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下剋上 3.0 〜ウェルネスへの第一歩〜

読者の皆さん、こんばんわ。今回のサイクルのテーマは「下剋上」にゃ。
この「鳴いて!ホトトギス」では、のぶのぶ、おトヨ、ヤスという、日本で最も天下を語るにふさわしい3名が、①テーマ別と②フリーテーマの2つのサイクルで交互に投稿するコンテンツで、ゆる〜く気軽に読める現代版ウェルネス指南書のようなものだにゃ。今週は、「下剋上」をテーマにのぶのぶが先週投稿した「化天の夢」に続いて、おトヨが「下剋上 3.0 〜ウェルネスへの第一歩〜」を投稿するにゃ。

「下剋上」とは読んで字のごとく、「下が上に打ち勝つ」ことから来ている言葉で、日本では多くの方がわしらが生きた戦国時代を表す代表的な言葉として思い浮かべると認識しているにゃ。調べると、下剋上は古代中国から使用された言葉で、日本における中世、すなわち平安時代(鳴いて!ホトトギスではなく、鳴くよ(794年)ウグイスの時代)末ごろから戦国時代(15世紀末〜17世紀初)にかけて、当時の史料や軍記物語でこうした行為が表現されているようにゃが、使用例としては少なかったようで、実際に「下剋上」と表現されるのは江戸時代以降のようにゃ。戦国時代にイメージする、家臣が主君に取って代わるという行為に止まらず、百姓が領主の支配内容に異論を示したり、身分の下位の者が上位の者を紛争の際に殺害した行為もしくは追い越して出世していく、あるいは分家が本家に取って代わるなど、意味する対象は広かったようにゃ。ここで共通して言えるのは、当時の社会秩序から、批判的に表現されている点のようにゃ(以下、「にゃ」を省略するにゃ)。

上記に関係する参考記事:

今風に、こんな下剋上を1.0とするのであれば、その概念がより穏やかな(殺害行為ではなく)形で承継されたのが現代版の、下剋上 2.0 と表現してもいいのではないでしょうか。そして、下剋上1.0に近い行為は、「革命」や「クーデター」という形で今も受け継がれています。そして、現代の下剋上は、相手を殺したいほどの憎悪を生むものから、はたから見たら微笑ましいものまで、目的も多岐に渡り、実に幅広いといえます。

微笑ましい一例:

2017年TBSドラマ1月金曜ドラマ
「下剋上受験」

例えば、面倒を見てくれた上司を裏切って自分が出世するケース、最年少で部長に昇進するケースなど、現代社会に世話になり始めたおトヨも身近によく耳にしてきました。しかし、「下から上」という意味、つまりは上と下という価値観の観点では1.0から大きくは変わってないのではないでしょうか。「支配するかしないか」という観点だけではなくなりましたが、”社会的な「上」”に向かって一心不乱に突き進みステータスを上げること、これが下剋上 2.0の特徴といえるのかもしれません。ここで、”社会的な「上」”とは、例えば、経済的な「上」、出身大学や就職先・転職先といったブランド的な「上」、高いIQ、高層マンションの「上」といった意味を指します。

サムネイル画像にも採用した下剋上 / Vivid BAD SQUAD × 鏡音リン。
存在すら知らなかったアーティストおよび楽曲だけど、
思いのほか、本投稿の趣旨とズレていない。

さて、現代社会において、いまだに優勢な下剋上の概念は、この2.0だと言ってよいでしょう。一方で、こうした上下の概念における「上」の実現が本当に必要だろうか?その追求が本当に幸せなのだろうか?という問いかけを行うひとが増えているのも事実で、そこには社会的な背景も存在しています、例えば、環境破壊や経済格差といったものが挙げられます。こうして、2.0に並行して勃興した下剋上 3.0とは、価値観の多様化、多方面化によって生じる、上下意識の混乱をいい、回答のパーソナル化ということになろうかと思います。価値観の多様化、多方面化を二項対立でわかりやすく表現すると以下のような例が挙げられるのではないだろうか:

・収益 vs 環境:収益のみを追求する企業ではなく、環境等を重視する企業が評価される時代(ゼブラ企業とも呼ばれ始めている)
・所有 vs 共有:ご存じのシェアリングエコノミー
・IQ vs EQ:頭の回転が速いからといってマネジメントには向かない。心の知能指数の重要性
・大学進学の要不要:あまねく必要とは考えられない時代となってきている
・都心 vs 地方:華やかな都心を好むひとだけではなくなった
・地方への移住 vs 多拠点生活 (※ご参考):複数拠点の所有や移り住むことではなく、「移動」して住む選択肢

などなど

皆さんはどちら寄りですかね?これが各々にとってのウェルネスにつながるソリューションになりえると考えています。

ご参考:多拠点生活を薦める事例

上述した、回答のパーソナル化とは、自分たちが住む社会における「こうしたほうがいい」という指針が一方向ではなくなり、本人が向き合って決めていける時代という意味であり、これは人生において非常に大きなインパクトを持ちます。言い換えれば、方位磁石の針がくるくる回ってしまう時代だといえるのかもしれません。

補足として、この下剋上 3.0の別名として「xy剋z」(エックス・ワイ・コク・ゼット)が良いのではと考えているのですが、そこについて触れておくと、皆さん各々にとっての軸がなんなのか、誰かにとってはそれがx軸でも、ぼくにとってはz軸でいい、そういう時代であり、その軸を創造していくことがこの時代の下剋上だと提言したいからです。
実際に、3次元空間を定義する際のxyz軸、皆さんにってyとzはどういう認識をされているでしょうか?実はぼくは、仮想空間ではなくリアルに生きていることのほうが俄然多いからなのか、xyは自分が立っている平面で、z軸が「高さ」というイメージを持っています。でも、xyが画面、つまりは壁のイメージで、z軸が「奥行き」だと認識している人が少なからずいらっしゃるようで、これは身近で興味深い事例だと思います。下記リンクの記事には、3次元コンピュータグラフィックスソフトの世界では、どうやら左右はx軸で共通なのだけど、前後と上下がy軸かz軸でバラバラという事例について書かれています。

下剋上 3.0 〜ウェルネスへの第一歩〜(別名、xy剋z!)は、既存の価値観を揺さぶる生き方を生み出していくことから、従来の下剋上に比べて、より壮大でグローバルになりえる一方で、よりローカルでパーソナルでもある、ウェルネスのためにカスタマイズする基準の設定といえるのではないでしょうか。

最後まで読んいただき、ありがとうございます!


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