見出し画像

第40話 ワイフへの手紙

スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2012年7月1日。

東側の出窓から射し込む陽光はもう夏の色だ。

僕はTシャツにブルージーンズを纏い、外に出た。自転車にまたがり、スマホのイヤホンを耳につけ、ミュージックフォルダからケアリィレイシェルをセレクトする。大好きな「エオマイ」が流れてきた。

澄んだ夏の朝の空気がとても心地いい。

僕は颯爽と250号線を西へ走る。南北に流れる揖保川を渡り「浜田変電所前」を過ぎてしばらく行くと右手にマックスバリュが見えてくる。そこを過ぎれば目的地はすぐそこだ。

「新舞子入口」の交差点を南へ折れると、一気に汐の香りに包まれる。否が応でも気分が高揚する。ホテルシーショア御津岬と書かれた大きな看板を過ぎると眼の前はもう海だ。

新舞子海水浴場にある松の木の下に自転車をとめる。

自販機で缶コーヒーを買い、そのまま砂浜へ。波打ち際まで行ったところで靴をぬぎ、僕は素足で砂浜の感触を確かめた。時折打ち寄せる波は僕の足に海藻を巻き付けていく。

僕はそこに腰をおろした。

スマホの音量を大きくすると、ケアリィレイシェルの「マウナレオ」が波の音に紛れるように聴こえてくる。

しばらく僕は海の向こうの水平線を眺めていた。

(あれから3年かぁ・・・)

改めて自分の不甲斐ない人生を回想する。
ぼろぼろになり人格を全て奪われたような3年だったはずだけど、今振り返ると案外と充実していて、自分の人生を見直すとてもいい3年間だったように思えた。

オードリーウェディングの頃はプレッシャーと闘い、常にストレス状態にあった事を思うと、僕のこの3年間はキセキのような時間だったのかもしれない。お金のために朝から深夜まで働き詰めだったから体力的には相当にキツかったけど、プレッシャーやストレスから解放された時間というのは、この波の音のようにゆったりとしたものだったように思うのである。

僕は、また懲りずに挑戦する。
僕があの日置き忘れてきた夢を叶えるために。

『情熱の他に、知恵の掛け算と経験の足し算があればいい』と、松下幸之助さんは言う。今から一歩一歩経験の足し算を積んでいけば、いずれ良い知恵と巡り合うのかもしれない。

スウィートブライドは、オードリーウェディングのブランドイメージ、またプチウェディングの価格戦略のような大きなアドバンテージがある訳ではない。僕自身の哲学の底に流れる心地良い価値観を意識ながら、バランス感覚を重視しているに過ぎない。

それだけに、スウィートブライド事業はとても楽しいものに感じる。「こうだ」という縛りが全く無く、ただお客様に喜んでいただける事だけに進んでいけるように思うんだ。

僕は両手を広げ、そのまま砂浜の上に大の字に寝転がった。とてもきれいな青い空が広がっていた。

スマホからはケアリィレイシェルの「エピリマイ」が流れていた。

2012年7月2日。

ピアホテルの深夜バイトが終わり自転車で帰宅した僕は、ホテルの宿泊客からいただいた回転焼きを頬張りながら2階の仕事部屋にあがった。

昨日からようやく取り掛かったスウィートブライドのホームページ制作。まだ内容的にはとても薄いが、僕の想いだけををひたすら詰め込んでいく。新郎新婦の実例写真が一枚も無く、またスウィートブライドの広告撮影もしていない訳だから、データが何も無い立ち上げ時のホームページデザインは案外と大変なのである。

これがもし、クライアントからの依頼であれば「もう少し内容を考え、使用できる画像を準備して下さい」なんて文句を言ってるかもしれない。今のスウィートブライドはそれくらいのレベルであった。

「そろそろ晩ご飯にするけど!もう降りてこれる?」

階下のリビングからワイフの声が聞こえる。
朝10時に取り掛かりすでに夕方の6時になっていた。昼も食べず気持ちいいくらい集中していたようだ。

僕はその集中をきらしたくなかったので晩ご飯をササっと済ませ、すぐにまた2階の仕事部屋へ戻った。

ーーー 出窓のカーテン越しに薄く陽が射してきた。
時計を見ると朝の5時・・・。人間の集中力とはなかなかにすごいもので、僕は完全徹夜でデザイン制作に没頭していた。

それでもまだ仕上がるまではいかなかったが、アップできるくらいのところまでは完成した。

僕は家族を起こさないように静かに階段を降りる。
キッチンで珈琲を入れ、ダイニングテーブルの上に置いてあった菓子パンを手にとり再び2階へ上がった。

デスクの2段目の引き出しをあけ、先日文具屋で買った便せんと封筒のセットを取り出す。

7月3日の夜明け前、
僕はお気に入りの丸善の檸檬色の万年筆を持ち、便せんに向かった。

『 鈴江さんへ

この3年間、僕のそばにいてくれてありがとう。

僕はこれまで数社のブライダル会社を作り、
数えきれないくらい結婚式をプロデュースしました。

でもウェディングプランナーとしての仕事は、
まだ全然できていないように思います。

人生を賭けたブライダルの夢・・・

僕はまだその答えを見つけられていない。

だからもう一度、
真剣にブライダルと向き合いたいと思ってます。

またしばらく迷惑かける事になるけど、
こんな僕の人生にもう一度付き合ってください。

鈴江さんと2人の息子のためにも
まっすぐにブライダル道を進んでいきます。

そして、いつの日か、
この道を選んで良かったと言える日がきますように。

ーーー 2012年7月4日 RYO 』

僕は手紙の最後に明日の日付を書いた。

スウィートブライドの事業スタートは、ずっと前から7月4日と決めている。

7月4日。この日は20年前・・・、
僕とワイフが交際をスタートした大切な日。

手紙を書き終えた僕は立ち上がって出窓のカーテンを開けた。眩いばかりの夏色の朝陽が射し込んできた。


第41話につづく・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?