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半泥子氏 毒舌語録

小代焼中平窯の西川です(^^)

本日は趣味人・川喜田半泥子氏の『随筆 泥仏堂日録』の中から、特に毒舌な言葉をピックアップしていき、半泥子氏の毒舌家としての一面をご紹介しようという試みです。




あと!!
今回の記事に書かれたセリフは、私が言ったわけじゃありませんからね 笑
コメント欄とかで変な攻撃してこないでくださいね(._.)


川喜田半泥子氏についての大まかな説明は過去の記事にも書いております。


下の画像は半泥子作の美しい粉引茶碗。
死ぬ前に一度で良いから、半泥子氏の茶碗で茶を飲んでみたいものです。

半泥子作『雪の曙』



北大路魯山人氏へ


・噂によると口は八丁、手は五六丁という事だ。
先祖が山伏の親方で、子供の時から鞍馬山に育ったのだか、どうだか、其処迄は聞き及ばぬが、僧正坊はだしの大天狗だそうだ。


・兎に角、キヨウな天狗さんだ。


北大路魯山人氏



柳宗悦氏(民芸派)へ


・「民芸品」などと、大層テイのイイ名前をつけて、柳や桜がありがたがっているゲテモノとかいうものも、元来が台所使いの安物実用品であるだけに、野心のない陶工の手で無心に作られているから親しみがあるのだ。


・南無ゲテモノお陀仏お陀仏。


・尤も画かきくずれのイギリス人が、お正月の熨斗餅へ「うどん」や「そうめん」を乗せたような焼物を作ると、日本人でいて日本の焼物のヨサが分からず、只モウ西洋といえばありがたがる連中が真似をして、一夜作りの作家ができる。
英国人陶芸家:バーナード・リーチ氏のスリップウェアへの評と思われます。

バーナード・リーチ作のスリップウェア


・益子あたりの田舎家を安く買って、一芝居打ち損じた落ちが、こんど此度中国筋のお金持ちをおだて上げて、ゲテモノ館を建てるそうだ。
定めし館内には、「鍋島怪猫愛用の油皿」、「赤垣源蔵秘蔵の徳利」、「丹下左膳こけ猿の壺」等々が陳ぶであろう。


下手もの宗の人達が、勝手に『二タ川』と呼んで以来、一部の人達には二タ川焼で通っている松の絵付の飯銅がある。



その他


・尤も、利休や、庸軒の切った花生だといって珍重するのもそれ等の人を偲ぶ心からするはイイが、其物のヨサも何も分からずに、きたない枯竹の花生に何千円、何万円出して喜ぶ人の気が知れない


・渡船の出帆迄少し時間があるというから、駅前の製陶所に飛込んで、チョイと茶盌をひいて見た。
色はうす赤いがキブシのような土で、味も悪く、手ざわりもヌメヌメして気持ちが悪い


・全体焼物を集めたり、お茶を楽しむ連中は、大抵去勢された馬か、世の中にアクビばかりしているヨボヨボ党だが、此お客さん達、ホントウにやれるのかナと、又、腹の中で思った。


・前にもいったように、其物の真のヨサも分からないで、只偶然に、または自然に出来たキズや、必然的に出来るアルモノを見て、約束約束と騒ぎ立てる連中は、約束の為に却って目がクランで瞞されることがある。


・此窯の少し先きに中野霓林とかいって、先代中里太郎右衛門さんのお弟子であった人がいる。
趣味の低い人と見えて作品は俗悪な佐世姫の人形や、変な茶盌なんぞを京町の店で売っている。


ツマラナイものを勿体つけて見せられた場合には、
ヘヘー、ナルホドナー、ヘヘ-」ということにした。


・焼物は何と云っても胎土、轆轤、焼成が肝心で、此の三つが欠けては、形や、絵附や、釉の色で、いくらゴマカシても駄目だ
此の意味から云っても、仁清や、ノンコウを嬉しがる連中の気が知れない
お気に障ったら、是等のヨサを教えて貰いたい。


・それに、清朝は滅びてもまだ都は北京にあって、南京は中途半パな改装中の町であったから、味もソッケもない実にツマラヌ都であった。



まとめ


半泥子氏は数寄者として、魯山人氏や柳氏の審美眼に対する言葉を多く残しています。

当時『東の魯山人、西の半泥子』と称され、
魯山人氏に対しては軽口をたたきつつ、近しい美意識を共有する者としての仲間意識もありました。


一方、柳氏に対しては容赦なく小馬鹿にしており、
桃山陶芸をはじめとした茶陶を理解できない、目の利かない人物と捉えていたようです。


また、当時は加藤唐九郎氏からロクロを習うなどしており、
趣味の陶芸においては師弟関係、普段の生活では親しい友人として接していたように見えます。
※後ほどお2人は疎遠になりますが。


今回の記事をきっかけに半泥子氏の
『随筆 泥仏堂日録』
が一人でも多くの方に読まれることを期待しています。


『随筆 泥仏堂日録』



2024年5月7日(火) 西川智成

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