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第52話 パクリ疑惑

スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2012年11月23日。

フレンチレストラン「グランメゾン」での結婚式。

9月のイタリアンレストラン「パスティーユ」でのナイトパーティーがスウィートブライドのこけら落としとなったが、今回はいよいよ本丸であるグランメゾンの結婚式。親族中心の本格的なレストランウェディングという事では、今回が実質的なスウィートブライドの始動と言えるものであった。

8月に広告撮影をした時の余韻がまだ残っているようで、今日のテーブルコーディネートは、その撮影当時の面影が色濃く反映されているように感じた。

採算を度外視したような本田さゆりの装花には、胸を打つ。高砂テーブルにゴールドのランナーを2本かけるようになったのも、撮影の名残りだ。

グランメゾンは多くのプロデュース会社がレストランウェディングの会場として使用している。そんな中でテーブルクロスや花で主張するというのは、スウィートブライドにとって他社との差別化でもあった。

僕は、新郎新婦お2人手書きのくまのプーさんが彫刻された席札ボトルをテーブルの上に並べながら、新しいグランメゾンのレストランウェディングを想像し、少し高揚した気持ちになっていた。

今日は、前回のパスティーユから司会者と音響担当が替わったチーム構成。まだまだチームが固まっていない状況ではあったが、僕は久しぶりのグランメゾンのレストランウェディングを心から楽しんだ。

7月にスタートしたスウィートブライド初年度は2組のレストランウェディングをプロデュースする事ができた。上出来のスタートと言えるだろう。

2012年12月中旬。

僕にとって衝撃的な出来事があった。

それは、木曜10時に放送されていたテレビドラマでの事。生花店を舞台に毎回ひとつの花がキーワードになるストーリーが展開されるドラマだった。

僕が衝撃的だったと言うのは、主人公の妹がサプライズのガーデンウェディングを行う放送回。

新婦がドレスを着て登場した瞬間、僕は目を疑った。
ウェディングドレスがスウィートブライドでモデル撮影をした時のドレスと同じデザイン。そして、手にしているブーケがなんとオールブルーのデルフィニウムのブーケだった。

目の玉が飛び出るほどビックリした。

スウィートブライドのホームページの画像と瓜二つなのである。さらに驚く事に、ドラマの中のフローリストがそのデルフィニウムのブーケに添えた花言葉が、『あなたを幸せにします』・・・

僕は慌ててスウィートブライドのホームページを見返す。ウェディングドレスとブーケのスタイルが同じなのはもちろんの事、花言葉までもが全く同じ。

一瞬、開いた口が塞がらなかった。

「パクられたぁー!」

僕は自宅のリビングで大声で叫んでいた。
もちろん何の確証もない。ただ、僕が8月中旬にホームページにこの画像をアップした事を考えてもタイミングがあまりに合い過ぎていた。

(放送局の名誉もあるだろうから、念のため補足するが、パクリの確証は全くない。僕の自惚れだと言われればそれだけの事)

でも、実のところ、怒りは全くなかった。
姫路の片田舎の僕たちが創り上げたスウィートブライドの世界を、大都会の東京の最先端のテレビドラマにパクられると言う事実は、僕たちの感性が間違っていないという証であり、それはある意味自信をもらえたような気がしたから。

逆に、嬉しかったと言ってもいいかもしれない。

だから僕は、世間に対して一見ふてくされたように振る舞いながら、「東京のドラマが真似したんだぜ」なんて自慢話をしているようでもあった。

ただ、スウィートブライドの方向性が間違っていないと確信できた事は、立ち上げたばかりの僕にとって未来への希望を明るくするものであった。

2012年12月末。

年の瀬が近づき、世の中は賑やかさが増す。
僕はスウィートブライドの仕事をし、リヴェラデザインの仕事をし、そしてピアホテルの深夜バイトをし、世の中の賑やかさを避けるように仕事に没入していた。

僕は「生きるための術」とまで言っていたウイスキーを断ち、大好きなバーにも行かなくなっていたから、この頃は自分自身のストレスの対処法を見失っていた。

酒の力は偉大だと改めて痛感したものだ。

今、そんな僕の心をお酒に替わって癒してくれている存在は仏さん。祖母が献身的な仏教徒で、僕は生まれた時から祖母のお経を子守歌のように聞いて育った。

僕の家は浄土真宗だ。でも祖母は日蓮宗のお経を毎日あげていた。般若心経を僕の身体が覚えているのは、祖母の影響である事に間違いないだろう。

かんじんざいぼーさー・・・

酒の力を失った今、僕はいつにも増して仏教に癒しを求めるようになっていた。自分の人生を転げ落ちないように、この時期の僕はひたすらお経をあげていた。

いつしか仏教が僕の「生きる術」になっていた。


53話につづく・・・




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