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町の歌って踊って喋れる女王 加藤則子さん

加藤則子さんは「なにもささ」保存会、中泊町陸上協議会、宮越家ボランティアガイド、地元の演歌歌手など多岐にわたって活躍されています。

そんな活動的な加藤さんは地元の人に「歌って踊って喋れる女王」というあだ名までつけられているそうです。

今回は津軽中里駅の中にある駅ナカ賑わい空間にて加藤則子さんにインタビューしました。



水のきれいな所

——加藤さんは中里生まれ中里育ちですか。

宮越家の近くの尾別で生まれて育っております。

実家は農家で小さいころは畑や田んぼも手伝ったりした。昔、中学校の時に稲刈り休暇っていう休みがあって、稲刈りのために学校休んだりして。

そんな時代もありました。

だけどもさ、小さいころは家の近くにあんな宝物があるだなんて分からなかった。今宮越邸を案内するボランティアガイドやって初めて分かった。

宮越家といえばお正月に米を持って行って粉にしてもらう場所だった。今はスーパーとかに行けば片栗粉とか餅粉とか普通に売っているけど。だけど昔は米を持って行って粉にしてもらうのを毎年宮越家でやってもらっていたの。

お正月に近所の子供たちは、ばさま(おばあちゃん)に頼まれて宮越家に持ってくるの。その時初めて宮越家のおっきい土間さみんなで座って順番を待ったりしたんだけどでも宮越家に入ったのはそれだけ。

だから子供でもここの宮越家はおっきいんだなと思った。でばさまが「おっきい宮越さ行ってこい」って言ったらそのことだったの。

そういうところで育ちました。

それとボランティアガイドやっていて知ったのだけど、昔はここら辺もアイヌが住んでいた所で、尾別はアイヌ語で水のきれいな所の意味だそうです。

良いとこさ住んでいたなと思いました。

――水が良いところの暮らしは良いですね。ずっと尾別に住まわれていたのですか。

ずっと尾別です。貰ってくれる人がいて結婚して、津軽中里駅の裏に住んでいます。

老人ホームに勤めている方と私は一緒になりました。

今はもう退職して7年も経ってしまって、孫の送り迎えが仕事です。

芸は身を助ける

――どこに勤めていたんですか

銀行に勤めていました。合併で名前が変わったんですけど、今はみちのく銀行になっています。

人と話するの好きだんたかもわかんない(好きなのかもわからない)。銀行の仕事で窓口で対応するのとか、集金カバン持って外回りで色々な人の家行ったりするのも好きだった。

転勤して色々なところで働いたから、そこでまた新たな知り合いが増えたりするのが楽しかったです。

車力に自衛隊があるんだよ。毎日中里に自衛隊の人が来たりして、新しい人と仲良くなるのも好きだった。

じさま(おじいちゃん)、ばさま(おばあちゃん)だの会うときに話題が合わなきゃいけないからそこの地域の団体に入ったり、そこで手踊りとか歌とか習いました。「芸は身を助ける」っていうけど本当に助けられました。

歌は誘われてカラオケのチームに入ったんだけど、そうしないと地域の人と仲良くなれなかったから。

――具体的にどのように助けられましたか。

老人ホームの人からも声を掛けられたりして、歌ったり踊ったりすることもあるんだけれど。助けられたというより自分も楽しいし、見ている方も楽しいからやっていて良かったなぁと思いますね。

だからこれはもうちょっと続けていこうかなと思います。

黙っていても一日過ぎるだけだし、楽しく過ごしていければいいかな。

仲間が増えるって楽しい

――加藤さんは宮越家のボランティアガイドもされていますがガイドをする際に心がけていることは何ですか。

やっぱりお客さんには嫌な思いしては帰ってほしくないと思っているけどね。ただ自分でそうもう思っているだけじゃまいね(だめだ)けどね。

そんな感じで勉強しながら、「また来たいな」とお客さんには思ってほしいし。実際にもう2回、3回来てくれている人もいるし。

そういう何回も来ている人は小川三知のファンなんだけど、ボランティアガイドも27人いれば27通りあるから毎回違うのも楽しんでもらいたいですね。

だからお客さんの帰り際には「また来てくださいね」って言うんだけど。

お客さんはボランティアガイドを選べないじゃない。選ばれたガイドだはんで頑張らねばまい(だめ)と思う。でも時々お客さんに「前もあんただったよ」とか言ってもらうと嬉しいですね。

