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職業とか勤務先の情報ってそんな重要?

 皆さん、こんにちわ。今回はフリーテーマでおトヨの回だにゃ。とりとめもない話になるのだけど、なぜ友人・知人を紹介するときに、まずは「職業」や「勤務先」を言えば事足りると思っている人が多いのだろう。
そんなことを感じたりはしないにゃか?これはおトヨの勝手なボヤきだと思って読み流してくれて結構だにゃ。結局、そういった情報で人を紹介するのが「簡単」だからかもしれないにゃ。

 オフィスでエレベーターに乗る際に、例えば、尊敬する勤務先の社長が偶然乗り合わせてきた場合に、どちらかがエレベーターを降りるまでの限られた時間で、伝えたいことを端的にまとめて伝えられるか?(伝えるための習慣とは?)という心構え的な話があって、「エレベーターピッチ」と呼ばれているのだけど、それと同様に誰かを紹介する機会が訪れた際に、一番優先される情報はその人の「職業」や「勤務先」だろうか?
むしろ、「ぼく」はあいつを「心底いいやつ」だと思うとか、「クソ野郎」だから付き合うのはすすめない、といった個人の「信用」に基づく「主観的」な認識の共有がよほど役立つし、おもしろいんじゃないかと思ったりするのだよ。

STAYC 「STEREOTYPE」:初めて聞いた曲。

 ビジネスシーンでは、今でも初めて挨拶するときに名刺交換することが通例で、それがその人の要約だった。もちろん、交換して終わるわけではなくて、立ち話なのか、打ち合わせなのかを通じて人柄がわかってくるというのはあるのだけど。こうしてできあがったつながりは、Before SNSでは名刺とそこに付随するメアドの交換により担保されていた。After SNSになると、相手が転職すると手元の名刺が何の役にも立たないという課題さえも解決され、安心感のあるつながりが生まれるに至った。それにより、名刺に記載の情報以上に、よりその人のパーソナリティを窺い知る投稿を通じて、少なくとも表面上はアップデートされる相手の状況を垣間見ることができるようになったのは、大きな変化だといえる。

 先日、某大学の経営学科の准教授と話す機会があった際に、大企業の経営者と話すと、コロナ禍がきっかけで、山登りにハマる話を耳にするようになったと聞いた。それは、密を回避して楽しむという目的が第一にあるかもしれないが、ハマった理由は、危険と隣り合わせの行為を通じて「生きている」ことを実感できるといった声や、普段の生活では、自分の「職業」や「地位」によって常に相手が気を遣うコミュニケーションで溢れており、そういった息苦しさから解放されるから、山小屋で出会う登山者とはフラットに会話ができるからといった声が確認されたようだ。つまりは、「地位」がある人ですら、そういう紹介に愛想をつかしていることもあるというわけだ。

 メタがリリースした新SNS、Threadsが1日経たずして登録者数が3,000万人を超えるなどという、大SNS時代において、「職業」や「勤務先」にとどまらず、いわゆる「投稿」も含めた「外見」で人を判断しがちになっている時代だからこそ、信用している「個人」からの「主観的」な紹介や説明がいかに重要であるかを感じるのだよ。

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