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「自然に関わって働けることがモチベーションに」 登山ガイド、農家 野高健司さん


8年前に長野県から中泊町に移住してきた野高健司さんは、登山ガイドそして農家として自然に携わるお仕事をしています。

2021年の4月から中泊町の農業法人でも働き始めた野高さんに、移住者としての中泊の生活についてインタビューさせていただきました。

(記事の最後に野高さんの登山ガイドのサイトを掲載しています)



山が見える場所で生まれ育った

神奈川県の小田原という丹沢とか富士山とか結構山がきれいに見える場所で生まれ育ちました。

だから小学校とかでも自然に触れる機会がけっこうあって、学校の遠足というと登山でしたね。特に覚えているのが小学校六年生のときの担任の先生が生徒を山とか星座観察に連れて行ってくれたことです。

そのあとなんとも思わなかったんだけど大学で都内に通うようになってから「地元っていいところだな」って改めて思ったんですよ。それで大学生のときに自分で興味をもって丹沢の山に登りました。

丹沢の山に登ると南アルプスが見えて、南アルプスの山に登ると北アルプスの山が見えるんですよ。もっと本格的に山登りしたいと感じるようになって、都内にある社会人の山岳会に入りました。そこで本格的なクライミング中心の登山をするようになって、海外にも遠征するようになりました。

実はね学部は法学部だったんですけど、なんか字面を追い回してくだらないな、自分の性に合わないなと感じていて。大学で取った児童法の教授からすごく影響を受けて、教育に興味を持ち始めたんです。

北アルプスの玄関の長野県大町市にある教育機関を見つけて、そこで20年働いていました。大町市で働きながら東京の山岳会に入っていて、クライミングやったり海外遠征に行ったりしていました。

大町市で知り合った家内と結婚したんだけど、家内が中泊町の出身で「家の農業を継ぎたいから戻りたい」っていう話をされて。最初は「なんでよ、せっかく長野にいるのに」って思った。

実は自分の父親の実家も農家で、小さいころから農業の手伝いをしていた経験があったんです。長野でも野菜を作ったりして、農業にはずっと関わっていたので徐々に「やれるうちにやったほうがいいのかな」と思い始めて、意を決して思い切って移住したんです。

——思い切った決断ですね。中泊ではずっと農家として働いていたのですか。

家の農業って言っても本当にちょっとしたものでそれだけでは生活が成り立たないので鯵ヶ沢のホテルでも働いていました。自分が山登りしてきた経験を生かして登山ガイドの資格も取得して、ホテルの業務をやりながら6年間働いていました。

地元に根ざした仕事もしたいなと思いまして、近くの農業法人を紹介してもらって去年から働き始めました。

これからの農業のことを考えると個人でやっていくのは本当に厳しい時代なので、法人に勤めることで安定して農業に関わって生活できるなと思いました。

その代表の人がすごく理解のある人で、田植えとか忙しい時期以外はガイドの仕事が入ったりしたら「行ってもいいよ」と言ってくれるのでガイドも続けています。

冬の間は農作業が無いのでガイドを主にしています。だから地元に根ざして働き始めたのが2021年の4月からですね。今までは本当に中泊に暮らしていたというか寝に泊まるくらいで、地域とは深い関りを持っていませんでした。

自然と触れ合いながら仕事が出来る

——結婚する前には中泊町に来たことはありましたか。

あります、結納の時に来たの。来た時は冬で色が何も無くてモノトーンで。長野の雪って深々と積もるひっそりとした雪なんだけど、こっちは地吹雪がすごいでしょ。真っ白で何も見えない。色が無い世界だなと思いましたね。

「いやここで暮らすのはちょっと厳しいな」って正直思いました。最初に来たときは「地吹雪が凄くて大変な場所だな」っていう印象でしたね。

——引っ越すときには抵抗ありましたか?

