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何か学ぼうとして、行動しなくて良いことに気付いた話🇰🇭


「その経験から、あなたは何を得ましたか?」


就職面接でよく聞かれる質問だ。

これを見ているあなたも、一度は聞かれたことがあるのではないだろうか。 


この質問をされたら、あなたはどう答えるだろうか?


私は、この質問が大嫌いだった。


経験から何かを得たことなんて、ないから。


ただやりたかったから、やった。


行きたかったから行った。


それだけなのに。



何かを学ばないといけないの?



大学生の時に行ったボランティアでも、毎日、日誌に、それを書かなければいけなくて、


これがまた苦痛で。


何も学んでいないのに、「〇〇を学んだ」


、とよく書いていた。


ボランティア先の指導者からは、


「なぜこれを学んだと言うのか、よく分かりません。」


というお返事がよく書かれていた。


...私も、よく分かりません。


でも、実は、このタイトルを思いついたきっかけは、



5年前の年末年始に行った国際ボランティアである。




行き先はカンボジア。



当時の私は、毎年当たり前だった帰省も、心配性の親と折り合いが悪く、帰りたくなかった。



仕事もしんどすぎて、


逃げなければ、潰れる


、と思っていた。


そこで、ふと思いついた国際ボランティア。



昔行きたかったけど、親に心配されてやめたっけ。



そしてそうと決めたら、早速検索。



「年末年始 国際ボランティア」、とネットに打ち込む。



自分の心のためなら、いそいそと行動できた。



現地で1人は心細かったので、他の参加者もいるツアーで行けるといいな、


探したら、思い通りのツアーが、関東発で、1件ヒットした。


勢いのまま申し込みの電話をしたら、ありがたいことに、



「関西の方なら、別便探しますよ!」と、


関西発に変えてくれた。



無理と思っていた事が、すんなり実現したのである。


現地についてからは、毎日いきいきと過ごした。


「着いたら、とりあえず連絡してね!」と、


父母からは、口酸っぱく言われていたが、


暗くなる前に、ご飯を食べに行かねば、が優先だった私は、


着いたら、とりあえず現地人のリヤカーに乗り込み、町へと繰り出していた。



ちょっと怖かったけど、そのリヤカーが走り出した瞬間は、今でも忘れない。




無事ホテルに戻って連絡したら、親には結構怒られた。


そして帰国後、


「ボランティアどうだった?」「何か学びはあった?」など、やはり質問がとんでくるのである。

でも、結局、

「カンボジアの子供たちと触れ合って、世界の人々の苦労がわかった。私ももっと何かできることを考えようと思いました。」、


なんて綺麗事で。


ただただ、楽しかった。


だから、「何を得た?」なんて誰に聞かれても、ずっとうまく言えなかったし、


無理矢理言うと、なんだか言葉が浮いてしまうようで、嫌だった。



でも、最近ふと思い出していて、ありのままの自然体でいられて、だから楽しかったんだな、そう思った。


自分が選んだことを、実行できたのって、ものすごい充実感だったし、


そこに、失敗も成功もなかった。


だから、

「何か学んだかどうかは、分からないけど、自然体の自分でいられる経験ができた。」


それが、数年前の質問へのお返事である。


何か得たものなんて、あとからとか、だいぶだってから気づく時もあるし、何も得ない時もある。   


でも、別に何かを得ようとして、行動しなくていいんじゃないって思う。


行きたければ行けばいいし、やりたければやれば良い。


どんな経験でも、全部自分のためになってるんだよ。


というお話。



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