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第56話 本物を目指す理由

スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2013年3月。

今年の正月、僕は精力的に多くの人と会った。長らく冬眠していた自分の殻を自ら叩き割るように。

おそらくそこからのクチコミであろう。
3月に入り、方々から仕事の話をいただくようになった。レストランであったり、ホテルであったり・・・。

話をいただければ、どこへでも飛んで行った。
そのほとんどは、僕にとって先人の名残りがある会場であった。先人と言うのは、これまで姫路で活躍されていたブライダルプロデュース会社の事。

姫路でブライダルプロデュース会社が最も輝いていた時代は、2000年から2005年あたり。それは言い換えればレストランウェディング全盛の時代でもある。僕は当時、そんなプロデュース会社に憧れとリスペクトの想いを持っていた。とても華やかな時代であった。

僕がオードリーウェディングを立ち上げた頃のブライダル業界は、ピークから下り坂になってきていて先の見えない時代に入りかけていた。当然プロデュース会社も少し息切れ状態で、そのためか僕が結婚式情報サイトを作った時は、式場よりもプロデュース会社がこぞって掲載してくれていたものだ。

今はこの地域でプロデュース会社と言えば、オードリーウェディング、プチウェディング、そしてスウィートブライドくらいだが、当時は今の3倍ほどのプロデュース会社が存在していた。それだけ活気もあった。

今のフォトスタジオ全盛の姿が、まさに当時のプロデュース会社のような感じではなかったかと思う。

今、僕のところにオファーがくる物件のほとんどは、そのいずれかのプロデュース会社が過去に運営していたところばかりなのである。それぞれのプロデュース会社にはそれぞれの匂いがあった。だからどの会場に行っても、すぐに僕はその匂いを嗅ぎ分ける事ができた。

会場のどこかに、また担当者との会話の中に、先人の幻影は存在していて、それはまだ生きているようにさえ感じる事もあった。まるで霊的なほどに僕はその幻影に支配される。だからそういう会場に対して僕はあらんばかりの畏敬の念を持って対応させていただいていた。

結果、僕はそういう会場とは取引を結ばぬまま、いつしか話は疎遠になっていくという感じであった。

僕の事をよく知る人たちは、僕は他社の領地を決して荒らさない。そして誰も足を踏み入れた事の無い未開の地を開拓するというイメージを持たれていると思う。

それは裏を返せば、先人への畏怖に他ならない。

この頃の僕は、まだまだ色んなものがぬぐい切れておらず、薄い氷の上を歩いているようであった。恐る恐る生きていたような感じではなかっただろうか。

2013年3月22日。

小山美香からメールが来た。

(小山美香は、神戸で活躍するフリーのメイクアップアーティストで、僕の最初のプロデュース会社「カウスボレアーリス」時代のメイン美容師である。3年前に多国籍料理「ブランジェール」でばったり会って以来、時折メールのやりとりをするようになっていた)

『おはようございます。スウィートブライド順調ですか?今から桜の時期になるから前撮りとか増えてきますよね。芦屋川の方も少しずつ蕾が目立つようになってきてます。中道さんのお時間があればでいいんですけど、紹介したい人がいるんです。フリーの司会者さんです。とても素敵な人ですよ。詳しくは会ってからのお楽しみという事で。急な仕事の依頼とかではないので、またお時間ある時にでも連絡下さい。』

確かに、今からは桜の時期だからブライダル関係の人にとっては繁忙期になる。特に姫路城のあたりは前撮りの新郎新婦様で賑わう事だろう。しかし残念ながら、今のスウィートブライドにそういう予約は1件も無し。僕はすぐに小山美香に返事をして週明けに会う約束をした。

2013年3月25日。

朝9時。ピアホテルの深夜バイトが終わった後、そのまま姫路駅に向かう。待ち合わせの時間には余裕があったので、少し運賃の安い山陽電車に乗る事にした。到着時間はJRに比べだいぶ遅くなるが、運賃は安い方がいい。

久しぶりの山陽電車は相変わらず乗客が少ない。
ゆったりと席に座り、スマホに挿したイヤホンを耳につける。マイスキーのバッハ無伴奏チェロ組曲第3番を聴きながら、中村文則さんの「何もかも憂鬱な夜に」を手に取る。しおりを挟んでいた頁を開け、僕は刑務官である主人公に身を投じていく。中村文則さんの文体とバッハってとても合う。僕の中で読書が進む組み合わせだ。

しばらく読書にふけっていると、須磨の海が見えてきた。春の穏やかな海の気配を感じながら、神戸に入った事を実感する。僕は本を閉じ、しばらく海を眺めた。

ここでマイスキーから小曽根真さんに切り替える。やっぱり神戸は小曽根さんでなきゃ。昔のアルバムから「オゾン」をセレクト。これがかなりヤバい。僕のテンションはどんどん上がっていく。

