。頑張って返済していきますよ」

青野さんにそう言った僕は、株式会社オードリーを解散した時に訪れた法務局の初老の担当者の事を思い出していた。

「解散せずにこのままおいといたらええのに・・・」と言うその初老の担当者に、「人生リスタートなんや!また復活して会社を作る時は、おっちゃんとこ来るから、その時は手続き費用まけてや」と言い返したあの時の映像が一瞬、脳裏に蘇った。

(あのおっちゃん、まだ法務局におるんかな・・・。あのおっちゃんが引退するまでに法人化せなあかんな)

またひとつ、目標が生まれた気がした。

2012年6月2日。

朝10時の開店を待って、神戸マツダの石井店長に電話をした。

「石井さん、おはよう!ちょっとお願いがあるんだけど、車を探してほしいんですよ」

「中道さん、おはようございます!以前から言われてた営業用の車の事ですか?」

「そうそう、前に話してた新しい会社の立ち上げが来月になったから、できたら今月中に欲しくて」

「何が希望ですか?」

「軽なら何でも。20万から30万くらいで程度いいの探してよ」

神戸マツダの石井店長とは15年くらいの付き合いになる。1996年にワイフと夫婦になって初めて買った車がマツダロードスターだった。

ワイフも僕もジャガーが好きだった。
当時姫路に唯一のジャガーショップが青山にあり、ワイフとのデートでよく遊びにいったものだ。もちろんジャガーなんて買える訳もないんだけど、展示車を見にいくのは自由。特に新型がでた時のフェアの最終日に行くと、非売品のマグカップや携帯ストラップ、マウスパッドなどもらえたりして、それはそれは楽しいデートスポットだったのである。

そんな僕たち夫婦だから、2代目マツダロードスターが発売された時、VSのパンフレットを見て、一瞬で心を射止められたんだ。ブリティッシュグリーンのボディにタンカラーのシート。そしてウッドステアリングはまさにジャガーの世界。もはや衝動買いのようなものだった。

ロードスターは、2シーターオープンの6速マニュアル。
普通の女子なら閉口するところだろうが、なんせワイフは変わっている女性。6速マニュアルは全く問題無し。10センチほどあるピンヒールで軽快にクラッチ操作してる姿には惚れ惚れしたものだ。

そのマツダロードスターVSを神戸マツダに買いに行った時の担当者が石井さんだった。石井さんとはそれ以来の仲で、ロードスターの後はアクセラ、プレマシーと僕たち夫婦はマツダ車を乗り継いでいた。

電話をしたその日の午後、早速石井店長が家に来た。

プリントした紙には、マツダAZワゴンの画像が貼ってあった。AZワゴンというのはスズキワゴンRのOEM車だ。僕が提示してたより少し高い40万円だった。

「高いやん!」

僕は話にならないと突っぱねたが、石井店長は食い下がる。

「中道さん、これすごく程度いいから。安いの買ってもすぐに壊れたら逆に高くつくし、今から3年乗るつもりだったら、これオススメしますよ」

プロパーのディーラーではなく中古車専門店に行けばもっと安くて出物があるだろう事は百も承知してるんだけど、僕は石井店長の真面目な人柄がすごく好きで長くお世話になってるので、車買うならこの人からと決めていた。
だから「高いやん!」と突っぱねた舌の根も乾かない内に、僕は石井店長の軍門にあっさりとくだったのである。

「わかった。じゃそれにする。いつ持ってこれる?」

次の週の木曜日に納車が決まった。

2012年6月7日。

朝いちでワイフとプレマシーに乗って、神戸マツダへ。
最近のマツダのテーマカラーでもあるワインレッドのスポーツカー群の隣りに可愛いシルバーのワゴンRがちょこんととまっていた。

何かちょっと笑いそうになったけど、僕は「可愛いやん」と言って石井店長からキーを預かった。

何はともあれ、これで営業車が手に入った。

僕はその足でイオン大津へ向かった。
まずはソフトバンクショップでスウィートブライド用の携帯を買った。ボディカラーはもちろん水色。スウィートブライドブルーだ。一番安いガラ携帯で一番安いプランにした。そしてついでにポケットWi-Fiも契約。

その後ジョーシンでキヤノンの携帯用プリンターを買った。これさえあればどこでお客様と接客してもその場で見積書を印字できる。僕にとって最も欲しかった最強のプリンターだ。

今日一日で、営業車、会社専用の電話、ポケットWi-Fi、携帯プリンターをゲット。姫路銀行の青野さんが融資100万円上乗せしてくれた分で、色々揃った気がする。

これだけあればひとまず移動事務所としてやっていけそうだ。

この後、イオンの食料品売場でビールを買い帰宅した。
新しい仕事へのやる気がみなぎってきたこの日の夜、僕はワイフに最後の晩餐をしようと誘った。

銀行から借金をしてゼロから会社を立ち上げる。
その仕事がうまくいくために、その夢が叶うために、僕は自分の中で大事なものをひとつ断とうと思った。

何かを成すためには、犠牲が必要だから。

夜、ワイフとお互いにビールを注ぎ合い、乾杯する。
気持ちがスッキリしてて、久しぶりに心置きなくビールを飲んだ。いっぱい笑った。久しぶりに美味いビールだった。

そして僕は、
今日を限りにお酒をやめた。


第39話につづく・・・

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