見出し画像

出生の秘密、家族との葛藤、そして「許し」へ―志賀直哉の『暗夜行路』④


🌸note創作大賞2024応募作品🌸

三鶴✖️仲川光🌸共作小説【白い春~君に贈る歌~】
(全編まとめ)

余命わずかの彼女と、夢を諦めた彼。

2人が出会った時、起きる奇跡は?

生きるとは?人生とは?

小説を通して、一緒に考えていきませんか?

一気読み、大歓迎です🌸




いつも私の記事をご覧くださり、ありがとうございます🌸

定期購読マガジン「仲川光🌸文学入門①近代文学」、8月度第7回を公開させていただきます。

この記事がいいな!と思った方、続きが読みたいと思った方は、ぜひ定期購読マガジンの方をご検討くださいね。↓↓

※単体の有料記事だと250円。
※定期購読マガジンですと1ヵ月980円。(月7~8回ほど発信)
※継続購読であれば、圧倒的に定期購読マガジンがお得です🌸
※定期マガジンに加入すれば、その月の記事がずっと読めますが、加入しないと、その月の記事は読めなくなってしまいます💦
今月分の購入を検討されている方は、お早めにどうぞ💖


8月第2作目には、志賀直哉の長編小説、『暗夜行路』を取り上げます。

『暗夜行路』は、志賀直哉が1921年~1937年の16年余りをかけて手がけた唯一の長編作品。

主人公・時任謙作の複雑な家族関係や恋愛での葛藤が克明に描かれ、彼の内面的な成長を辿っていく大作です。

志賀直哉は、文芸思潮『白樺派』を代表する小説家の一人で、芥川龍之介は「創作の理想」とするなど、多くの日本人作家に影響を与えました。



『暗夜行路』――出生の秘密、家族との葛藤、そして「許し」へ

志賀直哉(1883~1971)


宮城県生まれ。小説家。
学習院高等科を経て東京帝国大学(現東京大学)文学部中退。
在学中、七年間師事した内村鑑三のもとを去り、その後、武者小路実篤や有島武郎らとともに雑誌「白樺」を創刊。
同誌を中心にして起こった文芸思潮「白樺派」を代表する小説家の一人となる。
芥川龍之介が創作の理想とするなど、多くの日本人作家に影響を与えた。

代表作品:『城の崎にて』『和解』『小僧の神様』『暗夜行路』など


【書き出し】


私が自分に祖父のある事を知ったのは、私の母が産後の病気で死に、

その後二月程経って、不意に祖父が私の前に現れて来た、その時であった。

私が六歳の時であった。



【名言】


大地を一歩一歩踏みつけて、手を振って、いい気分で進まねばならぬ。急がずに、休まずに。

過去は過去として葬らしめよ。


※あらすじは、第1回目・2回目の記事をご参照下さい🌸



【解説】②

・すべてを許すという境地―『暗夜行路』のラスト

『暗夜行路」では、主人公の時任謙作が、自分が「母と祖父の不義の子として生まれた」という出生の秘密や、過失とはいえ、不貞を犯した妻との関係に苦しみます。

苦しみから逃れるために、一人で鳥取の大山(だいせん)の寺での生活に入ると決める謙作。

波乱万丈の人生でしたが、やがて大自然のなかに心の平安を得て、すべてを許すといった心境へと変わっていきます。

このように、『暗夜行路』は、主人公の内面的発展が描かれ、最終的には、家族との葛藤を克服し、妻とも和解するという「許し」の作品でもあります。

長年の苦しみから解放されていく謙作の様子に、とても心打たれるものがあったので、原作の一部をご紹介させていただきますね。


「私は旅へ出て大変元気になり、落ち着いている。

ここへ来た事は色々な意味で、大変よかった。

毎日読んだり、何かしら書いたりしている。

雨さえ降らねば、よく近くの山や森や河原など散歩に出かける。

私はこの山に来て小鳥や虫や木や草や水や石や、色々なものを観ている。

一人で叮嚀(ていねい)に見ると、これまでそれ等に就いて気がつかず、考えなかったことまで考える。

そして今までなかった世界が自分に展けた喜びを感じている。

お前に話したかどうか忘れたが、数年来自分にこびりついていた、想い上がった考えが、こういう事で気持ちよく溶け始めた感がある。(中略)