電車は新開地に到着。
ここで阪急電車に乗り換える。マイスキーから小曽根さんに切り替えたように、中村文則さんから有川浩さんに切り替えなきゃと思う。中谷美紀さんがウェディングドレス姿でホームに立っている事を想像するだけで楽しくなるものだ。

そんなミーハー心で阪急電車に揺られる事15分。目的地の芦屋川駅に着いた。

駅を出て線路沿いに西へ少し歩くと、オシャレなカフェが見えてくる。コンクリートの外観にガラスウィンドウ、そして重厚なウッドの扉。店内に入れば、コンクリートの壁にウッドの床。そしてテーブルと椅子もウッドとアイアンでまとめられていて、芦屋らしい大人の雰囲気に包まれているカフェだ。

僕は、小上がりになっている階段の上のテーブル席に座った。まだ待ち合わせには30分以上あった。珈琲を注文し、鞄からさっき電車の中で閉まったばかりの中村文則さんの「何もかも憂鬱な夜に」を取り出す。僕はこの人の文体に目が無い。中村さんとの出会いは、デビュー2作目の「遮光」だった。その圧倒的な文体に魅了され、一気に恋に落ちた。

芦屋のオシャレなカフェで、ネルドリップで淹れた珈琲を飲みながら、中村文則を読む。僕にとっては何とも豊かで贅沢な時間なのである。

そんな時間が過ぎてゆくのは早いもので、扉が開く音がしてそちらに目線を向けると、小山美香が店内に入ってきた。僕はゆっくりと脳の回路を小説の世界からリアルに戻していく。

小山美香の横には、司会者らしい女性がいた。

レイヤード風のオフホワイトのトップスに春らしい薄いベージュのパンツスーツをすらりと爽やかに着こなしていて、芦屋で会うに相応しい雰囲気を持つキレイな女性だった。

名刺を交換する。
その時、その女性からの思わぬ言葉に驚いた。

「中道さん、ご無沙汰してます」

「えっ!」

一瞬ビックリして腰砕けになりながら僕はその女性の顔を見直し、慌てて名刺の名前を見返した。

『フリーランスMC 山岡千里 Yamaoka Senri』

僕は必死に記憶の糸をさぐっていく。

「マダムユリさんのところで一度」
そう言って、彼女はやわらかい表情を見せた。

マダムユリとは、僕が初めて立ち上げたカウスボレアーリスで一番最初にお付き合いをしていた美容師さん。芦屋駅の北側にマダムユリのサロンがあって、僕は当時そこに入り浸っていた。まだ小山美香と出会う前の話である。

「ユリさんのところに洋子さんというスタッフがいたでしょ?私、その洋子さんの友達で、それでマダムユリにお客様として通ってたんです。中道さんとはその時に一度。ユリさんがプランナーさんよ、って紹介してくれて、私は当時ラジオのパーソナリティをメインにしてて、また仕事の機会があればと挨拶させていただいたんですよ。思い出しました?」

ラジオのパーソナリティというキーワードが僕の絡まった記憶の糸を一瞬にして正常に戻してくれた。

「あぁ!思い出しました。懐かしいですねぇ。そう言えばあの後、千里さんのラジオ何度か聴きましたよ。僕の事も覚えていてくれて嬉しいです。それにしてもマダムユリという名前も懐かしいなぁ。でもその千里さんがなぜ美香ちゃんと?」

「ママ友なんです(笑)」

「じゃひょっとして、3年前にブランジェールで美香ちゃんと会った時、美香ちゃんがついさっきまでここにママ友いたのよ、って言ってたママ友って千里さんの事だったの?」

僕は小山美香の方を向いて驚いた顔で尋ねた。

「そうそう。あれからしばらくして千里さんとその日の話になって、千里さんが帰った後、昔仕事でお世話になってたプランナーさんに偶然会ったんだよって話をしてたら、千里さんも中道さんを知ってる事がわかってビックリ。世間は狭いよねぇ」

「ほんとに。ビックリだねぇ。それにしても、美香ちゃんも千里さんも子供ができてママになって。何かこう、時の流れを感じる。で、今日は何?千里さんの仕事の話?」

「実はそうなんです。今はまだ子育て中で仕事はしばらくお休みさせてもらってるんですけど、もう少ししたら動き始めようかなと思ってるんです。そんなタイミングで中道さんの話を聞いたものだから、これは会わなきゃ!って」

「そうでしたか。それは嬉しいな。今スウィートブライドは神戸のプロダクションにお世話になってるんです。今はうちもそんなに組数が無いので色んな会社とお付き合いする訳にはいかないんですけど、また千里さんが仕事を始める時に僕とのタイミングも合えば、ぜひ一緒にしたいですね」

