物書きになろうという気持ちは一切ありません

自分は昔から文章を書くのが下手だった。

読書感想文もひどいものだったし、

理科の考察とかも友達のを映してばっかり

卒業文集なんて読めたもんじゃない。

というか読む価値がない

何も気持ちを入れてないし、

そもそも伝えようという気持ちがない。

でも最近気づいた

あの頃はインプットするのに精一杯だった。

アウトプットしようなんて気微塵もなかった。

文章を書くということは典型的なアウトプットだ。

創作もそうだけど、

僕は創作に関してはさっぱりだった。

美術とか音楽とかそういうの全般

自分にはクリエイティブな才能などないと思っていた。

正直今も才能はあるとは思っていないけど。

でも最近、アートというものの考え方を感じて、

創作というもののモチベーションの根源的なものがわかってきた。

美術や音楽、文学など様々なアートがあるけど、

結局それらはフォーマットに過ぎず、

アーティストというのは、自分をそれぞれの得意なフォーマットで表現しているだけ

伝えようとしているだけ

逆にいえば何かを伝えたいという気持ちがあれば。

それによって生じた創作物はアートである

そう考えると自分は創作というものをしようという気にもなり始める。

最初にも言ったが物書きになるつもりはないです。

僕は昔からピアノが好きなので

基本的に音楽を作ったりしてる。

でもそれは誰かに見せるためじゃない。

純粋に自分のために作ってる

自分を理解するために

表現にはそう言った側面もあると思う。

カニエウエストは音楽を作っている時は躁鬱の症状があまり出ないらしい

三島由紀夫が語っていた映像をこの前YouTubeで見たが、

そこで三島由紀夫はゲーテについて、

若きウェルテルの悩みを書いたことによって

自分の自殺願望をそこで果たし、ゲーテは自殺しなかったのだと語っていた。

これはまさに自分というものを消化するために表現、創作をしていると思う。

とどのつまり、創作というのは自分のためだけにあるのだ。

最初から最後まで個人的なものでなければいけない。

人々の心を掴むような創作物はどこまで行っても自己中心的なものである。

自分だけのために作ることに意味がある。

まず最初に自分がその創作物に救われなくてはならない。

この動画です。

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