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第41話 スウィートブライド発進

スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2012年7月3日深夜。

スウィートブライドのホームページが完成した。
突貫工事の感は否めないものの、僕は予定の創業日に何とか間に合ったという安堵感に包まれていた。

0時と同時に、僕はホームページをアップした。

2012年7月4日。

正式にスウィートブライドがスタート。

何も確証の無いスタートではあったけれど、僕はようやく人生の本当のスタートがきれたように感じていた。

色んな事があって、もう自分のやりたい事なんてできないだろうと思ってた。いい事なんてもう僕の人生にはないんじゃないかって・・・。

でもありがたい事にもう一度チャンスをいただいた。
この3年間でお世話になった人たちの顔が浮かんでくる。僕は心の底から感謝の気持ちでいっぱいになった。

ただ、ブライダル業界は物売りのように開店してすぐに日銭を稼げるような業態ではない。そして今の何のアドバンテージも無い状態を考えると、この事業を軌道にのせるには3年は必要だろうと思った。

(果たして、僕は持ちこたえられるだろうか・・)

しかし、スウィートブライドを始めようと思った時から何かが僕の背中を押してくれているように感じていて、僕はただ押されるままに歩いてみようと直感的に思っていた。

『大人の2人のためのプライベートウェディング』

ー 料理にこだわり、お花にこだわり、ドレスにこだわり、ヘアメイクにこだわる。そして時代の今を共有しながら2人らしいスタイルを追求していく。ー

それが、真新しいホームページに僕が書いた理念だ。

そして「価格」でも「プラン」でも無いという僕のポリシーを貫き、トップページのコンセプトの下には「人」の顔を並べた。司会者、フォトグラファー、メイクアップアーティスト、フローリスト・・・。この時点では、僕を含めた5名を前面に押し出す形のデザインとなった。

トップページは「人」と「コンセプト」だけでスッキリと構成し、提携会場やプランなどお客様にとって必要な項目は全てグローバルメニューからの誘導としてバナーすら置かなかった。

ウェブデザイナーとしての僕のこだわりだ。

グローバルメニューから提携会場のタブをクリックすると、スタート時の会場ラインナップは6件。選りすぐった少数精鋭のレストランで上質な大人婚をプロデュースしていくというのが基本路線だった。

その6件はページ上段から順に、フレンチレストラン「グランメゾン」、フレンチレストラン「ブラージュ」、イタリアンレストラン「パスティーユ」、姫路ベアリーフ教会、そして神戸北野のチャペル会場「ランブルーム」、フレンチレストラン「ロフォンデ」というラインナップであった。

ブライトリングの岩崎さんからいただいたランブルームのモデル写真があまりにオシャレで僕が望む大人婚のイメージにもピッタリだったので、ランブルームを掲載する事で提携会場ページ全体のグレードを一気に押し上げていた。

(やっぱり神戸は違うなぁ・・・)

今さらながらに、神戸ウェディングへの想いが募ったものである。

代表ブログは心機一転ゼロからスタートとなった。
2005年から毎日書いていたブログはオードリーウェディングを辞めた時に削除していたので、僕にとっては3年ぶりのブログ復活。物書きが好きな僕にとってはブログは最も楽しみであり必須のコンテンツだった。

このホームページのアップと同じタイミングで、グランメゾン、パスティーユ、ブラージュそれぞれのホームページにもスウィートブライドへの問い合わせバナーを置かせていただいた。これはとてもありがたい事で初動の原動力になった。

今回はメディアに広告をうつ事もなく、サロンを出店する事もなく、ホームページをアップするだけという極めて静かな発進であった。

ただ、僕にとっては一番大切にしている7月4日という日に発進できた事が何より嬉しかった。

リビングに降りると、ワイフはキッチンで朝ご飯の準備をしていた。

「何とか今朝ホームページアップできたよ。スウィートブライドがいずれ法人化すれば登記した日が設立日になるけど、創業日は今日7月4日にするね。この日にすれば忘れないだろうから」

僕はそう言ってワイフの顔をのぞきこんだ。

「いいんじゃない?」

言葉少なにはにかむワイフを僕はギュっと抱きしめた。

「俺、頑張るから」


第42話につづく・・・



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