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夫婦の家事分担については諦めました

話し合うことを拒否されて、夫に家事を期待するのをやめて、してくれたことだけに感謝をしようと思っていたら、日に日に何もしなくなっていき、今では、ゴミ出しと、食事の後、食器をシンクに運ぶくらい。
気が向いたときだけ、私が洗濯を干していると一緒に干してくれることもあるけど、本当にそれだけな夫。

「これからしたいことだけをして生きていく。やりたくないことはやらない」
と定年退職後にさらりと言いのけた夫。
家事の分担の話をしているときでした。
そばでその話を聞いていた長男が「ひでぇ」と呟きました。
「私も家事やりたくないけど、ずっと頑張ってきたんだけど?」
そんな私の言葉は宙に浮いたまま。夫が返事をすることはありませんでした。

下記の記事はまだ、定年退職後まもなくに書いたもので、夫のことを頑張って理解しようとして書いたnote。
今読むと、自分のモヤモヤした気持ちを押し殺して、夫の良いところを無理して頑張って見つけ書いていたことがわかります。

夫の中では、料理も、ゴミ捨ても、洗濯も、頑張ってる!という気持ちだったのでしょう。
一番手伝ってくれていた状態での実際の状況は以下の通り。

買い物:
散歩のついでに、自分が行きたいルート上にあるスーパーで買い物。
歩きのため、たくさんは買えない。主に自分の好きなものがメインの買い物。
詳細はこちらのnote

料理:
気が向いたときだけ、テーブルを拭き、家族分の箸とコップを出す。
食事のあと、食器をシンクに運ぶ。
炒めもののときだけ私が炒め始めると、さっと来て炒める。
(野菜の下準備、味付けは私、盛り付けも私、炒めもの以外の料理のときはノータッチ)

ゴミ捨て:
朝、ゴミ捨て場に出す。
(ゴミを分別し、まとめて玄関に置くのは私。ゴミ袋の交換なども私)
紙ゴミとダンボールは、たまると時々まとめてくれる

洗濯:
私が洗濯を干すと、気が向いたときだけ手伝う。
(洗濯機を回す、乾いた洗濯物をたたみ、所定の場所に片付けるのは私。シーツなど、大物の洗濯物は手伝いなし)

掃除は手伝いなし。

家事分担の話をしていたとき、夫が「こんなに手伝っているのに」という雰囲気を出してくるので、どうも私が担っている家事と自分が手伝っている分の家事の分量の差がわかってないのだな、と思い、「一週間くらい私だけ旅行とかで家を空けないとわからないのかもね」と言うと、間髪入れずに、

「じゃあ僕も1週間旅行しようかな!」

いや……そういう話じゃないんだけど。
あなたが1週間いなくても、こちらは全然困りません。

もうこの台詞とその時の表情、言い方、全てが、頭に来るを通り越して

――だめだこの人。

という諦めというか、気持ちが一気に冷めたというか、正直もうどうでもいいやという投げやりな気持ちになりました。
夫と関われば関わるだけモヤモヤとした気持ちが膨らむだけなので、意識の外に置いて関わることをやめようと思いました。

私が家事について何も言わなくなったので、夫は本当に丸一日、自分の自由時間を好きなように過ごして、私が作った料理を食べ、私が洗濯したものを着て、私が掃除する部屋で暮らしています。
まさに三食昼寝付きの生活です。

結局、夫の思う通りになっているのが悔しいけど、もう悔しいとか、悲しいとか、そういう感情に振り回される方が私の幸福度が下がることに気づいたので、夫とは心の距離をこれからも取り続けることにします。

結局、それが私の出した答え。
きっと正解ではないのだろうけど、簡単に離婚や別居ができない状況な中、これが最善策なのだろうと自分に言い聞かせています。

とにかく今は、子どもたちのことに意識を全振りしたい。
そして夫は、病気で苦しむ子どもたちにも無関心なので、もう本当に「だめだこの人」という感想しか今はありません。
自分と、子どもたちの幸せな未来を模索していきます。


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