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村弘氏穂の『日経下段』2017.4.1~

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土曜版日本經濟新聞の歌壇の下の段の寸評
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2017年6月の記事一覧

村弘氏穂の日経下段 #13 (2017.6.24)

村弘氏穂の日経下段 #13 (2017.6.24)

ねむってるあいだの僕を借りていた天使が僕を返し忘れる

(東京 木下龍也)   

 夢幻的秀作。まるで他人事のような悠揚迫らぬ文脈からは、ことさら驚きも怒気も察することが出来ない。飄々とした平気があるだけだ。「僕」と「天使」のあいだには、円満な貸借契約が交わされているかのように。睡眠中も時は流れる。そこにあるのは僕の抜け殻。起きぬけに漂っていた奇妙な空気。新鮮なその違和感をただ単に吸えば幻、吐き

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村弘氏穂の日経下段 #12(2017.6.17)

村弘氏穂の日経下段 #12(2017.6.17)

右左つくった国が異なって未来の見えぬコンタクトレンズ

(つくば 須田 覚)

 素材がコンタクトなのに隔たりを浮かび上がらせる技巧が面白い。ネットショップで購入した左右の度数が違うレンズなら、ロットも違えば生産国が違うこともある。徹底したコストダウンのためにセレクトする生産工場や流通ルートは時期によって多様だ。しかし、左右それぞれの眼にそれぞれの国のレンズを装着したところで、度数さえ合っていれば

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村弘氏穂の日経下段 #11(2017.6.10)

村弘氏穂の日経下段 #11(2017.6.10)

どちらからともなく繋ぐ手どちらからともなくほどける夜のどこかで

(横浜 櫻井鞠子)

 結句の「どこか」は空間ではなくて、時間的な概念でのポジション。繋がっていたのにいつの間にか、それぞれの肉体へと帰る手は、それぞれの空間、それぞれの時間へと帰ってしまうことの白い布石だ。上の句の手は「繋ぐ」で意思があるんだけど、下の句の手は「ほどける」だから意思が希薄。きっと時間の仕業なのだろう。序章の恋の臨場

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村弘氏穂の日経下段 #10(2017.6.3)

村弘氏穂の日経下段 #10(2017.6.3)

きみは森迷えば雨が降りだして木の実のような記憶を落とす

(東京 鈴木美紀子)

 森に雨が落ち、木から実が落ちる自然界の摂理。それを人間界をさ迷う者の摂理に擬えて、見事に落とし込んでいる。上下両句に存在する絶妙なメタファーをより際立たせているのは、一首を通して存在する英詩のような音の強弱だろう。繰り返し読むと、雨がつくりだした森のクリークが、せせらぎを美しく奏で始める。森には行き先を見失う危うさ

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村弘氏穂の日経下段 #7(2017.5.13)

村弘氏穂の日経下段 #7(2017.5.13)

壊すのか建てているのか分からない白く覆われビルの気配す

(東京 佐伊藤哲生)

 不確実な事象や不透明な事物を歌に詠むことはよくある。分からない事柄だからこそ、我々は強く興味を惹かれるのだ。疑問を軸に構成されている作品だが、屹立するのか崩れ去るのかが不明の建造物さえ、実際には見えていない。そこには気配だけが漂っているのだ。じきに変貌を遂げるであろう不可視な立体を隠す、ヴェールだけが明白に際立って

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