【旅の記憶】遥かなるセントルイス
「機内にお医者様はいませんか?」
このアナウンスが聞こえたとき、私は太平洋上空を東へ向かっていた。
日本の航空会社でシカゴまで飛び、そこからアメリカの国内便に乗り換えて、
中西部の町、セントルイスへ行くところだった。
セントルイス(St.Louis)はトム・ソーヤーの冒険に登場するミシシッピ川沿いにある、ミズーリ州の工業都市で
何と言ってもあのセントルイス・カージナルスの本拠地として有名だ。
(この頃はまだ引退前のマグワイアがいて、田口がやってくる直前だった。それぐらい前の話)
一体なぜセントルイスかというと、当時、学生時代の同級生が住んでおり、
それなら行かない手はない!と仕事のお盆休みを利用して泊めてもらうことにしたのである。
(お盆休みと言えば航空券がMaxで高いけれど、他の時期にずらせる見込みもなく、宿泊代がいらないことと差し引きして決行)
さて、冒頭のアナウンスがあったとき、
私の周囲では特に何事も起きていなかったし、私が慌てたところでどうしようもないので大人しくしていたのだけれど
「機内で急病人が発生し、医師の判断で、最寄りの国際空港へ緊急着陸いたします。」
という次のアナウンスがあったときには、さすがに、ええっ?と思った。
そして、その時点での最寄りの国際空港はアラスカのアンカレッジ国際空港だったのだ。
アラスカ・・・私の頭の中には針葉樹林だとか熊だとかのイメージ映像が流れたが、実際のところアラスカの知識はまったくなかった。
ともかく飛行機は進路をアラスカに変え、やがて我々は真夜中のアンカレッジ空港に降り立った。
降り立ったといっても急病人を降ろすためである。
我々乗客は未知のアンカレッジを見ることもなく、機内でひたすらじっと待つしかなかった。
窓の外はただただ真っ暗。
その急病人がどのような状況だったのかは結局わからず(お医者さまがいたことだし、最短で地上に降りられたので、大丈夫だったと信じるしかないけれど)
このときも私は一人で飛行機に乗っていたので、何だかとても心細かった。
ともかく心配だったのは、飛行機がどれぐらい遅れて到着するのだろう、ということだ。
私はシカゴでトランジット(乗り継ぎ)をする必要があった。
それは私にとって初めての経験で、ただでさえ不安を覚えていた。
とは言え不可抗力で遅れるのだから、乗り継ぎの飛行機もさすがに待ってくれるのではないか、
という考えが途方もなく甘かった、とわかるのは数時間後であった。
やがて飛行機は乗り継ぎのシカゴに到着した。
かなり遅れて到着したのだ、乗り継ぎのための案内があるのではないか、と淡い期待を抱いたのだが
もちろんそのようなものは何もなく、
私は急にたった一人で放り出されたような心境で
一人旅の難関、イミグレーション(入国審査)へと向かった。
どこの国か、いつの時期か、どの担当官か(泣)にもよるが
私はイミグレーションをスッと突破したことがあまりないので、
イミグレーション恐怖症である。
一人旅で、ちょっと長めの滞在期間だったりするから、不法就労なんかを疑われるのだと思うが、なんだか毎回恐ろしい。
この時も、私が滞在先に友人の住所を書いていたら、そこを追及された。
「この住所はホテルじゃないだろ?誰が住んでるんだ?」
「My friend.」
「友達?アメリカ人?」
「Japanese.」
「日本人がなぜアメリカに住んでるんだ?」
噓をつくつもりはもちろんないけれど、要約して説明できる英語力がない。
私は一から説明する暴挙に出ようとした。
「My friend married...」
私の友人は国際結婚してアメリカに住んでいたのだが、結婚相手はベルギー人だったので、どう言ったものかと言い淀んでいたら、
「もういい、わかった、大体わかったから。」
まどろっこしくなったのか、唐突に通してくれたのだった。
ともかく無事入国!と喜んでいる場合ではない。乗り継ぎがっ!
慌てふためいてセントルイス行きの便が出るターミナルへ行くと、なんと!
今、まさにボーディング・ブリッジが外されて、飛行機が滑走路へ動き始めたではないか!
いや、そんなことある?イミグレーションからダッシュで来たのにそんなことある?乗れないなんてことが。
迎えに来てくれているはずの友人に連絡したかったが、この時の私には公衆電話という連絡手段しかなく、それはそれでハードルが高い。
心配をかけるのは申し訳なかったが、向こうは英語も話せるし、
きっと状況を把握してくれている、と思うよりほかなかった。
それよりなにより一体私はどうしたらいいんだろう。
呆然としたが、その時、カウンターで何事かを訴えかけている女の子達が目に入った。同じ日本からの飛行機に乗っていた子たちだ!
話しかけると案の定、日本人で、日本に一時帰国していたセントルイスの学校の留学生だと言う。
私が入国審査で手間取ったせいというわけではなく、どれだけ急いでも乗り継げなかったのだ。
「今、こっちの事情を説明してたんだけど、次の飛行機2時間後だって。」
・・・そう、シカゴーセントルイス間の飛行機が10分おきに出ているわけもない。しかし2時間後とは。
「だからね、乗れなかったせいでここでランチ食べなきゃって言って、ミールクーポンもらったの。あなたの分もあるから、一緒に食べない?」
たくましいな、と彼女達を眩しく感じながら、私はありがたくランチをいただいたのだった。
2時間後、次の飛行機に乗った私は、ようやくセントルイスに到着した。
へろへろでゲートを出ると友人が待ってくれており、
「全然来ないから、いったん車で家に帰ってた。一体何があったの?」
と尋ねてくる。彼女には状況がまったく伝わっていなかったのだ。
勢い込んで説明すると、彼女はまだ近くにいた例の留学生の女の子達を振り返って言った。
「この子をセントルイスまで連れてきてくれてありがとう!」
ほんとに、彼女達がいなかったらどうなっていたことか。
ちなみに、前の便に積み込まれていた私の青いバックパックは、謎の事務所の片隅に放置され、私を待っていた。
よくもまあ、無事に手元に戻ってきたことだ。
※なんせマグワイアがいた頃の話です。
実際にセントルイスへ渡航する際には最新情報を確認しましょう。
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