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「物事の本質」の本質とは?

若者は物事の本質をつかむのが下手になったーー
至る所で声高に叫ばれている言説だ。
しかし、誰も教えてはくれない。
それを吹聴する本人でさえも。

だいたい、”物事の本質”なんて概念はあまりに広すぎる。
本質って何だ?表面的ではない何か?
核となる物か?

今回は、「物事の本質」の本質について紐解いていく。

物事の本質を紐解くために


さて、物事の本質とは何であろうか?
私はこう理解している。
「事象事物を簡潔に言い表す事ができる言葉/定義=物事の本質」
であるからそれを探す際は
簡潔に言い表す言葉/定義は何か、と考えれば良い。
しかし、この定義そのものが定義から外れてしまっているので
まだ私は本質が何かを理解していないのかもしれない。

なので、まずは「物事の本質がわかっている」場面から考えていく。

「あなたにとって人生とは何ですか?」

例えば、これはインタビュー等でよくある質問だが
「あなたにとって人生とは何ですか?」
という問いがあったとする。
これは「人生の本質とは何か?」と同義だ。

→結論「人生とは選べる"苦痛"だ」

私なら「人生は”選べる苦痛”だ」と答える。
(厭世主義/ペシミズムを支持しているわけではない)

→説明「なぜそう考えるのか」

人生は苦痛に満ちているが、何によって苦しめられるかを選ぶことができる。
対人関係に苦しむ事もできるし、創作に苦しむ事もできる。
仕事で苦しむ事もあるだろう。
そして幸せな人生というものは、きっと
自分が選んだ苦痛に正しく苦しめることであろう、とも思う。

これはポエムだ。
まごうことなきポエムだ。
事象事物を言い表した言葉/定義を説明するとポエムになることも度々ある。

物事の本質を掴んでみよう

インタビューでは「人生の本質とは何ですか?」という質問に対し
「人生の本質とは選べる苦痛だ」と答え、
それを補強する話や思考の道筋を書いている。
このような形で、物事の本質が発露するわけだ。

しかしながら物事の本質を掴む為の道筋は、先の問答を逆走する必要がある
いきなり自分に「お前の人生って何?」と問いかけた所で、簡潔な言葉は返ってこないだろう。

なのでここからは、私が物事の本質を掴む時の思考順序を書いていく。
私はA4用紙にボールペンでびっしり書くタイプだ。
メモ書きに近い形だろう。
今回のお題は「知識とは何か?」だ。
一緒に考えてみよう。

「知識とは何か?」

お題のままでは抽象的すぎるので、少し絞ってみる。

→「知識は私に何をもたらしたか?」

・話題作りの引き出しが増えた
 →コミュニケーションが円滑に
・創作のクオリティアップに一役買った
 →幅が広がった
・人生の選択肢が増えた
 →果たして本当か?
 x 知識の取捨選択の為にエネルギーを割いた
 →直感的では無くなった
 x 音楽理論を学んだ結果、作曲のスピードが落ちた
 →正しさを検証してしまうようになった
 x 得た知識を使わなくては、という義務感が生まれた
 →使わない選択すら重荷になってしまった

→(感想)わかったこと

これらから(私にとっては)
「知識は役に立つが重荷である」
という感想が出力される。
そしてこの中で1つ疑問が発生したが、またの機会に。

→(説明)言葉探しをしながら掘り下げていく

「知識は役に立つが重荷である」
似たものに包丁がある。
包丁は料理する際に役立つが、指を切る危険も凶器になる危険もある。
だが「知識は包丁だ」とは言い難い。
包丁は他者を傷つける武器になるが、知識はそうではない。
知識による恩恵/弊害の殆どは自己にのみ還元されるものだ。

己にのみ与えられる苦痛といえば、
真っ先に筋トレが思い浮かぶ。
そして筋トレは筋肉を鍛えるためにするものだ。
しかし重荷ではない。重いといえば…ダンベルだ。

ダンベルを持ち上げる事で腕の筋肉を鍛えることができる。
軽いダンベルなら何度でも持ち上げることができるが、効果は薄い。
丁度いい重さのダンベルなら、良い具合に疲れるし、効果も出る。
重すぎるダンベルは腕を痛めるだけだし、持ち上がらないかもしれない。

→結論「知識はダンベルだ」

なるほど。私にとって「知識はダンベル」と言えそうだ。
知識も、関係無いものや雑学程度であれば効果は薄い。
自分の欲しい知識なら、ちゃんと使えて効果的だ。
あまりに難しく局所的な知識は、無理に使おうとして失敗したり使わないかもしれない。

本質の見え方には個性が出る

こういった思考の道筋(連想)の果てに「物事の本質」が見える。
私にとって知識の本質はダンベルだが、本質の見え方は三者三様だ。
宇宙人めいた定義をする人が居るかもしれないが、何をどう定義するかは自由だ。
そしてその言葉こそが、その人を表すものになる
私がダンベルを用いたのは、最近筋トレを始めたからに違いない…

人に話す時は、先の連想の逆を往けば良い
「知識はダンベルだ」→ダンベルと知識の共通点→知識やダンベルにまつわるエピソード
といった具合だ。
わかりやすい言葉の提示が最初にあるから、聞いている人も理解しやすい
こちらも話が脱線しづらく迷子になりにくい。
win-winだ。

余談だが、「デリシャスパーティ♡プリキュア」の主人公ゆいはこの話法を多用する。
非常にわかりやすいし惹きつけられるのでオススメです。

先の手順で今一度「物事の本質とはなにか」を考えてみよう。

→物事の本質を見つけることは何をもたらすか?

1.上達スピードが上昇する
2.対応力/柔軟性が向上する
3.話がわかりやすくなり、教えたり伝える能力が向上する

1.物事の長所(短所)を見つけるのが上手くなり、それらを活用する事ができるようになるため
2.取捨選択や優先順位の基準が明確になり、急な出来事でも何を優先すればいいかが即時に理解できるため
3.結論から話せるようになり、順序立てて話すことができるため

→わかったこと&掘り下げ

物事の本質を見つけることによって様々な恩恵を得ることができる。
まるでゲームの宝箱のようなものだ。
見つけるまで時間がかかることもあれば、急に目の前に現れることもある。
そして宝箱を開けることによって成長することができる。

→結論「物事の本質とはゲームの宝箱だ」

であるから、私の定義はこれだ。
「物事の本質とは(ゲームの)宝箱だ」
見つけるまでに時間がかかることもあるし、すぐ見つかるかもしれない。
そして開けてしまえば即戦力。
なんとも良いものではないか!

おわりに

本質を突いた言葉は、人の心を揺さぶる。
言葉に当人だけの意味を乗せることができる。
是非みなさんも本質的な生活をしませんか?


作曲や効果音制作でなんとか身ですのでサポートをいただけると嬉しいです!