とにかく謙遜な気持から来る喜び(対人的な意味ではないが)を感ずるようになった。」

志賀直哉著『暗夜行路』(講談社文庫)より


彼は自分の精神も肉体も、今、この大自然の中に溶け込んで行くのを感じた。

その自然というのは芥子粒(けしつぶ)程に小さい彼を無限の大きさで包んでいる気体のような眼に感ぜられないものであるが、その中に溶けていく、――それに還元される感じが言葉に表現できない程の快さであった。

志賀直哉著『暗夜行路』(講談社文庫)より



・「小説の神様」―志賀直哉

『暗夜行路』の作者・志賀直哉は、「小説の神様」との呼び声も高く、多くの日本人作家に影響を与えた存在です。

作家として活躍し始めた志賀直哉は、雑誌「白樺」を中心とした、白樺派(人道主義・理想主義・個人主義的な作風)に所属。

『或る女』の作者・有島武郎らと並ぶ中心人物となりました。



・内村鑑三に師事

青年時代の志賀直哉は、内村鑑三のもとに通い、キリスト教や聖書に接し、宗教的教養も積みました。

友人に勧められ、内村鑑三の講習会に参加した直哉は、その真実さのこもった話に胸のすく想いがし、「本統のおしえをきいたという感銘を受けた」そうです。

内村の魅力に惹かれた直哉は、以後7年間、内村に師事。

直哉自身はキリスト教には入信しませんでしたが、のちに、自分が影響を受けた人物の一人として内村鑑三の名前を挙げています。



・夏目漱石、芥川龍之介から絶賛される

志賀直哉といえば、夏目漱石・芥川龍之介の両氏から、熱い期待を寄せられていた人物でもあります。


1906年、東京帝国大学に入学し(のちに中退)、夏目漱石の講義に興味を持ったことが、志賀直哉と夏目漱石の出会いです。

1913年、直哉は初の短編集となる『留女』を刊行。

後にこの短編集が夏目漱石によって賞賛されたそうです。

その後、漱石から、「小説『こころ』連載の後に東京朝日新聞にて連載しないか」、と誘われます。

直哉はその話を受け、小説「時任謙作」を連載予定でしたが、筆が進まず断念。

上京して漱石宅を訪れ、その場で漱石に新聞小説連載辞退を申し出ます。

漱石に不義理を働いたとの自責の念に悩み、直哉はこの年から3年間休筆しました。


芥川龍之介は、文学評論「文芸的な、余りに文芸的な」のなかで、「通俗的興味のない」「最も詩に近い」「最も純粋な小説」を書く日本の小説家は志賀直哉であると述べています。

さらには、「志賀直哉氏はこの人生を清潔に生きてゐる作家」であり、作中には「道徳的口気(こうき)」「道徳的魂の苦痛」が垣間見えるとも言及。

直哉を高く評価していたことが分かります。



・『暗夜行路』はどこまで志賀直哉本人を投影しているのか?

『暗夜行路』は、志賀直哉が16年もの歳月をかけて書き上げた長編大作。

時任謙作の人生は、出生、家族、恋愛、結婚、出産……すべてに問題が多発し、これでもかというくらい波乱万丈です。

そして、この物語が、作者・志賀直哉の半自伝的小説とも言われているのが驚くべきところ。

一体どのあたりまでが自伝的小説なのか、というところが気になりませんでしょうか?

私は気になってしまったので(笑)、ご紹介していきますね!



・『暗夜行路』の前身小説『時任謙作』


ここから先は

1,594字

¥ 250

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?