人のご縁というものは面白いもので、久しぶりの再会を楽しんだ。僕が夢を持って足を踏み出した頃に会った人たちと、今こうして笑って話ができる事に喜びを感じた。

一度は完全に落ちぶれたけど、まだ僕は同じ一本の道の上を歩いている。いい未来を歩む事で、過去も変える事ができるのかもしれない。とても哲学的だけれど、そんな風に思った。

「ところで、マダムユリさんは今どうしてるのかなぁ。すごく懐かしい。この後、ちょっと顔出してみようかな。マダムユリは僕のベンチャーのスタート地点だからね。ここからだとJR芦屋駅まで歩いて10分くらいだよね?」

「あ・・・、中道さんはあれからマダムユリへは行かれてないんですか?」

ちょっと何かを含んだような山岡千里の言葉に少し違和感を覚えながらも、もう長らく会っていない事を伝えた。

「中道さん行くんだったら、私も一緒に行きます」

山岡千里はなかば僕の言葉を押し切るようにそう言った。小山美香とはここで別れ、僕は山岡千里と2人でマダムユリへ向かう事になった。

人生の同じ一本の道・・・。
僕はその意味を噛みしめながら、芦屋川沿いを南へ歩いた。しかし、マダムユリが近づいてくるとノスタルジックな想いが胸にこみ上げてきて、僕は歩くのをやめた。

よくよく思い起こしてみれば、マダムユリとはいい別れ方だったとは言えない。仕事上のトラブルがあったという訳ではないんだけど、お互いにちょっと言い合いになった事があった。スタッフの洋子さんが間に入ってくれて、その件については収まったんだけど、僕もユリさんも強情なところがあって、お互いにキチンと謝罪しないまま、いつしかフェードアウト状態に。その後、何度か顔を合わせてはいるんだけど、何となくその時の亀裂が修復しきれてなくて、打ち解けるまではいたっていなかった。

ちょうど同じ頃、人を介して小山美香と出会う事になり、当時のカウスボレアーリスの仕事はマダムユリから小山美香にオファーが切り替わっていった。

そんな僕が今、どの面下げて会いに行こうとしているのだろうか。相手の気持ちを考えないお気楽でおバカな奴である。

僕はたぶん一人だったら、今ここでUターンして帰っていただろう。

「ユリさんはたぶん中道さんと会いたいはずですよ。あの頃のユリさんと中道さんの関係を見てるから、私わかるんです」

僕の揺らいでいる心を見透かすかのように、山岡千里がゆっくりと話始めた。

「ちょっとそこ座りません?」

山岡千里はそう言って、川沿いのベンチを指さす。僕は促されるままにそのベンチに腰をおろした。

「あれからのユリさんの事、話するね・・・」

僕はまだ蕾の状態の桜を見あげながら、彼女の話に耳を傾けた。

シャッターを連射した時のコマ送り画像のようにユリさんの笑顔が僕の脳裏に現れる。ユリさんとは、たくさん話をした。たくさん笑った。たくさん夢を語り合った。世の中の事なんて何も知らないまだサラリーマンだった僕の背中をユリさんは押してくれた。

今僕がこのブライダルの一本の道に立っているのは、ユリさんがこの道の先を教えてくれたから。

桜の蕾の中から、黄緑色のメジロが飛び立った。

僕の頬を涙がつたった。

マダムユリに着くと、スタッフの洋子さんが満面の笑顔で僕を迎えてくれた。(今はもうスタッフではなくて、オーナーのようだ)そしてユリさんのところへ案内してくれた。

「亡くなる数週間前、ユリさん、中道さんの事心配してたんですよ。仕事大変そうだけど、大丈夫かな・・・。でも中道さんなら大丈夫か!ハハハ。中道さんのブライダルは本物だから。うん、絶対に大丈夫!・・って」

僕は感情を抑えられず、一気に大粒の涙が溢れだした。仏壇のろうそくに火をともしながら洋子さんは続ける。

「中道さんと夢を語ってたあの頃がユリさんも一番楽しかったようです。私たちもあの頃は楽しかったです。今日は本当によく来てくださいました。ありがとうございます」

洋子さんはそう言って僕に深々と頭を下げた。

「ユリさん、ごめんね・・・。あの時、ちゃんと謝る事ができなくて・・・。俺、本物のブライダルにこだわるから。金儲けなんてどうでもいい。俺にしかできない最高の結婚式をプロデュースするから。だから、だから・・・、これから僕がプロデュースする結婚式、天国から見守っててよ。ね?絶対だよ!」

ろうそくの火に照らされたユリさんの笑顔は、あの頃のままだった。


第57話につづく・・・


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