――歌と踊り以外にはどのような会に所属されていますか。

中泊町陸上競技協会もボランティアでやっています。中里には運動公園があってそこで大会がよく開かれたんです。

今はコロナで行われていないけれども、毎年町民運動会も開催していてこれがあるっていうのは町の魅力だと思う。

五所川原や金木にもこういうタータン(陸上競技場のトラックに使用されている合成ゴム)のグラウンドは無いのでね、貴重な場所ですよ。

大会があれば選手とその親が来て町がにぎやかになるしね。

これもボランティアですね、好きでやっているから。

――働くことが好きなのですか。

働くこと、動くこと、それから人が好き。

仲間が増えるって楽しい。

働くときは働く

――歌や踊りはどのようなところで披露されているんですか。

団体でやっているので老人ホームや駅ナカ(津軽中里駅で月1回開催されるイベント)で披露しています。

「なにもささ」っていう中里にある昔からの踊りがあるんですよ。手踊りだけじゃなくてその会に入っている。「なにもささ」保存会では小学校やこども園に踊りに行ったりしている。

「なにもささ」は中里地域の踊りなんだけどね。前町長が「各地区には歌や踊りがあるけれども中泊町としての歌は無いんだか」って言ってて歌の先生に頼んで作った歌がこのCD に入っている「じょんから中泊」なんですよ。

これ一枚持ってきたんでどうぞ。一枚差し上げます。

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――良いんですか、ありがとうございます。

開けて聞いたらダメだよ、お守り代わりに。魔除けだはんで、部屋の玄関さ下げとけばなんて、あはは。

ちょっと関係ない話なんですけど、歌の先生は健康診断受けないのが自慢だったんですよ。それが受けたとたんガンが見つかってしまって。だからこの「じょんから中泊」も一回歌って録音したきりだったんですよ。

だから先生の録音を聞けば低くなったり高くなったり調節出来ていない所もあってね。具合悪いにも関わらずこれを書いてくれたのが、私にとっては宝物。だから歌も続けていきたいですね。

全部で5曲入ってるんだけど作詞と作曲を2人の先生に書いてもらって、手作り演歌として歌っています。

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――全部地元に関する歌なんですね。

最初の二つは祭りの唄。わ、祭り好きだはんで。津軽好きだし。

――人前に出て歌うのとか緊張しないんですか。

緊張しますよ。しますけども。

「どうせばそうやってつけらっとした顔してやっているにいんだば(どうしてそんなケロッとした顔でやってられるの)」って言われますけど、もう心はドキドキ。

でも仲間と一緒に一つの物合わせて披露して、練習して反省してってやるのが楽しいですね。

そうでないとダラダラ過ごしてしまう人生になるかもしれないから。

――ダラダラ過ごすのは嫌ですか

嫌だ。

ダラダラするときもあるけど、ダラダラするときはして。で、働くときは働く。メリハリをつけたいですね。

――最後に中里にこんな風になってほしいなと思うことはありますか。

今中泊町から五所川原に出ていく人が結構いるので、やっぱり中泊町から出ていかないでほしいですね。この町は私にとったら最高なんだけどね。

でもやっぱり五所川原に行けば商業施設とか学校もあるしね。だから中泊にも子供から老人まで楽しめるような街になってほしいと思う。

宿泊施設もあればいいですね。宮越邸に来てもみんな青森、五所川原、三沢に泊まってしまうのでね。

いろんなお土産も出てきたから、これから観光地としても盛り上がっていってくれたらいいと思う。

――今日は貴重なお時間ありがとうございました。加藤さんの歌と踊りぜひ見に行きたいです。

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