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(よくある話をわかりやすく)感情と事実を切り分ける

仕事を始めてから、よく言われた話。

感情と事実を切り分ける。

どんなシーンでも(おそらく)、感情と事実は切り分けられる。

例えば、

上司から「バカじゃねーの」と言われた時。
【事実】 上司が「ば か じ ゃ な い の」 と言われた
【感情】 上司は、怒っている? バカにしてる?

それを受けて、自分は泣いた
【事実】 涙が出た
【感情】 悔しい? 悲しい? 自己嫌悪?

とか。

多分、似たような考え方で、上司からこんなことを聞いたこともある。

自分が作ったプロダクトが、うまくいかなくてクレームになったとき。自分とプロダクトを分ける。プロダクトにはクレームが入ったかもしれないが、自分にクレームが入ったわけではない。自分と、自分の成果物(ここではプロダクト)を分けると言うことになる。

他にも「頭悪いよね」と言われた時に、その人は、別に感情を乗せて批判わけではなく、単に"頭が(誰かと比較して)悪い"と言う事実を述べただけであって、その人のパーソナリティを批判しているのではない。人格否定ではなく、行動を指摘してあげると言う思想に似ている。

その他にも、

正味なんだよ、正味。
ファクト(事実)で話して、ファクト(事実)。

とかよく言われていたなぁ。

恋愛だとどうなんだろう。大体こう言うのはネガティブに捉えらえるシーンで、本領を発揮すると思うので、ネガティブ系の設定にしよう。好き同士だった人がいた、その人が別の人を好きになった?
【事実】 現時点で、私よりもその人の方が、総合的に考えた時に(もしくは彼の重視するポイントについて)、彼にとってポイントが高かった
【感情】 信頼していたのに裏切られたような気がした、自分は価値のない人間に感じた

これとか、時間軸を伸ばしたり(現時点、ではなく、10年後を考えるとどうだろう)、視点を変えたり(彼から見て、ではなく、一般的な30代男性から見て)すると、感情が切り離されていく。

「客観視」しようみたいなことも言いたいことは同じで、主観(感情)と客観(事実)で分けたときに、主観で「自分はこう思う」「自分はこう感じた」と主語が"自分"の間は、事実がきっと正しくみれない。主語を"自分以外"に変えてみて、「相手はどう感じただろう」「社会はどう言っているだろう」など問いかけることで、事実が見えてくるものなのだろうと思う。

結局、事実と感情を切り分けることが、仕事でも、人生でもとても有意義だなと思う。まぜこぜになると、正しく理解できないからその問題を解決もできないよなぁ。

この切り分ける感覚が、わかってくるときっと、本当に、無駄な力を入れずに生きていける気がする。だって事実は変わらないんだもんな。

力を抜いて、事実だけを並べて、

そうすると、日常がまた違った世界に見えてくる気がして、

今は、その感覚でみる世界を楽しみたい気持ちでいる。


楽しみたいなぁ。そう言う世界の見方も。

そんなことを思う、2021/7/11 夜中03:46。そろそろ寝なきゃ。

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