いや、自分にとっては引き続き自然と触れ合いながら仕事が出来ることがモチベーションになっていたので抵抗はあんまりなかったですね。

地吹雪もすごいなとは思ったんですけど、そんなにネガティブな印象は無かったのでね。

長野と青森は同じ雪国でも質が全然違うので、ここで暮らせるのかなとは思いましたね。それでも自然と関わる仕事が出来るっていうモチベーションがあったので、それは自分にとっては大きかったです。

正直言って山のことだけ考えれば長野が恋しいんだけれど、こっちではすごい良い出会いに恵まれているのでね。幸せというか人の縁に本当に恵まれていますよね。

——中泊の人の津軽弁理解できますか。

全然分からない。

特に農業していると年配の方とかが多いのでね。「~やっといてね」って言われても分からないので、「なんとなくこういうこと言っているんじゃないかな」って想定してやっていると、全然違うことをやってしまったりして。細かいニュアンスを取り違えて「全部やっといて」と言われたのに、一部だけをやったり。

だから常にメモ帳とペンを持っていて聞き取れなかったことは必ず書いてもらうようにしています。本当にそうじゃないと分からないと思う。

——もはや外国ですね。

もう来てから8年くらい経ってもなかなか難しいです。

農家、ガイドとしての活動

——今農業法人でやっているお仕事について教えていただけますか。

お米と大豆がメインですね。

だから3月、4月と苗を作って、5月に田植えをして田植えが終わると大豆を植えて。大体大豆を植え終わると稲の刈り取りまではだいたい草刈りをしていますね。そうしたら稲刈りがあってそのあとは大豆の収穫。

それで今は大豆の乾燥作業を行っていて、そうしたら大豆の選別があります。

冬になると農作業がないので山のガイドの仕事に専念していますね。

——主にどのような場所でガイドされていますか。

主に白神山地かな。例えば深浦だと十二湖の周辺とかあとは白神岳や暗門の滝周辺エリア。それから岩木山、八甲田山ですね。

——英語でもガイドしているんですよね。

そうですね、大学生のときアメリカのオハイオ州に留学していました。

僕はロードバイクもするんですけど、ここら辺は大げさな話ではなく世界に誇れるルートだと思う。実はホテルに勤めている時に自転車のツアーをやっていました。

ホテルでガイドをやっていた時に外国人のお客さんを集めてロードバイクのツアーをやっていて。竜泊ラインはスケールの大きいルートでみんな「すばらしい」って言ってくれますね。

自分だけでも年に何回かは自転車で、中里から竜飛岬から今別までぐるっと回って100kmくらい走ったりしていますね。

眺瞰台からの竜泊ラインの眺め

尊敬できる人たちに恵まれて

——引っ越してきてよかったと思うときはありますか。

自然に関わる仕事が出来ているし、すごい人に恵まれているなと思います。農業法人の人たちはね、本当に良い人たちで多くのことを学ばせてもらっています。山の仕事をやっている人たちも素晴らしい人たちです。

——農業法人で働く人からどのようなことを学んでいますか。

働いている人は技術があって、農業はもちろんなんだけれども機械の修理まで何でもできちゃう。対処が適切だし。

今日も少しミスをしてしまったんだけど、みんな「なんも、なんも。失敗しないと分からないから」という感じで失敗から学ばせてくれるんですよ。

色々失敗してしまうことはあるんだけれども、みんなおおらかに見ていてくれていて。知識とか技術だけじゃなくて人柄も僕は尊敬しています。

農業法人に関しては規模の大きい農業をやるのは初めての経験なのでとりあえず仕事を覚えたいと思っています。農業法人は規模がすっごく大きいので家の畑とは全然違うんですけど、本当に勉強になりますね。

——特に機械の扱い方なんて自分だけじゃ分からないですよね。

長野ではちっちゃい農機具とかで生活していたので、こっちきたら戦車みたいな大きな機械使っているので全然違いますよね。

法人のほうで大型特殊の免許やドローンの免許も取らせてもらったのでね。

全然まだ初心者なんだけれども、自分よりうまい人に指導されながら頑張っています。



野高健司さん
日本山岳ガイド協会公認登山ガイド : 登山ガイドⅡ・スキーガイド​Ⅰ
里山散策から高所、アルパイン、山岳スキーまで幅広く登山活動を実践

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